□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 面倒だが仕方が無い。手順は踏めば踏むほどリアルになるとリーダーが言えば、それに従うのが部下の務めだ。
 最大限手間の掛かる方法を考えた挙句、シンプルになった。選んだのは「怒る」と言う、実に単純な方法だったのだ。
 
 リーダーの唯夏こと岐萄 夕麻は、"やや気になる男"の城野 匡の策にかかり、無理矢理殉徒総会に入れられる事となった。
 気の弱い、或いは人の好い夕麻が、断り切れずに殉徒総会に入ったと聞いて、冬馬こと姉思いの弟、岐萄 朝人は放ってはおけない。殉徒総会の代表ナンバーに電話をかけ、大抗議と相成った。
 一体これはどう言う事だ。姉が安っぽい鈴を買って来て、殉徒総会の正会員になったと言っている。俺も自動的に入会させられた。俺はそんな事は納得しない。姉の入会にも納得しない。大人数で囲い、女から金を巻き上げるのがお前達のやり方か。お前達の宗教か。そんなもの、女を食い物にする、とんだエセ宗教だ。ぶっ潰してやる。
 そう電話口でいきまいた。軽くあしらわれるのではないかと言う予想に反して、電話の相手が震え上がった物だから、途中からどんどんヒートアップした。最後はスペイン語訛りの英語で怒鳴った冬馬に、先方は反射的にごめんなさいと叫んだ。
 私では判断が出来かねます。上の者に相談しますので、必ず後ほどこちらからお電話いたします。お待ち下さいと言う涙声の台詞を途中で切って受話器を叩き付ける。
 冬馬の大芝居をずっとニヤニヤと見守っていた唯夏は、最後には声を上げて笑った。
 「やりすぎたか?」
 確かに、普通の日本人ならここまでアグレッシブな抗議はすまい。だがどうせ姉弟は「岐萄一家の外れ者」の設定だ。
 岐萄友充の出来損ないの末弟の子。ずっと海外に住み、骨を埋めるのかと思えば、つい数年前に帰って来てのほほんと暮らしている金持ちの世間知らず達。彼らがどんな個性の持ち主でも、不自然ではありはしない。
 端正な顔を笑いに歪めて唯夏が首を振る。小さな溜め息が、彼女が本当に吹き出していたのだと知らせた。
 「構わないだろう。元より存在しない岐萄家の末弟の娘息子だ。実在の子はとうに齢50を数える者ばかりだ。書類と、数々の証言の中にしか存在しない姉弟なら、派手な方が面白い」
 折り返しの電話は直ぐにかかって来た。代表の者が直接お話します。ご都合の良い時間をお知らせ下さい、そちらにお邪魔いたします、と言う。
 こちらから出向くから、今すぐ会えと言うと、しり込みされた挙句、またも折り返すと言って電話が切れた。
 楽しそうな唯夏につられて冬馬も笑う。
 面倒だが仕方が無い。派手に抗議するならば、電話ではないだろう。冬馬は殉徒総会のシンポジウムに直に怒鳴り込む事にした。
 
 門脇短期大学、正午開場。45分開演。
 シンポジウムの概略と時間は予め聞いている。国会解散を恐らくは週明けに控えた日曜、殉徒総会東京が力を入れた折伏会をやる。最高の演者を揃え、信者の大量捕獲を目指して居る。その場で"岐萄"が騒ぎを起こせば、確実にトップが出て来るだろう。逆に言えば。
 これだけのお膳立てをしてやれば、トップが出て来ても不自然ではないだろう。周囲の誰から見ても。
 普通の抵抗はしたが、岐萄は殉徒総会に飲み込まれる。抵抗したのは弟の方で、それを上層部が上手く丸め込み、広告塔に仕立て上げると言う筋立てだ。破綻は無い。
 上層部とはこの場合、榊 継久が好ましい。岐萄の手柄を榊が得、そこで強く結ばれるのが好ましい。勿論それは、殉徒総会にとって、ではない。
 秋津にとって。
 "岐萄 朝人"は12時36分に門脇短期大学の講堂入り口のガラス扉をくぐった。
 今日はきちんとした抗議と言う名目であるから、多少は格好にも気を使った。破れたジーンズや奇妙な文様のTシャツではなく、それなりに品良く見える服をチョイスした。黒のスラックスとダークレッドのワイシャツ、黒革のブルゾン。冬馬としては、フォーマルを意識したカジュアル、と言うラインのつもりだ。それでも、服全体の色が黒やダークレッドと暗く、髪の色が白っぽいグレーであるから、威圧感は拭えない。
 案内嬢達が構える受付を通過し、事務室はその奥かと踏み入り、その場の全スタッフがうろたえている隙に内廊下を進む。案内についているのは7割が女性で、いずれも冬馬より遥かに小さい。男性スタッフにしても、冬馬と並ぶものはまず無い。大股に突き進んでしまえば、追い縋れるものは誰一人としていなかった。
 何の障害も無く奥の扉に辿り着き、「控え室」と書かれた扉に腕を叩き付ける。
 瞬間。後ろから腕をつかまれた。
 先生。
 そう叫ばれて少なからず驚く。振り返った先に酒井 美也の顔が有った。
 「先生、岐萄先生! 待って下さい。そこは駄目です!」
 腕に抱きつかれ、引き寄せられる。肘の下に柔らかい温もりを感じて見下ろす。白いふくらみがそこに有った。
 襟ぐりの大きく開いたベストスーツは、冬場には合わない。冬馬の背だと、豊かな胸許が労せずして覗けるが、その目的の為としか思えぬコスチュームは、カルト教団の底の浅さを示す以外の何物でもない。冬馬は掴まれた腕を軽く振り切った。
 ほんの軽く、振り切っただけのつもりだったが、余程バランスが悪く出来て居るのか、酒井 美也はその場に派手に転がった。ヒールが弾けて床で硬い音を上げ、その場の全員の注目を浴びる。
 やれやれ。招かれざる客は大げさに溜息をついた。
 白とも見える頭の青年が、内廊下を駆け寄る人影に向けて仁王立ちになる。駆け寄って来るスタッフの波はびくりと、その動きに合わせて停まった。青年は長い前髪の下から威嚇するように、或いは馬鹿にするように、ぐるりと周囲を睥睨する。
 お笑い種だ。騙される側だけでなく騙す側も、これではとんだ羊の群れではないか。ほんの一握りの牧場主と凶暴な犬に追われて、双方が柵の内と外でメェメェ鳴いているだけだ。
 誰一人として、犬や飼い主に突進しようと言う者は無い。臆病で判断力のない肉の群れだ。嘲笑が零れ出た。
 ふん。
 「のほほんと日本の平和に浸かりきって、それでもまだ足りずに平穏を求めて宗教か?はは、カモが入る先は鍋と決まってるんだぜ。
 ―― ここがそうだ」
 控え室の中から湧き出した人の群れが、冬馬を囲んだのはほぼ同時だった。
 
 
 席の9割が人影で埋る頃、背後で痛々しい音がした。
 押し殺したような女性の悲鳴と、ごつんと言う鈍い音、缶などの散らばる音、それらが一時に背後から流れ出て来た。内廊下が騒然として、講堂内でも何事かと何人もの人々が立ち上がる。スタッフの数人が走る。妙な胸騒ぎがして、長沢も席を立った。
 と同時。演壇奥のスピーカが、わぁん、とけたたましい声を上げた。全員の注意が一瞬、そちらに引き戻され、続く勇ましい音楽に、ほぼ全員が動きを停めた。
 「お待たせいたしました。お時間より少し早めで御座いますが、開演させて頂きます。皆様、お席にお着き下さいませ」
 酒井医師と視線の交換をする。
 ここで下手に動いて、妙な注意を喚起するよりは、ここは大人しく従うべきだ。互いに納得して席に着く。勇ましい音楽の正体は直ぐに知れた。
 「総会歌04、だってさ。ここに楽譜と歌詞が書かれてるよ」
 酒井医師が苦笑交じりに言う。長沢も茶封筒から歌詞を引き出して苦笑する。宗教団体が、自らを救いの戦士と称する歌である。誤った道に落ちる衆生を、正しい道に導く聖なる戦いの歌だと言う。カルトの戦いが聖戦などとは片腹痛い。
 日本では「カルト宗教の聖戦」と言えば、誰もがオウム真理教を思い描く。浄化と称して彼らが行なったのは、サリンやVXガスによる化学物質テロだった。カルトの聖戦は即ちテロであると以外の物は想起出来ぬと言うのに。宗教団体の感覚は、いつも一般人とはズレている。
 ご起立、下さい。スピーカが言う。いつの間にか、演壇に人が集っていた。
 演壇を囲んで緩い円状になったアリーナの部分には、中央に備えられた大きな木のテーブルの両脇に、多くのパイプ椅子が配置され、既にそこが埋っていた。演壇左には大きな椅子がこれ見よがしに置かれている。演壇より前、演壇よりやや土台が高く組んである所等、実に非合理的だが、これはこれで正しいのだ。
 ここは彼らの"教祖"の席であるからだ。
 斉唱。そう掛け声がかかると、パイプ椅子の全員がオペラ歌手よろしく声を張り上げ始める。勿論、殆どの観客は殉徒総会の歌など知る由も無いが、いつの間にか客席前方を埋めていた総会員の斉唱にひき吊られるように口を開ける。曲自体はありふれた軍歌調の作りであるから、合わせていれば知らずとも歌える。だが、お陰で一つ分かった。
 殉徒総会の"さくら"は、前方参列目までだ。他にもぱらぱらと散って居るようだが、長沢がチェックすべきなのは、壇上と参列目まで。後の人間は凡て無視して構い有るまい。
 歌が終って、ご着席下さい、の声が掛かると同時に、長沢は周囲ぐるりをカメラに収めた。夜景、ズームの設定なら、人の顔が相当クリアに映る。壇上と前方参列目まで、可能な限り顔が分かるようにカメラに収める。よし、と思うと同時に肩口をつつかれた。
 振り返ると、先程内廊下に居た案内嬢がそこに居た。
 「申し訳ありません、お写真はご遠慮願えますか?」
 当然だろうと思いながら、わざとらしく驚いた振りをする。
 「あ、す、すみません。会場内撮影禁止とは知らなくて」
 「会場内は一般の方ばかりです。プライバシーが有りますので、申し訳ありませんが…」
 「分かりました。申し訳ない。荘厳だったものでつい…」
 言いながら、彼女の目の前でカメラをケースに入れる。長沢がケースを書類鞄の中に押し込むのを確認してから、会釈をして遠ざかる彼女の背中に、長沢も頭を下げた。
 酒井と視線で合図する。これ以降は、長沢はいわばカメラ代わりだ。万能ではない人間が勤めるカメラであるから、見る方に精一杯で何らかの状況に即応出来ぬ場面も有り得る。その時はよろしく。事前の打ち合わせ通り、酒井医師が頷く。
 一般の観客に、即応せねばならぬ事態などまず無いが、用心に越した事は無い。酒井医師は深呼吸した。
 場内アナウンスが途切れ、音楽が掻き消えると、演壇に燈りが溢れた。
 薄暗い講堂内は、いつしかほぼ満席になっていた。そっと見回して感心する。やはり大した物だ。腐っても公正党は政権与党の一角にいるのだ。その支持母体のカルトの集客力は侮れぬ。
 演壇後部のカーテンの中から、すらりとした体躯の女が歩み出る。会場のあちこちから嘆息めいたものが上った。長沢にその理由は分からなかったが、酒井医師の方は分かったようだ。他の観客と同じタイミングで、ほう、と感嘆の声を上げる。
 「皆様。遅れましたが、新年、明けましておめでとう御座います。ようこそ本日は、殉徒総会新春シンポジウムにお出で下さいまして有り難う御座います。私、進行係を勤めさせて頂きます、南 優輝で御座います」
 名に聞き覚えが有った。
 「宝塚口少女歌劇団の元花形スターじゃないか。彼女、殉徒総会だったのか。知ってた?マスター」
 いいえ。と言う意味で首を振る。彼女が殉徒総会だった事を知らないだけでなく、彼女が少女歌劇団にいた事すら知らなかった。だが今、二つ同時に教えて貰った事になる。
 宝塚口市。有名な少女歌劇団のある場所。そこは谷之 俊也の出身地だ。そして宝塚口は、岐萄 友充の出身地の芦屋市の直ぐ隣。加うるに。
 羽和泉 基の出身地の垂水区のすぐ側だ。
 兵庫県には政治家が多い。だがそれだけで終る問題ではない。偶然などあるものではない。偶然に見えるものの殆どは必然なのだ。
 殉徒総会と宝塚口少女歌劇団に関連があると今知った。そして。他の必然もたった今、知った。
 
 
 控え室から出て来た人数、5名。講堂内から飛び出して来た人数、11名。廊下の警備スタッフ16名。計32名の男女が冬馬のぐるりを取り囲む。間抜け過ぎて溜め息が出た。
 取り囲むなら後ろから掴みかかるかと言えばそうではない。同じ距離を置いて睨んでいるだけだ。退屈なので一歩進み出すと、同じ分だけ引く。これは単に、取り囲んだと言うポーズに過ぎない。無視して講堂に進むと、慌てて扉を閉められた。同時に中から音楽が流れ出す。必要以上に大きな声の、例の"まじない"の言葉や、舞台挨拶の音声が流れ出す。騒動を折伏会から切り離そうと言う意図がはっきりと伝わって来た。
 では、だ。
 この羊たちは冬馬に本気で抵抗しようとしているのだ。驚いた。
 下らない、と思った。この程度で、本気の抵抗だと言うのか。遠慮がちで弱々しい、これが羊の本気の抵抗か。羊以外の生き物は、目の前に立ちはだかる物は全力で排除する。それが本気だろうが悪ふざけだろうが関係ない。全力で薙ぎ払う。生き残りたいなら……本気の抵抗とはそう言うものだ。それ以外には無い。
 手始めに扉の前に立ちはだかる障害物の足を払う。それがたまたま女で、みっともなく転んだものだから、何人かから非難の声が上がった。
 「何だお前!手を出すなら警察を呼ぶぞ!乱暴はやめろ」
 声の方向をふり返りって構える。女に手を出されて怒ったのなら、攻撃して来るが良い。来い、と指で招いて見せる。
 先方は、冬馬の浮かべた笑みに怖気を振るった。その場の全員が一斉に後退さる。
 「呼べよ」
 「ああ?」
 「呼んで見ろ。望むところだ」
 お前、何を。数人が意気込む。冬馬の笑みは深くなった。口だけ立派な犬がキャンキャンと吼えている。何と取るに足らぬ。一噛みで凡て終わりだ。
 「警察が必ずお前達の味方をすると思っているのだろう、殉徒総会。試してみろ。俺を取るか、総会を取るか。いや正確には。
 総会を取るか、俺のバックを取るか、だな」
 全員に怪訝な表情が宿る。見得を切るにしても、こんな見得を切った人間などまずいまい。正誤の判断ではなく、警察に対する影響力の強さで殉徒総会に勝てるなどと口走る人間など、常識的に有り得ない。全員が怯むと同時、控え室からもう一人駆け出してきた。
 「申し訳ありません!こちらへ。どうぞこちらへ!」
 周囲に構えている人間を押しのけ、真っ直ぐに冬馬に近寄る。胸元には写真入りのタグが掛かっている。他の全員にこれは見られない。タグに責任者と言う文字が見える辺り、この中では一番の上司に違いあるまい。
 上から憮然と睨みつけると、男は何度も頭を下げた。腕に縋りつき、どうぞと言いながら引気寄せる。冬馬は物言いたげなスタッフを見回した。
 「警察を呼ぶと聞いた。もう連絡がついたか」
 「と、とんでもない、警察なんて!どうぞ、どうぞどうぞこちらへ!君達は配置について。早く、早く戻って!ささ、どうぞこちらへ!」
 その場の全員に手を振り、散れと合図をする。指令を受けた若者達は納得が行かぬ表情のまま構えを解く。あれ程逃げ腰だったくせに、一応戦っているつもりだったと言うのが滑稽だ。
 青年も構えを解く。周りを囲む連中から顔を反らす。視界の端を、倒れたままの人影が掠めた。
 「そこ。倒れている、酒井 美也は俺の知り合いだ。警察に通報しないと言うなら、彼女を連れて来てくれ」
 全員の視線が冬馬を離れて彼女に注がれる。視線が改めて戻って来る頃に投げキスをすると、全員が身を固める。当の美也が赤くなって俯くのを、責任者が抱え上げた。
 「君も来て」
 「で、でも私は、受付……」
 「いいから、来なさい」
 おどおどと近付く美也に手を差し出す。どう反応して良いのか困り果てた彼女が出す手を、冬馬は引き寄せた。
 弾力のある身体だ。若い女の。こんな場所でなければ、このまま抱いてしまうのも一興なのに。恐らくは誰からも文句は出ないだろう。殉徒総会からも。彼女からも。
 「さっきは悪かった。それほど力を入れたつもりはなかったが」
 責任者が二人を控え室に招じ入れる。
 冬馬は、立ち尽くすスタッフ達をふり返り、わざとらしい程の笑顔で手を振った。
 本日の冬馬の役目は、殉徒総会への抗議パフォーマンスだ。
 パフォーマンスで榊 継久を引きずり出し、彼と結ぶ。彼の今日の役目はそれだけだ。その為の方法は彼に一任されている。何をするにも自由だ。ならば。冬馬は思う。
 好き勝手やらせて貰おうじゃないか。ゴールに辿り着けばよいのなら、それまでは満足するプレイを楽しもう。そうだ、満足するプレイを。
 誰からも、文句など出はすまい。
 

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