「タイホされたくなかったら、三つで手を打ちますよ。」
 「さぁ、何の事かな。」
 「芋、玉蜀黍。何でも構いませんって。じゃ、二つ。二つで手を打とう。ね。最大譲歩ですよ最大譲歩。」
 小さく吹き出して荷物を預ける。岡本は満足そうな笑みと共に、ずっしりと手応えのある鞄を一つ受け取った。
 程なくして、二人は居心地の良い我が家に辿り着く。
 いそいそと荷物を下ろし、所定の場所にお宝をしまい込む草薙の後ろに付き、岡本が手を差し出した。呆れる。冗談だと思えた軽口は、本気だったのか。
 無言の催促。ねだるようにぴくぴくと動く指先に、仕方なく草薙は芋を掴んでそこに乗せ、掌がしっかり獲物を握り取る前に引き上げた。
 「ああ、酷ぇ。」
 「生じゃ食わないだろ。後で千絵さんが調理してくれるさ。それまで待て。」
 ちょ。小さく舌を鳴らし、土間の台所で踵を返す岡本の姿がいつもと違う事に、草薙は初めて気付いた。
 洒落っ気の所為か、あるいは手持ちがない所為か、いつも頭の先から足の先まで黒づくめの岡本が、今日は妙に白茶けた格好なのだ。
 新手の装いかと、からかい半分に肩を叩くと白い粉が巻き上がる。肘の辺りを掴むとパラパラと小さな固まりがこぼれ落ちる。
 思わず顔を合わせ、無言のまま二人がかりで岡本のすす払いとなる。
 黒い衣服の上をうっすらと白茶に覆ったのは埃と土だった。叩く内に、岡本は徐々にいつもの装いに戻って行く。草薙は苦笑した。
 「東宝は今、棚卸しの時期かな。それとも大掃除かな。まさか新聞に載ってた労働闘争じゃないよな。」
 「わざとらしいなぁ。― 知ってる癖に。」
 確かに知っていた。
 世田谷区砧と言えば、外れではあるがご近所さんの片割れである。広大な敷地に、巨大な倉庫然とした建物は目立つし、連日そこに幟(のぼり)が立てば嫌でも人目を引く。
 東宝は、昭和二十一年十一月現在、従業員組合争議のただ中にあった。
 「労働者に救済を!!」「東宝五六00人はがっちりと腕を組んだ」等と書かれたプラカードを持った団体が通りを闊歩し、大きな赤旗が門にはためけば、周囲の人間が気付かぬ訳はさらさらない。
 「君らも、あの五六00人に入るのか。」
 「まぁそうですねぇ。俺、一応戦中から東宝にいますからね。もっともカチンコ叩く前に徴用令来ちゃって、らしい事は何もしてませんけど。
 戦前の膿が出たって言われてもピンと来ないけど、一応総従業員五六00人には入りますよ。」
 岡本 喜八。昭和十八年九月十八日東宝入社。明くる昭和十九年一月、応徴。
 戦争中だよ、良いの? そう言う学生課の就職事務員の言葉を圧して入社した、僅か三ヶ月半後の事だった。
 帰る事はもう無いだろうと思った旅立ちだったが、岡本はここにいて笑っている。
 

 東宝従業員組合争議の主な原因の一つは、戦前の絶対主義的な天皇体制の制作姿勢にあったと言われる。
 日本映画は、もともと歌舞伎をフィルムに収めたことから始まったもので、投機興業としての色合いが強い。その為、資本主義的な発展には出遅れ、経済的に過酷な状態にある時期が長かった。
 東宝が出来たのはそんな時期である。
 昭和十二年、P.C.L(Photo Chemical Laboratory 写真科学研修所)と京都のJO撮影所の合併により、「東宝映画株式会社」は設立された。ほぼ設立の当初から東宝は、その時代的背景もあって、軍事的目的に利用される機会が多かったと言って過言ではないだろう。
 十六年、真珠湾攻撃後、太平洋戦争に参戦した後は、戦意高揚の為の奮起剤として、多くの国策映画が作られた。
 「ハワイ・マレー沖海戦」「決戦の大空へ」「加藤隼戦闘隊長」等々、多くの国策映画が世に送り出され、その制作によって軍部と結託して特権階級を得る者も、映画界の一部には確かに存在していたのだ。
 しかし、戦争が終わった今。
 絶対的天皇制はもう無く、軍部の圧政もない。その替わりに入り込んで来たのは、戦後のGHQによる民主化政策であった。
 戦後復興を目指す映画資本家達は、何の策も持たぬまま米国軍と占領政策に迎合した。撮影所周りで連日パーティを開き、女優達をそのパーティにホステスとして出席させた。そこにあったのは進歩ではなく、ただ、生き残る為には手段を選ばぬ、腐敗した迎合だったのだ。
 我々が作って来たのは「映画」ではなかったのか。「芸術」ではなかったのか。「文化」では「思想の具現」ではないのか。
 女は「女優」であり、「ホステス」ではない。男は、照明や助監督であって、給仕係ではない。
 根本的な思想が変わり、体制が変わる流れの中で、映画関係者達は急速に労働者として、芸術家として目覚めていったのである。
 自らの手で、映画という芸術の発展と、労働者としての権利を掴み取らねばならない。
 そして、東宝従業員組合は闘争の中へと駆け込んでいくのである。
 

 「ストライキですよストライキ。労働組合争議じゃなくて、従業員組合争議。そりゃあもう大騒ぎで。いつまで続くことやら。」
 昭和二十一年三月、第一回目のストライキ、十五日。十月、第二回ストライキ、五十日。
 十一月現在、ようやっと動き出しはした物の、連日、従業員組合と会社側の連日の小競り合いが続いている状態である。
 「ま、給料は出てますんで、なんとかなってますし、それでもこう、何て言うのかな。物を作っているって言うワクワク感は有りますけど。」
 戦争から帰って来たら、また戦争ですよ。苦笑してそう言う岡本と共に上がり框に腰掛ける。
 ストライキだか労働争議だか、従業員組合争議だか知らないが、恐らく理由はどうでも良いのだ。世の中は熱くなれる何かを求めている。戦争と同じくらい夢中になれる何かを、求めてやまぬのだ。
 絶対に勝つと思いこまされていた戦争が敗北に終わり、失望する間もなく生きる事に邁進する人々に必要なのは、その礎の代わりになる何かなのだ。生きる目的となる何か。精神を解放し、心の拠り所となれる何かなのだ。
 それを既に見つけた者もいる。だが、大半の者は見つけられぬから、何かに熱くなろうとする。
 正当な理由を付けて。やむにやまれぬ事情を探して。何かに熱くなろうとする。その一つがこの従業員組合争議のように思えて、草薙は溜息を吐いた。
 「戦前戦中は、絶対的な天皇制だったから、映画はきつい検閲下に有ったんだろ。それで今はどうなった?
 終戦になって、自由だ民主化だと体の良い占領政策に踊らされちゃいるが、結局検閲するのが帝国軍部からGHQに変わっただけで、何も変わらないじゃないか。」
 草薙の憤りに岡本は苦笑した。そうですねぇ。中途半端な返事をする。
 「まあ、自由なんてのは大概幻で。不自由だから目的も有るし、それで生き甲斐もあるってね。」
 草薙が目を上げる先で、岡本が指を一本突き出した。
 「ストの所為で大先輩方が大量に抜けましてね。新東宝に監督も助監督も俳優もごっそりお引っ越しです。
 まあ、お陰様と言うか何というか。俺も助監督のフォースになりました。」
 「助監督。フォース。サードって言うのは良く聞くけど……それ、小間使いとは違うのかな。」
 「お、当たり。凄い、草薙さん。」
 「凄い、岡本。」(※4)
 つい、二人で顔を見合わせて笑った。
 いつからだろう。草薙は気付いて驚愕した。
 いつから自分はこのように、微笑み、声を出して笑うようになったのだろう。自らの笑い声に自らでおののいて、身を固める。
 岡本はそれに気付かずに話を続けた。
 「俺、"四つの恋の物語"の豊田四郎監督に付いてるんです。これからは忙しくなります。ここにもなかなか帰れないかも。あ、そうそう。
 三船ちゃん、デビューするらしいですよ。」
 「何…!?」
 驚きに驚きを上乗せされて、予想以上の大声になる。岡本がきょとんと草薙を見詰めた。
 

 俳優なんて、ツラで飯食うなんて、男のやる仕事じゃない。

 ……あんた、おしゃべりじゃ無いよな。よけいな事は言いっこなしだ。

 青年のふてくされたような声が蘇る。
 幾つかの謎が、胸の中でパズルのように、かちりと音を立てて重なり合った。


 


 
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【この物語はフィクションです。実在する個人/団体名をお借りしておりますが、事実とは無関係です。】
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