□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 

 

*** 海の日 ***


 「いいえ。海の日、です」
 「だからお休みの日ですよね?元気で海に行きましょうって日でしょ?どうして国旗出すんですか〜?」
 これだから今の若い子は。
 目の前の髭面が呆れたように言って溜息をつく。分厚い黒縁眼鏡の所為で目の表情は正直良く分からないのだが、奥田早紀は店主のこう言う表情が好きだった。
 温和で大人しい人なのだが、言い出すと頑固で、やんわりと最後まで譲らない。46と言う年は彼女にとっては親に等しいが、世間的には若いのか年寄りなのか良く分からない。どんなに年上の人間が「しろ!!」と言う事にも、大人しい顔で低姿勢に「でも貴方が間違っているから従えません」と言い通し、大概は先方が折れるのだから恐れ入る。
 弱そうで、優柔不断に見えて頑固。SOMETHING CAFEの店主はそんな人だ。
 ポリシーとか誇りとか、ですか? そう問うた事がある。店主はあっさりと答えた物だ。
 「え?俺は当たり前の事しか言ってないよ?正しいから正しいと言う。間違ってたら違うと言う。ポリシーも誇りも関係ないと思うけど…」
 その店主が、今日は海の日だからと国旗を店先に飾ったので、看板娘は首をかしげたのだ。海の日ってレジャーの日じゃないの?
 「違います。とんでもない」
 SOMETHING CAFEは、先代の「竹下珈琲」の時代から祝祭日には国旗を出す習慣がある。
 先代は戦前派で、自らも帝国陸軍兵士だったと言うし、時代的にもそんなものかなと思うのだが、現代では珍しい。街中を歩いていても、国旗などとんと目にしないし、祝祭日だからと日の丸を掲げる家など、奥田早紀は見た覚えが無いのだ。
 長沢が先代のそうした行いを継いでいるのは、彼女にとってはむしろ不思議だ。
 「レジャーって。がっかりだなあ。海の日は海洋国家日本にとっては大切にすべき日だと思うのに」
 「はぁ」
 玄関扉が鳴らすベルに、いらっしゃいませと笑いかける。常連客が手を振りながらお気に入りの席に落ち着く。看板娘が注文を取ってくると、店主はエスプレッソマシンに向いながら、海の日と言うのはね、と切り出した。
 「明治大帝、えっと、祐宮睦仁(さちのみやむつひと)陛下の航海の成功を祝って作られた記念日だよ。それまで軍艦に乗ってこられた陛下の、初の商船でのお帰りを記念したんだね。明治丸って汽船でさ、以後、練習船として役にたったらしいよ。海洋国家日本らしい記念日じゃないか」
 海洋国家、と何度も繰り返す店主に、思わず笑う。どうも今日の彼が言いたいのはここらしい。
 「海洋国家ですか?」
 「島国、と言ってもいいけど。これだけ海に囲まれた大国もない訳で、国土面積では、日本は世界第62位と、194カ国の1/3くらい。でも、海岸線の長さだと世界第五位、領海の大きさだと世界第六位って知ってる?」
 「へぇ。五位と六位?日本って小さい国だと思ってたけど、それだけ"海洋国家"って事なんだぁ」
 店主が差し出すカプチーノを受け取る。素直に驚いただけなのに、店主はとても嬉しそうに笑った。元々、目も眉もやや垂れて居るから、笑い顔が似合う面相なのだ。笑顔が良いと通ってくれる女性客も割りと居て、彼女に店主の笑顔を写メしてと頼んで来た女性客の数は両手の指を超している。
 客受けも女受けも悪くないのに、一切浮いた噂を聞かないのが少々不思議でもある。
 「日本の領海内にある島の数って知ってる? まぁ、"島"と言う定義が色々有って、厳密に数を決める事は出来ないんだけど、一応保安庁の発表では6852と言う事になってる」
 「6852!」
 この頃常連になった女子高校生集団が駆け入って、カウンターに取り付くと同時に話に首を突っ込んだ。
 店主は一部の高校生の態の良いおもちゃのようで、何組かのグループが、この頃はカウンタで注文品を受け取ってから席に着く。注文の品が出来るまで、遠慮なく店主を弄れるからだ。
 大概は数人のグループで、最近のヒット曲やアイドルの写真を店主に突きつけ、こんなのも知らないの?とからかうだけの日常会話で、雰囲気は到って平和的だ。店主は素直に感心しているし、高校生の今時の知識を、新鮮だと笑っている。挨拶代わりの平和なレクリエーションなのだ。
 だが今日は。店主の薀蓄トークがそのタイミングに重なった。いつものように店主をからかう三人の女子高生の脇で、看板娘は首をかしげた。このパターンは無かったかも知れない。
 「凄い凄い。日本、島だらけじゃん。人口より多いよね、凄くね?」
 「―こら。人口より多くは有りません。一億二千万以上います」
 「えー、でもさぁ、島の数と国旗と関係ないよね」
 「関係あります。そうした海洋国家としての祝日を、日本国家として祝うのが海の日。だから国旗掲揚ね。祝日の基本」
 「え〜〜〜、家、ハタなんて無いよぉ」
 ああ、これは。
 「何かさ〜〜〜。マスター、そう言う所、ホンット爺っくさい。家のパパより年下なのにお爺ちゃんぽい」
 「大体、日の丸ってカッコ悪いじゃん。色少ないし、ぽっちり赤丸だけでバランスわっる」
 手が着けられない。看板娘はカウンタから少し離れた席に立つ事にした。
 「そーそー。アメリカとか格好良いよねー。派手だし」
 「家のオヤジなんかさ。日本国旗は戦争の証だから飾らないって」
 「待ちなさい」
 店主の笑顔。
 先程とは全く意味合いの違う。しっかりとした、笑顔だ。
 店主の表情に、それぞれに注文の品を受け取った高校生達が息を呑む。ヤベ。地雷踏んだ?そんな呟きが聞こえる。看板娘は人知れず吹き出した。
 不運な事に、現在時刻、三時過ぎはSOMETHING CAFEのお暇タイムだ。高校生達が席に着くのを、店主が笑顔のまま追う。三人の客は、弁士の店主を入れて四人がけのテーブルに丁度良い。
 恐らくは今日の講義は「いかに日の丸が素晴らしいか」。
 周りの常連客が訳知りの笑顔で看板娘に合図を送る。頑固店長のやんわりお説教トーク。
 奥田早紀は、この店主が気に入っている。温和で、笑顔が似合って、見るからに弱気そうなのに頑固で、存外説得力のある。
 今日の講義もきっとそれなりに面白い。
 折れるのは客人達の方だろう。恐れ入る。
- THE END -
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