□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 半身を布団の上に起こしたまま、長沢は凍り付いていた。何もかも、理解が出来なかった。
 ここは自分の家で、SOMETHING CAFEの二階だ。
 店舗はシャッターを下ろしたし、住居の方もしっかり戸締りをした。外部の者は入って来られない。いや、百歩譲って入って来られるとしても。大きな物音無しには入って来られる訳が無い。物音がすれば、幾らなんでも自分が気付かぬ訳がない。いや。それとも、もしかして。
 眠ろう、と思う間もなく寝入っていたのか。男の侵入にも気付かぬ程、深い眠りに落ちていたのか。いや、まさかそんな。なら、どうして。
 目の前の整った顔が苦笑する。長沢にはその笑いの意味も分らなかった。
 人影が近寄る。ぎし、と床が鳴る。長沢の中に警報がけたたましく鳴り響いた。
 「本当にお人好しだな啓輔。俺は昨日、店を片付けて裏から帰ったんだ。いくらでも裏口の合鍵なんか作れるとは思わないか?」
 ばちん。頭の中で何かが弾けた。
 合鍵。合鍵か。レイプした人間の家の合鍵を作って、この男は真正面から入って来たのか。
 それに。薄い唇が持ち上がる。
 「あの北村とか言う男、けしかけようと言うのは利口じゃない。悪い事は言わないから止めておきなよ。あいつの一生、…台無しにしたくないだろ?」
 布団から飛び起きて戸口に向かう。青年の脇を擦り抜け…ようとして、難なく青年に押さえ込まれた。
 布団の上に放り投げられ、そのまま後ろから抱きしめられる。青年の纏って来た夜気が長沢を包み込んだ。
 呼吸が止まった。
 「や…っ…」
 恐怖にがんじがらめにされる。痛みと屈辱が長沢を抱きすくめる。声が出なかった。叫ぼうとして吸った息が、そのまま声にならずに吐き出される。青年が背後で笑った。
 「可愛らしい声を出すんだな」
 違う。首を振る。違うんだ。
 熱い息が耳元に注がれる。全身がそそけ立った。
 「逆らうな。楽しもう、啓輔。お前だって初めてじゃない、楽しみ方くらい知ってるだろ。逆らうからあんな事になる。俺は別にお前を痛めつける気は無いんだ。だから。」
 楽しむ?昨夜の苦痛がよみがえる。許してくれと懇願した。青年は聞きもしなかった。
 「なぁ、啓輔…」
 やめてくれ。放せ、放してくれ。
 のしかかった身体が力をこめる。両腕が胸元から這い入って、冷たい唇が項をなぞる。耳元でハスキーな声に囁かれて、反射的に近寄る口を払いのけた。
 「わあああああああああっ、誰か、誰かぁっ、助けて、助けて!!」
 窓に向かって手を伸ばす。木造モルタルの建築の遮音性はそれほど高くない。窓を開けて外に叫べれば、周囲の誰かの耳には入る筈だ。窓枠に飛びつく。鍵を開ける前に、青年の腕に布団の上に引き戻された。
 「逆らうなと言ったのに。それなら、仕方ない」
 右手で口を塞ぎ、左手でベルトを外す。これでは昨夜と同じだ。縮み上がって力が入らない分、昨日より性質が悪い。
 ジーンズを足で引き摺り下ろし、無防備になった場所にチューブを押し付ける。絞って中身を塗り、そのまま左の指を差し入れる。傷ついた所為で昨夜と違って熱を持ったそこに、青年の太い指が入り込む。抗いようが無かった。
 昨夜と同じだ。後ろから押さえつけられたまま、青年の指が肛虐行為の下準備をする。その場所を犯し易いように何度も指を注挿し、徐々に本数を増やしていく。それだけで既に、長沢にとっては拷問だった。
 「っっむ……!」
 くそ。畜生。
 叩き付けたいのは拒否と非難の言葉なのに、声にするのに精一杯で、それ以上進めない。掌の下で、呼吸さえ制限される。掌を口から離させようともがくのをあざ笑うかのように、青年は指を埋めていた場所に自らを押し付けた。口を塞いでいた手を腰に回して位置を直す。
 ぐい。濡れに任せて腰が突き入れられた。
 「…!」
 「啓輔…」
 青年の物に身体の中心を開かれる。濡れて拒めない場所を、潤滑剤を纏った凶暴な物が切り拓く。そのままずるずると押し入って、青年の腹が長沢の尻とぶつかった所で音をたてて止まる。熱くて怒張しきった物が、腹の中に突き入っていた。
 「っひ……っ」
 長沢をがんじがらめにしているのは、この時はすさまじい違和感と呼吸を止められた苦しさだけだった。手を外されて慌てて息を吸い、一気に違和感が痛みに転化する。
 「うあぁあ……ぁっ、やめ……ろぉっ……!」
 熱い息が耳に流し込まれる。舌が項を這い回る。腹の中で、青年の物が屹立する。後ろから羽交い絞めにして、終点を確かめるようににじり入れる。青年が激しく動き始める頃には、もう長沢には一言も出なかった。
 「啓輔…っ」
 後ろから逞しい腕が抱きしめる。布団の上に上半身を押し付けてピストン運動を始める。過剰に塗りこまれた潤滑剤のジェルが、ぐちゃぐちゃと音を上げて太腿を伝わり、その隙間を埋めるように青年が押し入る。青年の動きに翻弄されて上下さえ分からない。長沢はシーツにしがみついた。
 熱い怒張が腹の奥をかき回し、次の瞬間には引き出される。それが、徐々に間隔をつめて繰り返されるのだ。痛みなどと言う、はっきりと認識できる感覚では既に無かった。頭の中には、言葉は数種類しかなかった。
 嫌だ、嫌だ。やめろ。やめてくれ。もう、やめてくれ。
 「啓輔っ…!一緒に…!」
 強引な注挿の後、ひときわ強く腰を引き寄せられる。捻るようにして凶器を突き入れ、そのまま痙攣する。
 反射的に腕を伸ばした。少しでも遠ざかろうと畳に手を伸ばし、毛羽立った畳の目に爪を引っ掛ける。だが、それ以上の力は腕にはこもっていなかった。青年の痙攣に合わせて、かすかにカリカリと音をたてるだけで何の意味も無い。腹の中に注ぎ込まれた青年の体液の感触も熱さも、既に全く分からなかった。
 痛みと屈辱の中で、目を閉じる。世界が暗転する。朦朧とする意識の中に湧き上がるのは疑問だった。
 分からなかった。現在の状況の全てが、全く分からなかった。
 つい昨日まで、長沢は平凡な現実の中に生きて来た。十把一絡げの人生で、ごく普通に幸せで不幸せな日常が、彼の周りを埋め尽くしていた。勿論、多少の上り下りもアクシデントも有る。平均を越した不幸も訪れる。だが。
 あの日常の延長線上に、今日が有るとは長沢にはとても信じられなかった。
 
 青年が長沢の足首を掴んで身体を回転させる。引き寄せて太腿を掴み、大きく片脚を持ち上げて、そこに現れる秘所に正面から身体を合わせる。長沢の朦朧とした瞳が、驚いたように青年を見上げた。
 問答無用で最奥まで突き入れ、そのまま首筋をかき寄せ、血の味のする唇を覆う。いやいやをするように青年を避ける口を、両方から挟みこんで舌をねじりこむ。悲鳴ともいえぬ短い声の後、口中で長沢が嫌だ、と呟いた。青年が笑った。
 「初めて聞こえた。何だ?何と言った?」
 口に接して始めて聞こえる長沢のうわ言を笑いながら、血の味の舌を弄ぶ。同じリズムで下半身の注挿を繰り返す。
 「いやだ、と言ったのか。嫌なのか」
 言葉にならない長沢が小さく頷く。
 「俺にこうされることが?」
 わざと足を持ち上げ、犯されている秘所を曝す。強引な動きに、呻き声が引きずり出される。赤黒くなった粘膜が、青年の動きに合わせて蠢いていた。
 「嘘だ。欲しかったんだろ、これが」
 わざと捻り入れてやる。掠れた悲鳴が漏れた。
 「う…んんんっ…!」
 「言えよ啓輔、欲しかったって。ほら、口を開いて、言ってみろ」
 突き入れる。掻き回す。呼吸に喘ぐように唇が開いた。
 「や…だっ…!…お願…っ、抜いて、……くれ、っ………」
 長沢の物を青年が掴む。自分のものにそうするように、根元からゆっくりと擦り上げる。喘ぎとも鳴き声ともつかぬ囁きをつづける頬に、青年は両手を添えた。
 「抜いてほしいか?」
 小刻みに頷く。青年は笑い声を上げた。
 「抜いてほしいなら、キス。俺が腰抜けになるくらい濃厚な奴を」
 一瞬、瞳が開いて青年を見つめる。抗議の視線である事は直ぐに分ったが、そのまま何も言わずに反応を待つ。長沢は小さく頷いて、青年の頭に両腕を回した。
 「うっ、うぅっ」
 揺すられながら、長沢は青年の頭を抱き寄せ、熱い舌を絡めた。唇をなぞり、歯列を割って中に潜り込み、青年の舌を絡み取る。タイミングを合わせて下から思い切り突き上げ、避ける身体を強引に抱き止めて構わず動く。逃さぬように掻き抱く。そうされてやっと命令を思い出したのか、慌てて舌を絡める仕草が滑稽ですらあった。
 痛みと恐怖で人の心は手に入れられる。あと三日もこの行いを続ければ、この男は一生俺に逆らわない。人間など、脆い物だ。
 「お願…い、だ、抜いて。痛ぇ。痛い。何でもする、抜い……っ」
 「何でもね。俺の名は冬馬、言え」
 「冬、馬っ」
 「冬馬が好きだ、滅茶苦茶にしてくれ。そう言え」
 首を振る。言われた事がわかっているのか、ただ単に反射的なものなのか良くわからない。
 腰を掴んでねじってやる。長沢から始めて悲鳴らしい物が漏れた。
 「言えよ、啓輔」
 「冬馬、が、っ、……う、う・うっ、好…だ。……め、滅茶苦茶に、してく……」
 「お前の望みどおりに」
 「あああっ…!あ、い、やっ、……だ。いやだああっ…! ああ、ああぁ、……は、あああぁっっ」
 怒張が長沢を押し流す。足首をつかんで、突き動かす。絡みつく腕を解いて布団に両足を押し付ける。秘部に叩き込む。腹の中のものを散らして叩き込む。
 縋る手をねじり上げ、快感に任せて流し込む。とどめのように刃を刺し入れ、最後の一滴まで突き入れる。震え、注ぎ込んで、抱きしめ、飽き足らずにそのまま次のピストン運動に移る。
 快感に任せて押さえつけた長沢の頬に、ぱたぱたと涙の雫が滴った。
 
 どうにもならない事は長沢にも良く分っていた。
 目の前の男に何かを期待するほうが、恐らくは間違いなのだ。この男は略奪者だ。
 馴染みになりつつある店の店主を陵辱し、表情一つ変えないのは、これが彼の日常だからだ。興味を持った物を奪うのは当たり前で、特別な事はない。欲しければ、他人の物であろうが奪う。障壁は、打ち砕けばよい。それが他人の尊厳でも権利でも、そんな事は彼には関係の無い事なのだ。この行いは続く。何も状況が変わらなければ。
 長沢の苦痛も懇願も、彼自身の快楽に捧げられるちっぽけな生贄だ。自らにひれ伏す男の苦痛は、刻々味を変えていく。抵抗から懇願へと。そのフルコースを楽しむ権利は略奪者にある。生贄は略奪者の物なのだ。
 青年が時折漏らす笑みは、非常に青年に似合っていた。整ったその顔通り、整然と無表情で…冷え切っていた。
 だから、長沢にも半ば分かっていたのだ。どうしようもないと。だが。
 青年が略奪者なら、自分はただ略奪され、搾取され続けるだけなのか。それが新しい自分の日常なのか?
 恐怖で動けない身体を、あざ笑うように陵辱された。傷つき、何もしなくても痛みを訴える場所に、青年はさらに深い傷を負わせ、それを快感の寝床とした。傷つく程、熱く絡みつく場所を求めた。
 苦痛と恐怖から、逆らう事は出来なかった。懇願するしか術は無かった。
 彼の出す指令の全て従った。言えといわれた言葉は全て口にした。罠と分っている言葉も全て、言われる通りに唱えた。行為も受け入れた。足を開けと言われれば開いたし、腰を上げろと言われれば上げた。四足をつき、獣のように腰を振れと言う命令にも逆らわなかった。
 ただひたすら、狂宴が終わるまで堪え続ける。それしか自分に出来る事など無いのだ。搾取されるしか、無いのだ。
 −− 本当に?
 「死……」
 「死ぬほど気持ち良いか。まだまだ、してやる」
 ただ、受け入れながら必死で呼吸をする。自らが感じている感覚の種類が、長沢にはもう分からなかった。
 青年の激しい注挿に堪え切れず、気が遠くなる中、ハスキーな声が何度も何度も長沢の耳元に吼えた。本当にそれは獣の吼え声のようで、今度こそもう目が覚めないと確信した。くそう、死ぬ瞬間まで俺は何も言えないのか。
 「死……」
 歯を食いしばる。端正な顔が近づいてきた。
 本当に、何も出来ないのか?
 端正な顔につばを吐きかける。
 「死んじまえ。いつか……殺す」
 闇の中に沈んだ。
 青年の咆哮が闇の中まで追いかけてきた。しつこく、幾度も。

 啓輔。
 啓輔、、啓輔、啓輔。
 捨てるな。振り払うな。おまえは俺の物だ。俺の。俺だけの物だ。変わりに
 俺をくれてやる、啓輔 ………。
 

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