□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 
□ 新人 □

 作戦会議。そうした物が、時々は設けられる。
 素直に座談会や茶話会と称すれば良いと、メンバーの中で最も辛辣な批評家が揶揄するが、恒例通りその集まりは今も作戦会議と呼ばれている。
 ありえぬキャストが、この世に存在せぬ目的を持って集う、存在しない団体の集会だ。部外者には誰一人にも知られてはならぬし、その香りさえ、兆候さえ漏らしてはならない。それが鉄則で、根本だ。
 それ程迄に秘密裡にしたいのなら、会合など開かねば良い。ITの発達した今、直接に会うなどという危険を冒さなくとも、討論および会議の方法など幾らでもある。オンラインのP2Pを用いても良いだろう。盗聴/傍受を恐れるなら、暗号化すれば良い。ITなど糞食らえと言うのなら、アナログに、ほんの一つ壁を隔てて、互いの素性を隠して会えば良い。
 それをせずに直に会う理由はただ一つだった。
 互いを、互いが見張り合うため。互いを監視しあう為だ。裏切りが有った場合は刑の執行も行う、互いに監視官であり、執行官なのだ。
 人数がごく少数で、退会も新たなる入会も許さない、固定された団体。互いの名と肩書きが弱点であり、武器になりあう極々親密な間柄か、逆に遠い関係。その、閉じた固定の人間だからこそ成り立つ絶対の不文律だったのに。
 戒律を乱す者は必ず現れるのだ。
 新キャストを加える。有無を言わさずそう通達してきたのは、最下位でありながら最重要なメンバーだった。

 冬馬が彼の司令官に新人を入れる由報告した数日後、「作戦会議」の通達文が届いた。
 この二月余りも途絶えていた通達文は、ごくごく普通の暗号メールだ。官公庁でも多く使われているプロキシ形式の暗号化ソフトの亜種で、仲間内ではサイファBと呼ばれるものを通して暗号化し、復号化されるメール。内容はいたって簡潔で簡素だった。時間と場所、ふさわしい服装、そのとき必要な書類の類。それだけがぽつんと書かれて送られて来るのだ。
 メールタイトルはいつも決まって「秋津」だった。アルファベットで五文字、漢字で僅か二文字。古えの日本の名である。
 故に、誰からとも無く、このチームの事をそう呼んだ。特に口にする場面がある訳ではないが、必要な時はそう示した。簡潔に、「秋津」と。
 今回も、メールの内容は場所と時間、一行の注意書きだけだった。事務的極まるメールを事務的に受け取って、復号化する。後は、受け取ったキャストがその指令通りの場所へ、指令通りの格好で、指令通りの時間につけば良いのだ。
 今回の会合場所はミッドタウンに程近いホテルの一室で、冬馬は苦笑を禁じえなかった。皮肉な物だ。長沢啓輔は良くも悪くもこの場所に因縁が有るらしい。
 街を行きかう20代の若者らしい格好で来いと言うので、普段着で目的地に向かう。華やかな街に似合いの総合モールの一角、何を基準に判断したのか、最も豪華と言う触れ込みで人気を獲得したシティホテルのロビィに入り込む。大仰なロビーを抜け、近頃では在り来たりになったシースルー展望エレベータにのる。華美な建造物は、階数表示も奇妙だ。Mの字が頻繁に出てくる表示は予想がつかなかった。
 F、M、2、2M、3。3階以降は、普通に数字が一つづつ増えるようになって納得して目的階を待つ。このビルを自力で降りる時は、表示階に2足せばいいのだと納得する。
 人気の無い廊下を抜けてドアに辿りついたのは、指定時間の一分前だった。カードキイで開けて扉をくぐるとほぼ同時、後ろで速やかに閉じられる。ため息が出た。
 「いつも通り、君が一番最後だ。水上冬馬君」
 最下位の階級の者は、最初に来るべきだ。そう言う意図の言葉を聞き流して進む。言い放った当人に階級が有っても、冬馬にそんなものは無い。第一、指定時間より前に着いているのだから、非難されるいわれは無いのだ。
 部屋は広めの玄関ホールが着いたスイートルームだった。広いリビングとベッドルームの間の壁は無い。大股にスイートに入ると、大きなワゴンに乗せられた飲み物やオードブルを手にした男たちが視線を向けた。
 視界の中で、四つのスーツの人影が動く。ワゴンの前に二人、傍らのチェアに一人、奥のソファに一人。背後にもう一つスーツの人影。そして、視界の左端からチュニックドレスの人影が入り込む。自分も併せて七人。揃っていた。
 この団体の全てを知っているとは思わない。だが、彼が知る限り。これが、オールキャスト、全メンバーだ。
 「お、来たな冬馬」
 ワゴンの前でシャンパンを片手に持った、水玉ネクタイの男が手を上げる。会合でアルコールは禁止な筈だが、この男の受け答えは想像がつく。シャンパンはアルコールじゃない。そんな所だ。
 「司令官。お待たせした。桐江さんがお怒りだ」
 シャンパンを飲み下して短い笑い声を上げる。それだけで何とはなしに場の空気が緩むから不思議だ。
 「すまんな、桐江君。…いつまでも子供なんだよ」
 桐江、と呼ばれた男は、冬馬に続いてスイートに入っていた。謝罪に恐縮して頭を下げ、改めて歩み寄る。
 「いえ、自分は怒ってはおりません」
 桐江 伸人(きりえ のぶと)。一等陸佐、33才。実務僅か10年余りで一佐迄昇格し、幕僚監部入りを果たした稀有の人材だが、それだけに自らは勿論、他者にも規律を求める。冬馬のマイペースぶりに大概の人間は諦めるものだが、彼だけは我慢強くあれこれと注文をつけてくる。決して乱暴な言い方はしないが、一つ一つ丁寧な指摘を繰り返す。当然ながら、理が有るのは必ず彼の方だ。
 「いやいや、面倒をかけますが叱って頂きたい。こいつには僕も手を焼いているからね」
 人懐こい笑み。桐江のようなカタブツまでがつい釣られて笑みを返してしまう、警戒心を呼び起こさない微笑。冬馬はこの表情を見るたびいつも不思議に思う。
 男の中には野望が渦巻いている。コンプレックスもあるし、底暗い部分など並外れて多いに違いない。だと言うのに、ほんの5分、この男と対峙して語り合えば、誰もがそれを忘れてしまう。良い人だと言い、信頼できる人だと言う。さしたる理由も無いのに、誰もがそう言うのだ。この人なら信用出来るから、お願いしてみようよ。彼を訪れた幾人もの人間から、冬馬は幾度と無くその言葉を聞いた。
 思い返せば、冬馬自身もそうだったのだ。この男と初めて対面した時、小一時間この男と語り合っただけで、胸の中の澱が融けた。鬱積していた不満は嘘のように解決した。余りの事に驚いて、最初は胡散臭いと思った。だが今は…納得していなければ、ここにいない。
 男の名は、羽和泉 基(はいずみ もとい)と言った。政権与党・自明党の最大派閥、岐萄派の代議士である。
 かつて自明党のフィクサーと呼ばれた岐萄 友充の妾腹の子。これは永田町の公然の秘密で、岐萄が本格的に政界から身を引く時は、その強力な地盤を引き継ぐのは間違い無く、嫡子ではなく羽和泉だろうと言われている。岐萄の嫡男も当然ながら自明党におり、年齢も羽和泉の僅か三歳上の55歳で、それなりのポストにいる。が、いかんせん存在感が薄い。人望と人気とカリスマ性は比ぶべくもない。岐萄の嫡男が悪いのではない。羽和泉が特例なのだ。
 計算高い岐萄の事だ、嫡子を利用して妾腹のイメージアップを図り、いずれは首相の座に押し込むつもりなんだろうよ。マスコミの一部は羽和泉の天真爛漫に思える自由さを、朗らかさを、暗い嫉妬もこめてそう揶揄する。マスコミの「一部」というのは、日本ではほぼ「全部」に等しい。
 その羽和泉に、いつも付き従っている男が一人。
 羽和泉 基の私設第一秘書、畔柳 崇文(くろやなぎ たかふみ)。71歳。若い頃は数多くの女心をときめかせたであろう穏やかな顔立ちにナイロールの眼鏡をかけ、目立たないが仕立ての良いダークスーツに身を包み、羽和泉の直ぐ傍に構えている。一説によれば岐萄友充の懐刀だったとの事だが、実際の所は誰も明確には知らない。
 椅子の上で皿一杯に盛ったオードブルを食べている男は、垣水 日出雄(かきみず ひでお)。
 ざっと見回した中では一番凡庸で安心出来る外見。いわゆる、普通、と言う奴だ。無理に右や左に掛け合わせてまで、厚みを持たせる必要も無いと考えての事だろうが、薄くなった頭髪を素直に後ろへ流しているのも小綺麗で好感が持てる。さも美味そうに物を食べているのも、この空間の中では逆に貴重だ。年の頃は、畔柳よりかなり若いが既に壮年の域で、重鎮に間違いはない。だが、人を威圧するような圧迫感は彼にはない。
 近所に幾らでもいそうなタイプに見えるが、公安調査庁の第一部長と言う肩書きは数少ない。公安調査庁自体は法務省の外局で、法の番人である検事たちがトップを司る組織だが、彼自身は警察組織の出だ。つい先日までは警察庁警備局の審議官だったが、どういう抜擢なのか、一年半ほど前に公安調査庁勤務とあいなった。
 ずっと情報分野を渡り歩いて来た彼には、違和感の有る異動ではなかった。彼をして、長年の思いを実行に移す時が来たと決意するきっかけになったと言うだけの事だ。
 冬馬はその場に集うキャストを見回して溜息をつく。と、その視界に皿が突き出された。
 視線を皿から、それを捧げ持つ腕に這わせる。細いが綺麗に筋肉の乗った引き締まった腕は、ダークワインのチュニックドレスの中に続いていた。音もなく近づいた均整の取れた身体が、皿を差し出したまま、黙って立っていた。
 皿の上には彩りも良く、サーモンやキャビア、アワビのカルパチョ、ローストビーフのサンドイッチなどが並び、丁寧にソースも添えてある。礼を言って受け取ると同時に軽やかな身体が踵を返した。
 フルネームは知らされていない。本名なのかコードネームなのかも明確には分からぬが、彼女は唯夏(ゆいか)と呼ばれている。冬馬よりは恐らく、三、四歳は上と思われるが、この集団の中では二人は飛び抜けて若く、互いに"最下位"に位置づけられるため、自然に近くにいる事が多い。
 メンバーを司令と兵士に分けるなら、冬馬と唯夏が兵士で、他は全部司令だ。船頭の多い、不思議な形態の船だった。
 「さて、ここに一人の男のデータがある」
 不意に、良く通る低音がスイートに響いた。
 「男の名は長沢啓輔。冬馬君が新たに、ネゴシエータ兼相棒として、"ここ"に加えると言った人物だ。
 …先に聞いておきたい。いや、是非聞かねばならない。君はどの程度この男の事を承知して、仲間に加える等と言い出したのかね」
 全員の目が部屋の奥のソファに集まった。
 光沢の強い、シルバーにも見える灰色のスーツを着こなした広い肩が、ソファの背凭れの上で1cmほどの厚みのあるレポートを抱いたクリアケースを振っていた。四五人は掛けられるゆったりとしたソファの奥サイドに、自室で寛いでいる時のように深々と身を沈め、その寛いだ格好とは不似合いな慧眼でこちらを見ていた。
 初対面の日本人が圧倒されるのは、この男の長身でも、役職に不似合いながっしりした体格でもない。驚く程白い肌でも、殆ど色のない睫毛でもない。両の目の赤に近い虹彩と、そこに宿る炎のような気迫に呑み込まれるのだ。端正な貌に皮肉な笑みを浮かべ、実に流暢に並べ立てられる辛辣な批評に流されてしまうのだ。
 冬馬はつい、小さく笑った。
 「データなどに意味は無い。けれど俺は全て知っている。何もかも。啓輔の全てだ」
 ほう。大きな唇がわざとらしく形を変える。
 「データには意味がない? けれど全て知っている? いやはや君の仰る事はいつも実に面白くて意味不明だ。
 良いかね。ここには全て…男を説明するに必要なデータの全てが揃っている。教えてあげよう冬馬君。
 君が仲間に加えようと言っている男は最悪の男だ。元大手シティバンク、新都銀行営業部長。いや、そんなご大層なものじゃないな。合法の大量虐殺者、ジェノサイダー、だ」
 ソファにクリアケースを放り投げる。
 ソファに歩み寄っていた桐江一等陸佐が、しなやかな動きでそれを手にし、男が座る4人掛けのソファの逆サイドに腰掛ける。大きな掌がクリアケースを放り投げた動作の終了を示すようにパン、とソファの背を叩いた。
 大貫 宥吏(おおぬき ゆうり)。財務省主計局次長。樺太生まれの祖母を持つ日本人官僚は、日本人離れをした面相の中の赤い瞳で南米育ちのゲリラを見上げる。わざわざ色を抜いてホワイトグレイにしている冬馬の頭髪とは真逆に、男の髪はわざとらしくない程度の色を纏った、恐らく元は銀髪なのだ。睫毛の白さがそれを物語っていた。
 実力に裏付けられた自信に溢れる真紅の瞳は、尊大で傲慢で、それだけでぞっとする程の圧迫感がある。並の日本人なら目が合うだけで怖気づく気迫は、鈍い冬馬には通用しない。初めて会った時に酷く頭の良い使える白熊だと思い、二度目にはその感を強くした。誇張しても差し引いても、冬馬の大貫に対する評価はそれ以下でも以上でもないのだ。
 突きつけられた慧眼を一瞥すると、青年は、彼の脇で一枚一枚レポートをめくる桐江に視線を移した。
 「それ、見終わったら俺に回してくれ。……一等陸佐殿」
 

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