□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 

 

*** Merry... ***


 三十路も転がり落ちた頃になって譫妄に悩まされ始めた男の誕生日を祝うと言う。
 宗教心を併せ持たない人間にとって、大概の宗教は遥か昔に描かれた作者不明の長大な文書を盛大に歪曲し、深読みして自己投影するのが好きな一団の詩歌にしか見えない物だ。だがここに、経済が絡んでくるといささか別である。
 無条件にケーキが売れる。チキンと名の付く物を出しておけば納得される。
 となれば外食産業の片隅に住まう者は、例外なく今日の"かつて"を賛美する。信ずるか否かに関わらず。SOMETHING CAFEも例外ではない。
 小さな猿楽町の喫茶店にもサンタは来るのだ。緑のモールと緑のリース、白い雪を頂いたツリーを飾りつけ、壁に「Merry Christmas」の字を貼り付ければ完璧だ。店主が髭面なのは幸いで、ちょっとしたユニフォームを着込むだけで、直ぐに客は理解してくれる。
 「サンタにしちゃ貧相過ぎだろ。世の中のイメージはサンタっつったらメタボ体型でしょ」
 「飽食の日本において、健康的なサンタのイメージで行って見ました」
 「逆に不健康だろー、マスターじゃ」
 常連が混ぜっ返すのは、ほぼ店主オンリィだ。正規店員もバイトも今日はそれなりのコスチュームなのだが、看板娘がどう張り切ったのかマイクロミニのサンタ姿で現れ、店主自身が何も突っ込めずに開店となった。どうやら客も店主同様意気地なしの集まりのようだ。
 イヴの夜は緩やかで長い。パーティを開くとなれば大きい店に行く客が多いので、SOMETHING CAFEの規模では逆に大きく盛り上る事も無く、ゆるゆると終息して行く。6時を越す頃には、行く場所の無い常連達がぼやき半分に集う様とあいなった。
 「俺、今年、め一杯良い子だったと思う。サンタさん何かくれ」
 常連の楢岡が言う。横に恋人の時子を座らせたまま言うのだから冗談なのだろうが、どうにも対処出来かねる。長沢の感覚で言うと、少々このカップル。
 「ほらサンタさん、良い子だって。キスくらいしてあげないと」
 「あ、良いね。じゃそれで我慢したげよう」
 変わり者なのだ。
 エスプレッソ用に暖めたカップを楢岡の唇に押し付けておいて窓の外に目を運ぶ。ライトアップされた街の風景の中に、栗色の髪がふわりと揺れた。
 心臓が跳ね上がった。
 SOMETHING CAFEの窓の外から、頬を紅くした女性がじっとこちらを見ていた。長沢の視線に気付いて満面の笑みを浮かべ、小さく手を振る。長沢は慌ててカウンタを転がり出た。唐突な店主の動作にカウンタ席の客が、何、どしたの、とざわめく声など一切耳に入らない。
 「瞳美!」
 寒そうに紅くなった顔が、長沢の動きに合わせて向けられる。思わず両手で頬を包むと、女性は小さくきゃっ、と声を上げた。
 「何で外に居るんだ。寒いだろ、中に入って」
 「あったか〜い……」
 意識した動作ではなかった。寒そうだったから手を当てた。その手に重ねられた手が、また冷え切っていて、驚いて目線を下ろすと、そこに娘の瞳が有った。
 十年以上も親子として向き合う事の無かった娘の。
 「ちょっとね、見とれてた」
 「え?」
 「お父さん、喫茶店の店主してるんだねぇ。私の記憶の中のお父さんは銀行マンだったのに、何かちょっと……違うなぁーと思って。でも、なかなか良いじゃないと思って見とれてた。サンタの服はあんま似合って無いかもだけど。でもうん。
 中々良い感じ。マヌケ面で見てたとこ見つかっちゃったケド」
 「瞳美……」
 言葉が続かなかった。素直で表情豊かな瞳を見つめて、何を言えば良いのか見当も付かなくなった。
 ただ、どうにか温まった頬から手を離し、次に冷え切った指を包み込んだだけだ。
 「私ね、急ぐんだ。約束あるの。行かないと。その前にちょっと寄ったの。ハイこれ」
 温まった手をにじる様に離して、ポケットの中から長さ15cm程の包みを取り出す。赤い包装紙に緑のリボンが付いた、正しくクリスマスプレゼントに長沢は面を伏せた。
 「何ようその反応。娘からのクリスマスプレゼントなのに嬉しくないのー」
 「そんな事は無い!そんな事は絶対無いよ。嬉しいよ!凄く嬉しい。……有り難う」
 中身が何でも嬉しい。ただ来てくれただけで嬉しい。こうして育って、笑っていてくれる凡てに有り難う。
 「ただその、俺、何も用意して無かったから……」
 瞳美は破願して踵を返す。してやったりと言う笑顔が、クリスマスのライトに揺らめく。
 「大丈夫。改めて希望がっつり出しますから。その節はよろしくぅ!じゃーね、サンタさん」
 赤いコスチュームの胸に手を突いて、伸びやかな足を運ぶ。丁度青になった交差点に向かって飛び出す。長沢が後を追おうとした時には、既に銀色のコートに包まれた娘の肢体は横断歩道の向うにあった。
 「珈琲の一杯も飲んでいかないのか?」
 かろうじて耳に届いたであろう言葉に娘は歩道で軽く首を振る。
 「約束って、……まさか男とデートか!」
 首を振る。手を振る。
 「…とにかく。今度ゆっくり来てくれよ!」
 笑みが星型の街頭に解ける。娘の振る手が、通りを横切るトラックに掻き消される。交差点を行きかう車の群れが視界から去る頃には、娘の姿も見えなくなっていた。
 仕方なく、長沢は踵を返す。ほんの一瞬の出来事は唐突過ぎて、手の中に残る赤い包みが無ければ幻と思ってしまいそうだった。
 店に入ると、カウンタの客の揶揄が待っていた。サンタの恋人か。若い彼女か、穏やかじゃないぞ。
 長沢はそれに答えずに包みを解く。中にはレンズの入っていないチタンフレームと、「お好みのレンズをお入れします」と言う書面、可愛らしい手書きのカードが入っていた。
 スキャンダルを得て湧くカウンタの中で、一人事情を知っている楢岡が黙って長沢を見ている。勘の良い男は、小さく溜息をついた。
 「なぁKちゃん。
 クリスマスなんて、クリスチャンにしか関係無い事だけどさ。日本は八百万の神の国だろ。この日に生まれた神の子を祝うのは全然、"らしい"事じゃないか。今日起こる事は、全部祝福だ。祝福なんだから。素直に喜んで置けばいいんだ。そうだろ」
 手の中のカードに目を落とす。
 楢岡に渡すと、一瞥してそっと戻した。
 「良い事言うなあ楢岡くん。祝福か。……そうだね。
 よし、サンタからもプレゼント。特製風干しクリスマスブレンド珈琲、今から淹れます、希望者!」
 カウンタの客が全員手を上げる。奥の客が奇声を上げて手を振る。長沢はエプロンのポケットにプレゼントを入れて身を翻した。
 宗教など知らない。良く分からない。だが、ただ祝おう。
 逃してしまった二つのぬくもりを。妻と娘と言う名のぬくもりを。今日はただ、心から祝おう。
 
 [Merry Xmas!]
 [お父さんへ、お母さんと二人分の、心をこめて!]

 
- THE END -
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