□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 翌日曜日。殉徒総会のシンポジウムから丁度一週間経ったその日、長沢の元に二つの情報源から連絡が入った。
 一つは、秋津。いや、正しくは秋津の白露と言う見張りから、だ。
 いつも店のシャッターを長沢が開ける事を承知の彼が、シャッターにメッセージを託して行った。小さなメモ帳にポツンと時間だけ。20:10、そちらに行くから用意しておけと言うのだろう。
 ご丁寧にワープロ文字をセロテープで覆い、ありふれたメモ用紙の真ん中にそれだけが黒々と輝いていた。雨に濡れても文字が消えずに残ると言う心遣いだろうが、有り難いとは思えなかった。ちぎって住居スペースのゴミバコに放り投げながら小さく舌を打つ。
 随分と引っ張ってくれた物じゃないか。こちらから連絡が取れぬのを良い事に一週間も。
 長沢が殉徒総会にタッチするのを阻止しようとした白露を言いくるめたのは先週の金曜。そこから数えれば10日にもなる。この期間放置するのは幾らなんでも怠慢である。もっとも。
 何かハプニングでも有ったのなら別だ。望まぬ人物と鉢合わせるなどのハプニングが。
 長沢は、金曜日に白露に取引をもちかけた。
 殉徒総会に一切近付くなと言う秋津の意思に従う気は一切無い。長沢が殉徒総会と接するのは、秋津と無関係な事柄であり、それを阻止したくば、任意の事故等を起こして長沢個人の動きを封じ込めるしかない。ただし、そうした実力行使に出た場合の手は複数打って有る。
 長沢の言葉に、秋津は兎も角、白露は反応した。実力行使で口を塞いでも、もちうる限りの情報をそこら中のWEBに撒くという言葉に判断を迷った。言葉の真偽を確かめる為には、実際に実行するしかない。やってみるが良い。そう言われたと、彼から秋津側に情報が上った。
 長沢 啓輔を殺すのはいつでも出来る。今は利用した方が得策だ。奴は市民活動家と公安警察現場に耳が有る。これがどの程度有効かは未知数だが、価値が無いと分ってからでも消すのは遅く無い。奴は独自に秋津のデータを持っていると言うが、その言葉の真偽も調べねばならない。それがはっきりするまで、処分は猶予すべきだ。
 少なくとも秋津の素性を、どこかのWEBの掲示板で見るよりは良いアイデアだろう。 
 秋津はすこぶる不快に感じたろう。白露の評価が落ちるか上るかは、彼の報告の方法一つに掛かっている。長沢からは、出来る限り彼が有能に見える伝え方を伝授したので、彼に罪悪感は無い。
 だが、何にしても対象を制圧し切れていないのは確かなので、良い結果を出さねば白露の立場は苦しい筈だ。
 だからこそ、長沢との情報交換は密にすべきなのに。秋津と一般人と言う身分の差などを気にしている点が既に小物だと長沢は思う。
 情報の回収は事の、何と一週間後。長沢は憤慨しながらも受け入れる。今夜、20時10分。どうせ、楢岡が来ないように、そこらの工作はしっかりかけているのだろう。ご苦労な事だ。
 そしてもうひとつ。
 もう一つの情報は、欄天堂大学の酒井医師からもたらされた。
 日曜日である為にラッシュも無く、のんびりと北村と二人で新しいメニューについて話し合っていた時、電話がなった。
 「あ、マスター。酒井です。この間は有り難う。本当にお世話になりました。傷は大丈夫?……そう。そうか、それは良かった。うん。一週間経って頭痛も眩暈も無いなら、大体安心して大丈夫だ。うん。ああ、それでなんだけど。
 その、申し訳ないんだが。うん、またお願いになっちゃんだが、是非、話がしたいんだ。今日良いかな?――うん。うん、有り難う。
 じゃ、9時に行きます、すみません。ああ、ケーキのハーフ&ハーフって今お願いしても大丈夫?うん。うん。ちょっと待って。……じゃそのウィンターフルーツとチョコベリーで。はいお願いします。じゃ、後で」
 主旨は、9時からの休み時間に医師がSOME CAFEにホールケーキを買いに来てくれると言う事だ。これは素晴らしい。プティ・オレンジに早速注文を伝えて持って来て貰う。早朝の内であれば、注文の変更、追加は柔軟に受け付けて貰えるのが、お得意の特権だ。
 更に嬉しいのは。どうやら殉徒総会の追加報告が有るらしい。
 愛する娘の奪還に成功し、心の奪還の為に一週間、娘に付きっ切りの父親の願いなど、想像に難くない。必ず愛娘の事であるし、このタイミングで愛娘関連の願いと言えば、必ずや殉徒総会に関する事に違いないのだ。となれば。
 今の長沢にとって、これ程のご馳走は他に無い。
 奪還から一週間。(株)バッカーとは3度、酒井とは僅か一度きりしか接触は持てなかった。故に彼らから新しい殉徒総会関連情報は得ていないのだ。
 わくわくする。殉徒総会及び、公正党に関しての基礎知識は、一昨夜、反公正の第一任者から、生の意見を聞いて大体整えた。現在、関連書物を玄之堂で漁っているが、そう目新しい知識は無い。スピーカがざっと教えてくれた事は、多くの情報を網羅し、咀嚼し解説してくれていた。今なら、脳の回路はばっちり殉徒総会に繋がっている。脱殉徒総会員の"新たな願い"にも、恐らくは即応できる筈だ。
 休日出勤だとぼやくサラリーマンのモーニングを手早く用意する。手を動かしながら記憶を辿る。厨房は、長沢にとっては居心地の良い書斎に等しかった。
 反公正のスピーカはさらりと言った物だ。
 敵は殉徒総会で公正党だが、僕達の目的はその"撲滅"で有っても"公正党の消滅"ではない。
 公正党つぶしが、反公正のモットーだと信じ込んでいた長沢は、これには酷く驚いた。絵本を読んでくれるのを待つ子供の気分で、准教授の声に聞き入った。
 

 
 「僕らの最終目的は、殉徒総会の"消滅""撲滅"。総会的なもの凡ての消滅。
 その為の方法論として、公正党の弱体化。消滅ではなく、活かさず殺さず残したまま殉徒総会消滅にたどり着く事です」
 座敷席に移って席を決めた開口一番、准教授が恭しく口を開く。長沢は対峙した准教授と、乾杯予定のカップを持ったまま固まっていた。
 反公正の市民活動家の目的なのだから、当然、公正党の解散、消滅の筈だ。そう思うのが、むしろ常識的ではないか。准教授があわせてくるコップに無意識に合わせるが、頭の中はクエスチョンマークで満杯だった。
 殉徒総会の一部については、長沢もそれなりに触れて来た。
 確かに十年以上も前の事であったし、極々ローカルなぶつかり合いで有ったし、組織全体を云々する捕らえ方はしていない。それでも一般人よりは殉徒総会の何たるかを肌で感じている。総会員がどのように考え、どのようなルートで動くのか、その教義とは何かを、自分なりに大まかに掴んだつもりでいた。だが、公正党の内側など、知る由も無い。
 であるからこそ、反公正の第一人者に当たった。港区の総本山に、唯一、部外者で長々と入り込んだ男に当たった。当然、公正党消滅を願う!と言うと思った人の口から出たのは、公正党を消滅させてはいけないと言う、予想外の言葉だったのだ。
 浅井 慎一は言う。
 公正党の消滅は、「暗がりの森で葉を探している最中に、唯一の燈りを手放すと同じ 」だと。
 無意識に首を傾げる長沢に、その人はカップを置いて向き直った。
 「いいですか。僕は殉徒総会の研究者じゃない。教義もね、元々日蓮宗衆が基本になっているので、読破するには洒落にならない量ですから残念ながら制覇してません。一辺倒の事は学びましたが、所詮、生兵法ですよ。殉徒総会の信心について正すのは、宗教家に道をお譲りします。一切、余計な口は挟むつもりは有りません、と。ただしね。
 公正党がやってるのは政治です。彼らにとっての政治は、僕らにとっての教義と同じ、生兵法。ここを見ているとね、殉徒総会の凡てが透けて見えるんですよ。
 公正党の綱領から、殉徒総会の目的が見える。マニフェストから殉徒総会の夢が見える。政策から足許が見えるんだ。公正党のコートを着て、無防備に動き回る教祖様の野望が見える、欲望が見えるんです。公正党は、殉徒総会を世の中に向けて映し出してみせる、唯一の灯火なんですよ。だからこそ、彼らは取って置かねばならない。壊してはならない。ただし。
 生かさず、殺さず」
 目から鱗が落ちた気がした。
 浅井は現在、公正党の重鎮三人にターゲットを絞り、連日、街宣、ポスティング、デモ等々、彼らの受託収賄と偽装会計について糾弾している。
 三人は順に、前公正党代表の前橋 泰博、現代表の山崎 岳也。そして次期大臣が見込まれる大畑 仁だ。
 この三人の疑惑を暴くと言う形で、彼らは公正に切り込んでいる。前・現代表と次代の担い手であるから、狙いとしてはこれ以上の物は有るまい。衆議院解散も決まったこれから、彼らにとっては忙しい日々が始まる。
 選挙の公示後は、特定の候補者を部外者が論う事は違法になる。そこが反公正市民団体の活動の限界だろう。選挙公示日は2月15日だから、その日までに何としても、上記三人の悪行を皆に知らしめねばならぬ。選挙期間は独楽鼠のように動き回る総会員に着いて回り、何とか売国奴の当選を塞がねばならぬ。
 凡ての結果は衆議院総選挙投票日、28日に出る。
 生かさず殺さず。
 浅井は、現在の公正党の党員は凡て、名誉会長及び教祖の里中信者であると言う。殉徒総会の一貫教育で出来上がった、純粋培養の教祖の信者が、俄か政治をやっているのだと。そんな物は教祖の一声で翌日には消えると。
 殉徒総会が既に仏教徒ではなく、里中教になっているのは傍目にも良く分かる。一貫教育も理解する。だが、公正党の立場がそれ程弱いと言うのは俄かには理解しかねる。間違っていると言うのではない。違和感を覚えるのだ。
 「分るよ長沢君。公正党程のキャスティングボートを握る政党を、幾ら教祖様でも潰す真似はしない。そう言いたいんだろう? でもそれは、国法世法に縛られた意見だよ。彼らにとってこの二つが、どれ程重みを持つのか、僕は到って疑問だね。
 国法、国の法律ね、世法、モラルね。この二つの無い世界、タブーの無い世界で、政治がどれほどの意味を持つか考えてみてくれよ。彼らの目的は兎に角教祖を守ること。教祖のお言葉に従うこと。この二つだ。何でもありの世界で、この二つだけをシンプルに守れば極楽浄土に行けるんだ。だって教祖は絶対正しい。その言葉は必ず現実になる。政治にどれ程の意味が有るかね?
 思った事を何でもすれば良い。どんな汚い手も使える。それが功徳を積む事であると信じているから、良心の呵責など有り得ない。
 公正党の重要な存在意義のひとつは、教祖様を国会の証人喚問から守ること。このウェイトが大きいから、公正党は続いているだけさ。ここは信者の思いを受けて動く下請け企業みたいなものさ。下部組織なんだ。
 そりゃあ、教祖様だって鶴の一声で消すことに躊躇はしないよ」
 思い描く。国法世法を無視した、偏った仏法だけの世界を。崇拝するのは唯一仏。教祖様のみ。他は凡て等しく無意味な世界。単純な無政府社会。それを極楽浄土と言うのなら、行きたいとは決して思わぬ。
 「さて。
 現信者はそんな所だ。完全に教祖に従うコマの群れ。そしてこれは、年々一貫教育でもって増加して行く。殉徒総会が経営する学校から、毎年何万と言う数の洗脳済の若い力が旅立っていく。さっき言ったろう?
 彼らは日本国民だ。外国人や、在日の類とは違う。厄介さにかけては何枚も上なんだ。国籍条項と言う障害物は無い。公務員になれる。政治家にもなれる。法曹、検事局、警察、何にだってなれるんだよ。
 殉徒総会で生まれ育ち、国法も世法も持たぬ彼らは、しかし国を愛する日本人と同等に、国家を動かす中枢にどんどん入り込んでいる。完璧に一般人の仮面を被ったカルト信者が、国の中枢に潜り込んでいる。誰にも見分けはつかない。振り分ける事は不可能だ。これは恐ろしい事だと思わないか長沢君。
 その連中が従うのは、唯一教祖にだけ。そしてその教祖が目指すのは"総体革命"と言う。
 国の中枢の要所凡てに教祖の信徒を配置し、まずは大臣三人から初めて、最後には信徒を内閣総理大臣に据えるのさ。国家の考え方を殉徒総会の教義にし、国法を仏法に成り代わらせる。彼らの夢はこれなんだ。
 馬鹿げた夢だと誰もが言うだろう。事実、この話を何度、誇大妄想だと笑われた事か。分るよ。僕も実態を知らなければ、漫画だと笑い飛ばす。だが現実を知れば知るほど、その笑いは凍り付いていく。各組織に既に入り込んだ殉徒総会員の数を調べてみろ、ぞっとするぞ。
 警察官、6,4700人。裁判官、1090人。自衛官 71.300人。事務公務員、115.000人。各省庁の1/3の人数は既に殉徒総会員と入れ替わっていると思えば良い。これを妄想と笑える奴が何処にいる?居るとしたら、想像力の欠如した馬鹿者か、総会員だ。
 彼らが呼ぶ「総体革命」は、実は既に完成間近だ。この状況で、彼らにとって公正党がそれ程大きいと思うかね。
 ほんの一部なんだよ、公正党は。吹けば飛ぶんだ。これで良く分ったろ?」
 浅井の言葉の途中から、長沢は完全に無言になった。
 深い思考に落ち込む時の癖で、口許の髭に指を絡めて俯く。凡ての言葉に耳を尖らせながら、頭の中の情報を掻き出して繋げる。
 反公正スピーカは言った。殉徒総会を消したいなら、公正党を消しては駄目だ。生かさず殺さず利用せねばならない。
 最初は違和感を覚えたこの理屈も、凡て聞いた後では納得せざるを得なかった。政治は国家中枢の決定機関だ。だが決定機関に過ぎぬ。
 中枢を動かすのは、結局は他の実働部分だ。官僚などと呼ばれる実働部分。こちらの方が遥かに重要なのだ。そしてそこに、殉徒総会は準備万端、大勢が潜り込んでいる。回路になり、ギヤになり、回線になり歯車になり、各自の役目をきちんと得て潜んでいる。この状況で決定機関だけ取り除けばどうなるか。考えるだにぞっとする。
 暴走だ。暴走が起きる。カルト信者によるクーデター。三割と言うのは、その暴走が是となる人数だ。完全に日本は制圧される。長沢は、心からなるほどと思った。
 部品を照らす唯一の燈りを外してはならない。日本国家の死活問題を決する灯火。これを消すのは自殺行為だ。
 今なら分る。公正党は日本国家を内部から崩壊させるスイッチだが、同時にそれを阻止するスイッチでも有るのだ。
 徐々に分って来た。
 なるほど、そうか。これが狙いだったのか。長沢は思う。
 何と言う愚かな。偏った思考をしていたのか。公正党や殉徒総会を潰す方向でしか想像をしなかった。だがそれは、恐らく根本が間違っていた。だから見えてこなかったのだ。そうだ。今見ている景色が正解に違い有るまい。なるほど、この景色か。
 秋津の見る景色は。
 俯いたままの長沢の顔を、准教授はそっと覗き込む。やや暫くして気付いた長沢に、彼はわざとらしく口を押さえて笑って見せた。
 「長沢君、いやらしいな」
 「え? ――なんですか、え?」
 「今、君、滅茶苦茶にやにやしてたんだが気づいて無いだろ。公正党の話でそれだけニヤニヤ出来る人間、君以外多分いないぜ。にやにやしながら一生懸命何考えてた?攻略法でも思いついたか」
 苦笑する。笑っていたのは、今更ながらだが自覚がある。目を塞いでいた鱗が落ちた。思考を塞いでいた枷が外れた。急に拡がる思考と視界に、ワクワクしない人間などいるものか。笑いが出ない人間などいるものか。
 破顔して浅井を見つめる。深々と頭を下げる。
 「いや、目が覚めました。そんな見方が有るとは、悔しながら俺は全っ然気付きもしませんでした!やっぱ慎先生、流石。違いますねぇ
 あ、食って下さい。食って下さい。奥様にお土産も持ってって貰わないと。その為にも色々味わって下さいよ」 
 メニューを掴んで。長沢が楽しげに追加注文を出す。一番良い日本酒、と言う注文の出し方は如何なものだろう。はしゃぐ四十路男と言うのは、これで中々目の前にすると面白い。つられて楽しくなれば結果オーライなのが酒の席と言うものだ。
 「いや最高。気分が良いです」
 「あそう。長沢君は時々、訳の分らない所で大喜びするよなぁ。あ、これ美味い」
 「あ、じゃ、お土産メニューに加えましょう。ね。
 ねぇねぇ、慎先生」
 カップを片手に、長沢が肘でにじり寄る。酒に強くは無い彼が、既に相当酔っているのは面相で分る。髭に包まれていない部分は、肌色と言うよりはピンク色だ。浅井の方は、生徒との呑み会に慣れているので顔色の変化は無い。大体、話す方に夢中で、殆どビールくらいしか呑んでいないのであるから、当然といえば当然だ。
 「先生の話、よっく分りました。家帰ったら参考資料読み漁りたいので、書名とかお薦め有ったら教えて下さい。あとね。それとそれと。おねだりついでにもう一つ」
 「何だよ。欲が深いなぁ、長沢君は」
 子供のような言い振りに、浅井が苦笑する。黒縁眼鏡もつられて笑う。
 「先生の仰った"総体革命"ね。はい。それですよー。先生。先生実はそれ、"使える"と思ってるでしょ。殉徒総会潰しに、それ使おうと思ってるでしょ。いやいやいやいや、否定しても駄目ですよ。駄ー目ーでーすぅ。
 ね、それ、ちょっとだけ聞かせて下さい。ちょっとだけ」
 

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