□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 
□ 幽霊 □

 

 職務の一端でも、呑み会なら楽しめる。それが楢岡の長所でも特技でも有ったのだが、今日はそうは行かなかった。
 総務課を出る時に、洋興大学歴史文化学部准教授、浅井 慎一率いる「健全な政治を取り戻す会」こと「健政会」に新たな立ち寄り場所が出来た事を通達された。まだ未確認では有るが、週末からメンバーが出入りする機会が増えたので、今後のチェック店になるかもしれないとの事だった。
 店の名はSOMETHING CAFE。猿楽町の喫茶店。
 キタ。
 楢岡の感想はその二文字だけだった。
 以前に、浅井 慎一の事を「慎先生」と親しげに呼んでいたし、店に何度か来たと言っていた。店は学生街にあり、洋興大学は近所である。店の客には元々洋興大学生も講師も多いのだから、健政会の連中が出入りしても何ら不自然は無い。不自然は無いのだが。
 やったな、と直感する。
 長沢は敢えて健政会に接近を試みている。殉徒総会の高部と言う男を傷害罪で告訴し、多方面から情報を求めているのが、長沢の現在の状況だ。長沢の性質はこの所で良く分っている。調査好きの凝り性。敏感なアンテナを持ち、直感型でしつこいタイプ。兎に角、殉徒総会と公正党に関しての情報なら何でも欲しいのだ。その為に、彼は自らの店を使おうと決めたのだ。
 店と言う媒体を通して、健政会と昵懇になる気だ。自らが抗議活動に直接加わるのではなく、まず内部の人間と仲良くなろうと。そうした腹づもりなのだ。
 頭が痛い。要注意だと楢岡は思った。
 まず、そのアプローチがいやらしいではないか。正攻法で活動に参加するならいざ知らず、活動前後に飲み物でも飲んで元気出してね!と言う絡め手で会に取り入り、まずは上層部と友達になろうというのだ。
 支援者であり、気心も知れているとなれば会の情報は、誰からとも無く彼に伝わる。極自然に、多方向から情報が入手出来ると言う訳だ。
 ある意味、やり方は公安のそれに似ている。最初に警察で有ると言う事で、どうしても構えられるが、そこから存外良い奴じゃないかと思い込ませるまで相手に近付き、取り入り、笑顔を見せ、時には情報も与えて対象と友人になる。貴方の事は分っていますよ、信用していますよ、いざと言う時は貴方を守りますよと頼り甲斐を見せ、重要な裏情報を聞き出す。
 同サイドにいるか、別サイドにいるかと言う点が違うだけで長沢と公安のノウハウは一緒だ。
 厄介だと思う。すこぶる厄介だと思う。"あれ"が活動に加わるのは、痛いなぁ。
 長沢は狡猾で、汚い手を使う事を物怖じしない。ここまでは凡てのテロリストに当て嵌まる。違うのはここからだ。
 長沢は弱いのだ。そしてその自らの弱さを良く理解しているどころか、平然と利用するタイプなのだ。普段は自らの弱さを必死で隠す癖に、いざとなればそれを利用する。そして利用する事を一切恥じないふてぶてしさがある。
 外見は至ってソフトで紳士的、弱気にさえ見えるので、最初は誰もが呑んでかかる。何を言われても穏やかで激しもせず、笑っているから、自身で何も出来ぬのだと思い込む。つい庇護欲が湧いて、庇ったつもりが飲み込まれる。丸め込まれる。気付けば長沢のペースになっている。
 決定権は自分に有る。そう思い込んで気付けば、長沢の望む道を自らで選んだ気になっている。それでも、気づく者はまだ賢い。殆どの人間は気付きもせず、自ら選んだ道を突き進んで果てるのだ。賢い者だけが、こんな筈ではないと気づくが、所詮それだけだ。飲み込まれた時点で結果は同じだ。今更何が変ると言う訳でもない。気付くか気づかないかだけの差なら、むしろ気づかぬ方が後腐れが無いと言う物だ。
 誰よりも強引に相手を動かすのがこの男だ。だが殆どの人間が、それと気付かない。まるで催眠術のようだ。まるで。完全犯罪のようだ。
 厄介だ。非常に、厄介だ。尻尾の掴みにくいアジテータになる。
 インターネット発信が基本となっている現代の抗議活動は、発想のユニークさが命だ。どの対象のどの部分に着眼してどう責めるか。発想がほんの僅かでもユニークであれば、刺激に飢えている現代人は簡単に飛びつく。モラルや主張、正義は二の次で、まずはその目新しさに飛びつく。いわゆる「面白い動画」であれば、確実に人の目に触れていく。信を得るのはその後で充分なのだ。
 まずは人の目に触れる。何百万と言う視聴者を持つ大手メディアではなく、それこそ10単位、100単位のアクセス数から、徐々に人の目を集め、話題に上りじりじりと信望者を増やして行く。多くはマスメディアには負けるが、現代の「伝言板」「掲示板」は時として世界を席巻する。上手くすれば、一日で数十万、或いは億単位の人に伝播するのも不可能ではないのだ。
 浅井 慎一がこの数年で、いわゆる保守活動の尤としての位置を得たのは凡てそこにあった。
 彼が注目を集めたのは、有体に言って動画が「面白」かったからだ。まず目新しくて目を惹き、軽いフットワークと若さと説得力を併せ持っており、押し出しも良かった。殉徒総会および公正党と言う抗議対象も、誰もが知っている存在で分かり易かった。敷居が低くて分り易く、入り易い。しかし、刺激的で、それなりに過激ですらある。
 人によっては"差別"の範疇に入る言葉を列挙し、大声でまくし立てる。必ず分り易い"対戦相手"を画面に納め、その相手との"闘論"を展開し、必ず最後には、彼が勝つ。
 動画一つ一つが主張であり、恣意行為であり、エンターティメントなのだ。しかも、ただの"バトル"ではない。これは、なかなかに知識欲を満たしてくれる、知的で攻撃的な勧善懲悪のショーなのだ。
 彼は必ず、凡ての英霊の尊厳を思い、天皇陛下を愛し、国益を守らんとする正義の徒である。どの世代、どの人種に置いても、祖国を守る"勇者"と言う響きは輝かしく、誇らしいものだ。そしてそれは、およそ"国家"感を持たぬ、闘争心を忘れた日本の若者にも同じく有効であるのだ。
 動画と言う手法、数ある動画サイト、エンターティメント性、低年齢へのインターネットの浸透、刺激的な中身、情報量、斬新さにおいて、彼ら健政会は完璧に現代に即している。あとは。
 ユニークな切り口を持った"脚本家"か"演出家"がいれば完成だ。まさに理想的だ。鬼に金棒だ。
 長沢は実に、理想的なのだ。

 通達の際、楢岡は自らがその店の常連である事を述べた。神田署時代から通っていて、現在も継続中で有る事も申告した。反応は「了解」の一言で、誰もさして問題にはしなかった。
 そのまま通常の任務に就く。既に馴染み始めた健政会のメンバーに連絡を入れ、そのメンバーと供に渋谷のハチ公前公園に集う。彼らの抗議街宣を見守り、警備の指示をし、そのまま打ち上げにも参加する。長沢の言う所の「慎先生」と、その周りを監視しながら軽く酒を飲む。
 いずれ、近い内。この対象者に長沢も加わる日が来るのだと、自らに言い聞かせる。排除する中に彼も加わるのだと。逮捕、拘留する中に……。
 楽しい酒にはなり得なかった。メンバーの女性に軽口を叩きながら、やれやれと思う。
 恋人は対象者、である。やれやれだ。
 映画の売り込み文句でも有るまいに。プライベートにサスペンスなど、楢岡は欲しくない。
 

 20:10。
 店を閉めて片づけを終え、モップを棚に放り込んだところで白露が現れる。
 時間指定が有ったので、シャッターは半開きにして表の鍵は開けておいた。いつでも入って来いと言う待ちの体制だったので驚きはしないが、それでも酷く静かに動く男だと毎回思う。足音がうるさいなどと言うのは、この男には有り得ぬ事だ。
 「いらっしゃい、お待ちしてましたよ」
 厨房に入って手を洗いながら声をかける。白露は黙ってカウンタの隅に立っている。用心深いが小心な男だと思う。
 「今回のお前の・」
 「ああ、ちょっと待って」
 機先を制して言葉を千切り、厨房に消えて直ぐにトレイと一緒に戻る。カウンタに一つトレイを乗せ、カウンタの内側にも一つ置く。内側にも木組みの簡易腰掛があるので、そこに収まって微笑む。白露は無表情だった。
 席に着くよう促されて、初めて動く。無感動でしなやかな動作は、こんな時は非常に不似合いだ。機械の様で人間味に欠ける。
 「食いながら話しましょうよ。夕飯まだでしょう?セットメニューの寄せ集めですが、それなりにいけると思います」
 初めてテーブルの上に目線を下ろす。トレイの上は色とりどりだった。
 トマトの赤さが眩しいグリーンサラダとコンソメスープ。サンドイッチにフライドポテト、デザートにフルーツ。サンドイッチは言われる通り寄せ集めらしく、乗っている四つは全部中身が違う。そして珈琲。
 「こんなものは不要……」
 「俺が腹減ってるんです。白露さんが食べなくても、俺は失礼しますよ」
 言うが早いか手を合わせる。頂きますと唱えて、サンドイッチにぱくつく。白露は仕方なく席に着いた。
 鼻先をコンソメスープの香りがくすぐった。どうせチープな軽食だと理解しているのに、それなりに目には美味そうだ。
 長沢は最初の一切れを咀嚼しながら、やっぱ塩味濃い目でしょうかね?などと言っている。白露は溜息をついた。
 店の中に収まっているだけの長沢と違って、秋津実働隊の一日は動きが多い。毎日これと決まった業務ではないので、時間にも場所にも変動があるのだ。食事は仕事の合間にやっつけで摂る事が多い。今日も、こんな中途な時間に打ち合わせが入っているので、食事はまだしていない。大概が、折衝相手の許へ来る時は空腹だ。その方が頭も働くし、攻撃的でもいられる。
 席に着くと、辺りに香りが立ち込める。空腹には誘惑の強い香りが取り囲む。
 長沢の掴んだのと同じ一切れを掴んで、無感動に口に入れる。長沢の言った通り、強目の塩味が舌に乗った。
 コンビーフ?と一瞬思って改める。似ているが違うようだ。
 「スパムです。あと、玉葱とラディッシュ。それにレタス。脂っこい筈なんですが、割とあっさり食べられるでしょ?塩味、きついですか?」
 頷いて咀嚼する。塩味はしっかりしているが、きついと言う程ではない。むしろこれ位有って良いように思う。ポテトを口に放り込む。こちらは塩が控え目なので、一緒に食っても手ごろだろう。
 「そうも思わない。これくらいで良いだろう」
 一つ目を食い終えて、二つ目を口に運ぶ。こちらはシンプルなハムチーズにきゅうり。備え付けのマスタードと一緒が美味かろう。フレンチフライもそうだ。何かを口に入れて初めて、空腹に気づく事は良くあるもので、白露もそうだった。それなりに美味いと長沢が言う通り、確かにそれなりにイケる。四つの内の三つまでサンドイッチを食べてから、長沢の動きが止まっているのに気づいてそちらに目をやる。
 頬杖の上に笑顔が有って、それにややたじろいだ。
 「ああ、失礼。貴方そうしていると本当に普通の人だなと思って」
 ふん、と鼻を鳴らす。
 「あさぎりの様な容貌の方がむしろ特異だ。目立つ事に得など無い」
 「容貌とか能力の事では有りませんよ。雰囲気や価値観…多分、モラルとかそう言う、目に見えない部分かな……俺は貴方がついてくれて幸運だと思う。」
 長沢の言葉に白露は身構えた。
 怪訝に思う。この男は前回、水上 冬馬の相棒なのだから、俺はお前と格が違うとタンカを切った男だ。
 秋津にとっては取るに足らぬ一般人で有りながら、その秋津に命知らずにも噛み付いた男だ。策も無く、白露を半ば脅迫し、"俺を殺せば秋津の秘密をバラ撒き、俺を参加させればお前らの知らない情報をくれてやる"と嘯いた男だ。それが。
 今度は俺に取り入るのか。
 指令を与える立場の白露に対し、長沢は明らかに接近を図っている。前回は脅迫し、今度は擦り寄るのか。警戒しながらも、内心で嗤う。
 鈍い素人め、やっと自らの立場に気がついたか。私の判断一つで、お前の存在などあっと言う間に消えるのだ。その事にようやく思い当たったか。脅しではない、それはただの事実だ。厳然たる事実なのだ。気付くのは遅いが、まだ遅過ぎる程ではない。
 男を観察する。媚びるような、こちらを伺うような表情に変化は無い。
 「今回のお前の行動は凡て上に通した。上は警戒を強めている。お前が動く事でメリットは何も無い。こちらが得る情報は、こちらだけで一切の過不足はない。今後一切…」
 「あさぎり一人すら制御出来てない"上"に過不足が無い?」
 黒縁眼鏡が堪えかねたように小さく吹き出して、くすくすと笑う。白露は目の前やや低い位置に腰掛ける男の顔を眺める。男は、いや失礼、と呟いて珈琲カップを口に運んだ。
 事実に気付き、脅えている筈の一般人の男に、その影は無かった。楽しげに笑い、珈琲の香りを楽しんでいる。
 「……我々の行動に関与するなと、上の達しだ。…何が言いたい」
 「いいえぇ、別に」
 男の手の中のフォークが動く。これが敵ならそれは凶器だ。だが目の前の男は、例え持つ物が鋭いナイフで有っても、脅威を感じさせぬ弱者だ。警戒する意味も無い相手なのだ。
 男の奇妙な余裕が癇に障るが、取り敢えずは食事を進める。サンドイッチを平らげると、男がまだ有りますけどと立ち上がる。頭を振ると、男は精をつけて貰わないと言う。白露さんだけが頼りなのだから、足りない物が有ったら何でも言って下さいね。喜んで用意させて貰いますよ。
 白露は鼻白んだ。
 この男の恋人は、現在、渋谷の「やまんば」と言う居酒屋にいる。打ち上げは7時から始まったから、どんなに早くとも終了は9時だ。時間的な余裕は有る。白露が自らの痕跡を完全に消してこの場を去る時間は充分有るのだ。そうだ。
 例えば今ここで、この男を殺して、本当に秋津の情報が外部に振り撒かれるかどうか試すとしても、時間はたっぷり、有るのだ。
 「そうだなあ。ええと。白露さん、クイズをしましょうよ。……あ、そうだ。あさぎりが酒井 美也を連れ込んだホテルの名前は何でしょう?はあい、一分以内」
 ホテル。白露は息を呑んだ。
 長沢の騒動は知っている。ステラミラー・ビルの戸口で、殉徒総会と揉めた事は。その際に、あさぎりも側に居た事は。だが。
 あさぎりと長沢の会話は一切無かった。あさぎり-よいづき間の交渉は一切無かったのだ。それは幾つもの目が見ていた真実だ。情報の交換など出来よう筈が無かった。だと言うのに何故。何故そんな事を知っている。
 当然の事ながら、秋津には水上 冬馬の行動は報告されている。会合を持つ筈の時間に、女と予定外の行動をしていた事。それがSEXだった事。それは報告に上っている。だが。
 ホテルの名など報告に上ってはいない。
 「いや、上の方々もね、型破りなメンバーにはさぞや手を焼かれているとご同情申し上げますが。重要なあの場面でホテルは無いでしょう。ホテル…と、45秒。――50秒。……、6、5、4、3、2、1、………ブー、不正解」
 黒縁眼鏡の奥から、悪戯っ子のように笑う瞳が見上げる。
 「やはり、監視の目は必要なんじゃないでしょうかね?俺はその役目を少しは果せると思いますが如何ですか? あ、ちなみにホテルの名前は"ホテルマリネ"だそうですよ。どう言うネーミングセンスだか」
 「―――― 何故だ」
 何故知っているのだ。お前如きがその情報を。何処から、どうやって入手した。白露の言葉の意味は伝わった。随分と、言葉を簡略化したものだと長沢は思う。だから敢えて、答を微妙に反らしてやる。
 「何故って。だって、前にお約束したじゃないですか。貴方の知らない情報をお渡ししますって。だからお渡ししてるんですよ。
 殉徒総会と貴方のお仲間方がステラミラーで、いつ来るかいつ来るかとヤキモキ待っている間、あさぎりは大層お楽しみだったようですよ。ホテルマリネ808号室。最上階。――ああ、申し遅れました。
 やっと、お会い出来た。お会いしましたねぇ。とうとう」
 長沢の言葉に、白露ははっきりと眉を寄せた。
 整えられた眉だ。長沢は思う。眉だけではない。造作の一つ一つ、部品の一つ一つ、何処をとっても整っている。崩れていないのに酷く印象が薄い。そうだ。わざとらしい程に。
 長沢は、控え目だがはっきりとした秋津の遣いの動揺を感じた。その呼吸に意識を集中する。自分の交渉相手の、現在の唯一の標的の呼吸に意識を集中する。
 「これで俺は、"三人全員に"お会いした事になる。三人ですよね?彼と、彼と、……貴方。それとももっとおいでなのかな?」
 上目遣いに見る視界の中央で、白露がそっと口許を引き結ぶ。微かに早くなる呼吸に、確かな手応えを感じた。
 黒縁眼鏡の奥の瞳が、ゆっくりと微笑みに歪んだ。
 

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