□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 
□ 邂逅 □

 凍えれば、暖かい場所に集まるのは生物として当然の行動だ。
 人の体温に縋りつく。シャツを握り締める掌と、押し付けた口許から、暖かさが這い登る。ぬくもりに抗えなかった。
 人は、こう言う物だ。
 手の中に在る宝の存在を容易く忘れ、在って当然と思う自らの傲慢さにさえ気付かない。気付くのはいつも宝を失った後で、大概手遅れと相場が決まっている。その傲慢さに見合う罰を与えられて宝を奪われ、空になった掌に、人は初めて慄くのだ。
 存在を感じ、その存在に互いに報いてこそが関係と言うものだ。互いに報い、感謝や愛情と言う形の無い餌で日々育ててこそ、関係と言うものは成り立つのだ。在るだけで存在を感じず、それに報いる事が無いのなら、その存在に意味は無く、存在しないに等しい。失っても、実質の生活に何ら変化が起きる訳ではない。そうだ、変化など起きやしないのに。
 それを痛みと捕らえるのは人間だけだ。欲深い、業の深い人間だけだ。人は、こうした物なのだ。
 長沢はかつて自分を陵辱したと同じ掌に頭を掴まれながら、その肩に縋りついた。
 どう考えても異常な状況と爛れた関係だ。それでも今は、少なくともこの瞬間は、その存在に身体が、心が支えられている。
 犯罪者の優しい腕が、おどおどと背中に合わされる。呼吸に喘ぐ細い背に、大きな掌がゆっくりと吸い付く。娘に等しい年齢の青年が、自らの静かな呼吸のリズムに合わせて背をさする。それに合わせて、長沢は必死に息を吸った。
 呼吸すらも上手く出来ない自分は何と滑稽な。何と弱くて、何とみっともない。
 全身を覆い尽くす冷たさの所為で、呼吸すらままならない。凍えて縮こまった心臓が、熱い血を飲み込めない、吐き出せない。冷たくて痛くて、息苦しい。
 頭だけが酷く熱いのに、首から下は氷のようだった。胸が冷た過ぎて臓器が上手く動かない。苦しい。…くるしい。冬馬の腕を掴んで引き寄せ、そのまま胸板に縋りつく。心臓の場所を押し付ける。
 青年は一瞬、背をさする手を止め、凍えた子供が布団に潜り込むように縋り付いて来る身体にゆっくりと腕を絡めた。
 長沢の身体に触れたいと、あれからずっと思って来た。苦しむ長沢と共に、どうしようもない罪悪感と至福を抱きいれる。呼吸に喘ぐ冷たい身体を抱きしめる。
 不思議なものだ。冬馬は思う。初めの瞬間はあれほど乱暴に扱えた体なのに。己の快楽だけを求めれば、それを分け合えると思っていたのに。今は触れるだけで、胸の一部が怯える。触れた場所全てが熱く、ひりつく気さえする。僅かな時間で、何と自分は変わったものか。
 全てに"何故"を投げかける長沢に合わせて、劇的な変化をしつつある自らに驚く。思えば、今まで誰かを欲した時に体以外の物が必要だった経験は、冬馬には無いのだ。
 ペルーでは、欲しい物はいつも傍にあった。逆に言えば、傍に無い物を欲した事など無かった。手を伸ばせばそこに身体が有って、互いに求め合えばそれで良かった。抱き合い、満たし合い、それで満足だった。それが全てだった。だが、今は違う。何故、違うのだ。
 勿論、大雑把な冬馬とは言え喜怒哀楽の感情は有る。他人の感情も慮れるし、罪悪感も充実感も慕情も憎悪も感じる。だが今迄、自分はそれを誰かに説明した事など、有ったろうか。ゲリラ活動の一環として、言葉を弄する事はまま有った。しかし、自らの感情を、慕情を伝える為に言葉を駆使した事などない。誰かに特別理解されたいとも思わなかったし、誤解を解こうと努力した事も無い。何より。
 自らの感情に価値を感じず、言葉に出来るほど、己の感情を理解していなかったのだ。
 だが今は。
 抱き入れると、長沢の身体は冬馬の腕の中に全てが納まる。鍛えてはいるが、特別大きくはない冬馬の骨格の中に、すっぽり包まれてしまう震える身体を愛おしいと思う。身体だけではない。弱みを見せまいと意地を張る、弱い癖に頑固で傲慢で、優しい卑怯者を愛おしいと、心から思う。無意識に緩む頬を引き締める。罪悪感に勝る喜びは誤魔化しようが無かった。
 短かった呼吸が、徐々にゆっくりと、長くなって行く。押し込めていた声が、呼吸の最後にかすれ出る。衣服越しに伝わる鼓動と、それら全てにときめく。冬馬は目を閉じた。
 状況は理解している。重々、分かっている。
 長沢の痛みも、救いを求めながら腕を伸ばせぬ意地も、彼のプライドも理解している。今踏みにじれば、近づきかけた彼自身を、手に入れたいと願うその心を永久に失ってしまう事も全て。分かっているのだ。分かっていても。
 それでも、そうした理解と本能は別だ。冬馬の本能は先程からとうに振り切れていた。徐々に暖かさを増す腕の中の重みに、彼の体は素直に性の解放を願っていた。欲望を晴らせる為の肉の器だと勝手に解釈し、刻一刻と怒張を強めていく。思考の制御では止めようも無かった。
 腰が触れ合っていない体勢に小さく感謝して、絡める腕に力を込める。肩口で長沢が深呼吸をした。
 「呼きゅっ……出来るようになった」
 いつもの伸びやかな声とはまったく違う鼻声が、未だ苦しげな呼吸を引きずる。言葉が上手く操れずに幾度も息を呑む。冬馬は俯いたままの頭に掌を這わせた。柔らかい頭髪が指に絡むのが心地よい。
 「ありが・と。……すまん、な、冬馬…」
 「お前が謝ることは何も無い」
 髪を指で悪戯する。構われない頭髪はぱさぱさで、何本かは根元まで白い。他が黒いだけに奇妙だった。
 「お前はさっき、言ったな。俺が・帰って来たのを、嬉しっ…と思ってると。喜んでると。今も、そ…か?」
 一瞬、答えに窮する。答えは紛れもなくyesだが、弱っている長沢をこれ以上傷めたくは無かった。彼が求めている答えは何かと考えて、…諦める。そんな真似がいきなり出来る程、冬馬が器用な筈もない。下手な嘘よりは真実の方が罪は軽い。
 「ああ。……思ってる。お前には悪いが。お前が同志になってくれるなら俺はそれだけで良い。……無理強いは…しないが」
 涙の所為で鼻が詰まっているのだろう。口で息をする度に、かすかな声ともつかぬ呼吸が漏れる。耳がそれに感じた。
 なあ、冬馬。
 俯いたままの口許が言う。
 「お前は・俺を待っ、いてくれたんだな。もう何もない、ぉれなのに、待ってて、れた訳だ」
 馬鹿な。
 冬馬は、髪を悪戯していた手で頭を抱きしめた。律儀にきちんとそっぽを向いたまま、肩口の頭を抱きしめる。泣きじゃくっているような、震える吐息が肩口で行き来する。掌に感じる温かみと、肩口に丸まる暖かい息が触れ合っている事を痛感させた。
 「何も無い訳はない。本当は、俺だけだったら良いと思うが、お前は色んな宝を持ってる。SOMETHING CAFEが有るし、常連も大勢いる。お前が居なくなると困る奴は大勢居る。……もしそれが全部無くなる時が来ても……俺が居る。俺は絶対に同志を見捨てない」
 苦し気な呼吸で、律儀に長沢が相槌を打つ。口呼吸の最後に息を呑む。本能に響くそれは、心にも響いた。
 「と、ぅま。…同志・とは、どういう物・だ?」
 長沢の"何故""何"。全ての事象に、現象に状況に原因と理由を問う長沢らしい。いつも冬馬はそれに驚き、感心するのだ。
 「どういうって……同志は、同志だ。啓輔の質問はいつもとんでもない所から来るな。俺は考えた事も無い」
 「じゃ。今考えっ、くれ。教えてくれ。俺は知らない。今までの俺の人生に、友人や恋人や、…同僚や仲間は何人か、イた。でも同志…は、俺はお前が初めてなんだ、冬馬」
 どくん。心臓が身体のあちこちで波打った。
 涙にくぐもった声が、直に本能に突き刺さる。半端に伸びた髪が覆い隠す表情を確かめたくて頬に手をやり、濡れた感触に躊躇する。自らの鼓動を、これほど煩いと思ったのは初めてだ。
 「……同じ、目的の為に、共に生き、共に戦う。互いを信じて…時には共に死ぬ。それが同志だと、…俺は思う」
 くぐもった声が、冬馬の台詞を復唱する。その声の一つ一つが、冬馬の本能に響いた。心臓は既に胸ではなく下半身にある。必死に気を逸らそうとするのに叶わなかった。
 「まるで、夫婦みたい、だな。一夫一婦制じゃなっ・だけで。共に生き、共に死ぬ…か。俺とお前っ…が?」
 どくん。
 脈動に合わせて痛みすら感じる。手の中の柔らかい髪の感触、湿った皮膚。どんな表情をしているのか見てみたかった。だが同時に。頬を引き上げて瞳を覗き込み、呼吸する口許を見たら…自信が無かった。熱く張り詰めた欲望を叩き付けずに終われると思えなかった。
 長沢が身もがく。冬馬の腕の中で身じろいで、腕を引き抜く。その手は。
 「本とぅ・に似てる。違うのは……」
 「ぅああっ……!?_」
 冬馬の股間にそっと置かれた。
 「身体のつなが・が、無い事くらい……」
 しなやかな右掌が、コットンパンツのジッパーの流れを辿る。怒張し切った冬馬の曲線をなぞって、指が根元に辿りつく。力の篭らない、ただ乗せるだけの柔らかいタッチだったのに、青年の身体は雷撃に打たれたように引き攣った。
 「馬鹿……ッやっ、はな…っ……!」
 「おま……物凄いな……」
 腰をひこうとする冬馬を許さず、衣服の上からやんわりと掴む。大きさを確かめるように指を絡め、形をたどって下から救い上げる。冬馬が一際きつく長沢を抱きしめた。
 「はあっ……!! く。う、う。うっ……!!」
 掌の中で怒張したものが震えた。かすかに、耐え切れずに動く腰が、冬馬の限界を知らせる。きつく抱きいれられる腕の中で、長沢はそっと指先に力をこめて形を掴む。青年の部分が、びくびくと大きく波打った。
 冬馬が、長沢の頭上で荒い息を漏らす。余韻を長沢の掌に押し付けながら深呼吸をする。双方がそれぞれの驚きで固まっていた。決まり悪く、俯いたまま黙り込む。沈黙に耐え切れなくなって言い訳をしたのは長沢が先だった。
 「すまっ…ん、だが嘘……だろ。お前、早すぎ。俺ちょっと触っただけだ……」
 「馬っ鹿、ャロ…! い、いきなり、お前に触られたらこうなる!さっきからずっと我慢、してたのに……、くそ!」
 白髪まじりの頭が驚いたように持ち上がる。
 もつれた前髪の下で、涙に赤く染まった瞳がぽかんと冬馬を見つめていた。通った鼻筋の上に乗った眼鏡と、その下の頬に残る涙の筋と、半開きの唇が先程までの長沢の状況を伝えた。
 見上げた先には、いつもの彫像とはまったく違った顔立ちがあった。クールな灰色の瞳はそこには無く、耳まで赤く染まった青年が荒い息を持て余して見つめている。
 互いに、互いの状況に息を呑んだ。
 微動だに出来ない冬馬とは裏腹に、長沢は慌てて俯いた。眼鏡を外してカウンターの上に乗せ、軽く頬を拭ってから深呼吸をする。苦笑がもれた。
 「少し…、ほっとした。俺ばかりみっともない、訳じゃないな」
 「決まってる。最初から、そう言ったろう。こんなの、……さ、最大級の恥だ。…直してくる…」
 立ち上がろうとする冬馬の腹に腕を置いて、長沢が制する。赤い瞳が上目遣いに見上げ、その表情を確かめてから蹲る。冬馬は息を呑んだ。
 カウンターの隅に置いてあるティッシュの箱を、長沢がさりげなく引き寄せたのには気付いていたが、その後の行動までは読めなかった。今迄顔を押し付けていた場所から下に、長沢の頭が沈む。しなやかな手が青年の股間を辿り、ジッパーを引き下ろす。それだけで開放を喜ぶ冬馬の部分に、暖かい息がかかった。
 どくん、心臓がそこで波打つ。
 長沢が何をしているのか、明確に理解しかねた。汚してしまったものを拭き取ろうとしているのか、それとも。
 「同志のつながりは……何だ」
 指が絡む。濡れた下着を拭う手と、冬馬をその部分から避けようとする手の両方の温もり全てを感じる。拭いても無駄だ、そう言うより先に同じ事を長沢の声が言った。
 「拭くだけじゃ、無駄みたいだな」
 柔らかい毛が腹から下に触れる。自身に同じ柔らかさが触れて、それが髭の感触だと気付くより先に生暖かいぬめりが、冬馬を包み込んだ。
 「っっっは、あっ……!」
 唇が触れ、舌が彼を辿る。予想外の事に思わず長沢の頭を掴み、そのまま冬馬は動きを止めた。
 「駄目だ啓輔。俺、止まらなくなるぞ。そうなったら、お前の言葉なんて聞こえなくなる……」
 「聞いてくれ。俺に答えてくれ。同志のつながりって、どんな物だ?」
 上目遣いに見つめてから、俯く。冬馬の先端に唇を押し付ける。そのまま根元まで幾度も口付け、根元から先端に舌を這わせる。青年の腹が波打った。
 「聞け…るかッ」
 熱い舌が冬馬に絡みつく。そのまますっぽりと包み込まれる。柔らかいぬめりに迎え入れられ、小さい凹凸に舌が這う。長沢の頭に置いた手に力が篭った。
 柔らかく吸い付かれる。転がすように、軽く、柔らかに。張り詰める部分を守るように、からかうように与えられる優しい刺激に冬馬は身震いした。
 「啓輔……、啓輔、そこ…」
 例えようも無い快感なのに、はちきれんばかりに怒張して居るそれは先ほどの放出の所為で、柔らかい刺激に開放を迎えられない。気持ちよくも、じれったい。
 「はあッ……啓輔、わざと、か」
 快感で満たされていく。急速で焼け付くような物ではなく、緩慢で緩やかな快感。慣れてしまうと抜け出せない微温湯のような。半ば快感に痺れた脳が、長沢の問いを反芻した。同志とは、どういう物だ。繋がりは?
 「それぞれ…だ。夫婦で同志の者もいれば、憎みあっている者だって…いる。目的が繋がりだと言うが……っ。…俺は…あっ。魂が繋がっていると思……っ……」
 軽く歯が当たったのがきっかけのようだった。その刺激に緊張する部分に指が絡み、そのまま強くしごかれる。唐突な強い刺激に冬馬は息を詰めた。柔らかく包み込んでいた物にきつく吸い上げられて、脳の中で火花が散った。長沢の頭を引き寄せる間も無く、開放を迎える。言葉も出なかった。
 腹の上に屈みこんだ姿勢の男の頭に指を絡める。押さえ込んで痺れる感覚に身を委ねる。穏やかな快感の時間が、クライマックスの衝撃を高める。びくびくと身体全体が波打つのが止められなかった。
 自分の荒い息が聞こえて、我に返る。こんな感覚は久々だ。冬馬は放出の余韻に動けぬまま、手の中の柔らかい髪の毛の感触と、熱い口腔内を楽しんだ。信じられなかった。
 未だ震える自分の物を、柔らかいものが舐め取る。その正体が何なのか考えると、ゆっくりと離れる頭から手が放せなかった。今起きた事が本当に夢ではないと理解出来るまでは、放してはならない気すらした。
 俯いた頭が、冬馬に動きを抑えられたまま口許に手を運ぶ。ゆっくりと持ち上がる。手に握られたティッシュも、持ち上げられる頭も何とはなしに非現実で、唯一つ、口許と髭の一部を伝う、白濁した液体だけが現実に見えた。
 頭を引き寄せる。赤い目許と、濡れた頬、湿った髭に包まれた口許を引き寄せる。
 「啓輔、それ、俺の……?」
 きょとんとした目が見上げる。
 「口でしてくれたんだ。本当に…。俺の、この口が咥えたんだな」
 口許を指で辿る。長沢自身の唾液と、冬馬の体液で濡れた毛並みを指で辿る。たった今まで自分の部分が潜り込んでいた場所に指を這わせる。
 「汚れるから、処理しようと思ったんだ…が。意味…」
 口付ける。珈琲と精液の交じり合った、奇妙な味の口腔内に舌を潜り込ませる。長沢の処理行為にさして意味があるとは思えない。二回の放出を終えて平然とそそり立つ部分を困ったように見る長沢の表情にそそられる。
 止まらない。
 「魂が繋がっている……か。お前は案外詩人だよ冬馬。…でも、俺とお前は無理だな。考え方も価値観も、生まれ育った環境も、年も全て違う。違い過ぎる」
 首筋に舌を這わせる。背に回した腕に力をこめる。長沢の言葉は全て聞こえている。理解も出来ている。しかし、思考を制御するのは既に本能だった。この身体が欲しい。この細い腰を押さえつけ、その中に、入りたい。滾るようなこの部分を、この身体の、ここに、入れたい。突き入れたい。
 「それに俺、正直に言うが、未だにちょっとお前が怖い。こうしていてもどっかビビッてる」
 熱された頭の中に長沢の言葉が染み入る。眠りかけた罪悪感が目を覚ます。腕を絡めたまま俯く冬馬の耳元に、長沢の言葉が続いた。
 「それでも、同志になれるかな。同志を恐れるのはおかしいだろ」
 「恐れても良い。最低と言われても構わない。俺がお前を守るから……」
 冬馬。やんわりとした口調が冬馬の言葉を制する。言葉を呑み込むと、下半身の熱さが余計に増す気がした。
 「俺にはもう、何も無い。そんな俺でも役に立つかな。お前の同志になりたい、冬馬。魂は無理でも、身体ならつなげる。だから。―― ・よう、冬馬」
 頭の中で、何かが弾けた気がして飛び上がる。
 思わず身を引き剥がして、その顔を覗き込む。我が耳を疑った。
 「今、………何といった…?」
 「SEXしよう、冬馬」
 

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