初めに質問です。日本映画に詳しい方教えて下さい。
日本映画で、一番長い自刃シーンが有るのは何ですか?
小林 正樹監督の「切腹」って有るじゃないですか。管理人は見ようと思いつつ未見です。あれって切腹シーンはどれくらい有るんでしょうか。ポスターが既にそう言う写真なんで、よもや無いと言う事は無いと思うのですが。何しろ内容を知らずに映画を見たい奴なんで、何も知りません。
でもって、この「日本のいちばん長い日」。
恐らくは、日本映画中五指に入る、長ぁぁい自刃シーンが有る映画ではないでしょうか。
壮大な集団劇で、2時間37分の長丁場を全くタルむ事無く魅せる手腕は見事。緊迫感を保ったままラストまで滑り込むのは、脚本と演出の勝利だと言えましょう。
尤も。
少ししか旧作映画を見ていない身で大上段に構えて申し訳ないが、日本の監督陣が得意とするのは、この手の「集団劇」だと思います。キャラクタの押し出しが苦手で、ここらがハリウッドと全く違う出来上がりになる要因です。
当時の東宝は(済みません、他の映画会社の事は一切知りません)毎年八月にはオールスターズによる戦争映画を公開しており、この作品もその中の一つです。
どうしてもお祭り騒ぎの様相が拭えないオールスターズ戦争映画の中で、この作品については余りお祭ムードを感じません。と言うより、それを多少は感じるだけに却って重い。
監督の岡本喜八は、どちらかと言うと喜劇的ムードの漂う活劇を撮る事が多い監督で、他の作品の多くは……何というかナンセンスムービーです。吹き出すと言うよりは失笑してしまうようなシーンを作るのが好きな監督だと思うのですが。が。
これには一切そう言うシーンはありません。
自身が出征し、*「肉弾」のような映画を撮っちゃう喜八っちゃんなので、軍上層部より下級兵士への思い入れは強く、一番自身が描きたかったのは、ラストに流れる戦死者の数のテロップだったと本人が零しています。
「この映画を撮っていて欲求不満になった」そうですが、そうでしょうそうでしょう。それ程に隙が無く、重厚でシリアスな作品だと思うのですよ。
でも、日本人はこう言う映画こそ見るべきだと思うんですよ。
誰だって「戦争か平和か」と聞かれたら「平和」が良いに決まっています。その質問こそが愚なのです。
戦争になる様な時は、選択肢に「平和」などない。「蹂躙」か「支配」が「搾取」か、そうした穏やかでない単語が並ぶのです。それでも悩み無く「戦争」以外の物を貴方は選べますか。
太平洋戦争が有って終戦の日が有って、近代日本が有るわけで。その最初にあった「戦争」を、日本人は恥じる必要は無いと思います。と言うか、恥じるべきではない。過去は過去。認めて前へ進むべき物です。
未だに有事法制反対だどうこう言っている現代日本人は、日本が敗戦国であり、米国に蹂躙されてきた国だと言う事を知るべきですよね。(私自身も含めてな)
自国を自国で守る事が出来ぬ「独立国」なんざおかしいんですよ。馬鹿馬鹿しいです。
さてさて。私が語るべきは三船=阿南 惟幾(あなみ これちか)陸軍大臣であります。
ん〜〜〜、いつもの調子で「格好良い!!」と萌えたい所ですが、これがなかなか。
軍人として生き、最後まで軍人の誇りを持って自刃した方なので、なかなか軽々しくそう言えません。
阿南さんが鈴木首相(笠 智衆)に洋モクを渡すシーンが有ります。
「私はたしなみませんので。」って静かに笑って手渡して去るんですが、受け取った鈴木首相は静かに
「阿南君は……いとまごいに来てくれたんだねぇ……。」
非常に静かなシーンなんですが、去る陸相の後ろ姿と共に胸に残るシーンだったのを覚えております。
その夜、阿南陸相は自宅の廊下で自刃なさいました。遺書は「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」。
殆どの軍部上層部の人間が大戦後も生き延びたのに、この人は自らの命で責任をとられたんですね。
「多くの兵がなぜ死んでいったのだ!みんな日本の勝利を固く信じていたからではないのか! ……彼らにはなんとしても栄光ある敗北を与えねばならん」と敗戦に直面する兵士達の事に最後まで胸を痛めていた阿南陸相。漢らしくて素晴らしいリーダーだとは思うんですが………
貴方のような人こそ、生きるべきだったんじゃないかなあ。却ってそれは残酷なのかなあ………
でもってこの自刃シーンですが。………もー、長いです痛いです辛いです。
この映画を見始めた最初、ずっと軍服なので体型が分からず、ほっぺたが丸いので「三船ちゃん少し太った?」と思いながら見ていました。
が、自刃のシーンはズボンと白いワイシャツ。シャツの下はサラシのみで、胸はさらけ出された状態です。
………細い。多分、相当痩せている時期ではあるまいか。
自刃のシーンの多くは、後ろから見詰める義弟や部下達の目線で追われるので、細く引き締まった背中がメインになります。
まずは割腹。(ここはカメラは前から)
サラシの上から刃が入る訳ですが、白黒なので刀から滴り落ちるのはどす黒い血です。
ご存じの通り、割腹で訪れるのは緩慢な死です。腸管を切る訳で苦痛は物凄く、滅茶苦茶痛くて緩慢な死がじわじわやって来る訳です。だから苦痛を減らす為に介錯が付く訳ですが、阿南さんはそれも断ります。
「介錯をっ…!!」
「手助けは無用だッ!」
血だらけの震える指が襟元を探り、白い襟を避けて頸動脈をなぞり、腹から抜かれた刃がゆっくり持ち上がります。
思うように持ち上がらない腕を支える仕種も、それを必死に努力して行っている様も、滅茶苦茶リアル。
やっと刃が頸動脈を切り裂き、そこで阿南陸相の命は終わるのですが………
重い。(軽くてたまるかいッ) 死とは訪れるべき時に訪れる物は軽く穏やかで、訪れるべきでない時に訪れる物は重く騒がしい物です。本来そうした物です。
阿南陸相の死は、重い物であったのでしょう。
しかし。兎に角長い一連のシーン。
間に色々なシーンを挟み込む物だから更に長く、いつまで阿南さんは苦しんで居なきゃならないの、と息を詰めて見ていた私は本当に苦しかった想い出しか有りません。
三船は非常に呼吸の上手い役者で、私は勝手に三船の事を「呼吸の三船」と呼んでいますが、このシーンではそれが遺憾なく発揮されていました。
ずっとマイクは三船の呼吸を拾っているのですが、呼吸器疾患の喘息患者である私は、何が苦しかったってこの呼吸が苦しかったです。
様々な呼吸が異様に上手いのですが、殊に苦しい息は秀逸。何処で仕入れた知識なのか、その時々に実に有った呼吸を色々披露してくれます。呼吸器疾患の患者は、人の呼吸には通常の人間より遙かに敏感ですから、この点に付いては間違い有りません。
どす黒い血しぶきのこのシーンを経て、物語はそれとはほぼ無関係な顔をして終息へ向かいます。
私のような物知らずから見ると、「二・二六、太平洋戦争版?」でしたが、日本帝国はこうして藻掻きつつ、喘ぎつつ終わりを告げたのですな。
映画を見終わった感慨と共に、奇妙に虚しい気持ちになる映画でしたが……現実はこんなに綺麗な訳はないよな…とも。
上記の自刃シーンには、実は一つ零れ話が有ります。
噂なので、当人の手記から私が直接確かめた訳ではなく、私としてはすこぶる疑問な噂です。どう考えてもそれは三船のキャラとは思い難いので、恐らくは何人かの口を渡る内に、幾つかの要素が書き換えられた物だとは思うのですが………
と、思っていた矢先に情報入手。真相が分かりました。やっぱり相当話が変わってます。うん、私の想像は正しかった。
いずれこれは、「アプレ」のコーナーで取り上げたいと思っております。
ちなみに、この阿南さんの実子が、阿南惟茂(あなみ これしげ)さんで、例の在瀋陽総領事館の北朝鮮人亡命者連行事件で有名となった大使らしい。名前を聞いた時にアレ?と思ったものの、本当にそうだとは。
ううう〜〜〜〜〜〜〜〜〜む。良いのかそれで、阿南さんよ。