□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 言葉の意味が良く分からなかった。
 自らの意見は異端で、必ずや拒否されると思い込んでいたから、すんなりと承認された事自体が良く理解出来なかった。
 きょとんとしたまま、言葉を飲み下す。考える。思えばつい最近、似たような事があった気がする。よく考えたつもりの自分の予想がてんで外れていて、自らの思いとはまったく別の所に答えが転がっていた。そんな事があったのだ。
 答えが分かって見ればそれは全く妥当で、思いつかなかった自分が間が抜けていたと感じた。そんな事がつい最近あった。あれは、何だったろう。あれは、そう。
 何の事はない、「革命」などと青年が呼ぶ一団が、長沢の過去を曝け出したと聞いた、あの時ではないか。
 何処の馬の骨か分からないと一蹴されるとばかり思っていたのに、先方は長沢の全てを調べ、曝け出したと聞いて愕然としたのだ。過去を晒された事にも、そんな妥当な事に自分が思い至らなかったと言う事実にも、あの時酷く愕然とした。
 不穏分子の侵入を防ぐ為にはリサーチが基本だ。その基本を全うする為に、冬馬の組織は僅か数日で、「何処の馬の骨とも分からない一般市民」を調べ抜いた。書類の点ではない。"ジェノサイダー"等と言う下世話な仇名は書類には残らない。きちんと周辺の人物に当り、然るべく詳細な資料を揃えたのだ。しかも、自分は同じ時を何の対抗措置も打てずに過ごした物だから、そのギャップが痛かった。それら全ての事実に驚き、失望もした。
 だが、その一件には小さな「オチ」が着いていた。
 件の団体は、長沢を「馬の骨」から調べたのではなかった。長沢の過去に関してなら、誰よりも詳しい人間が恐らくは"革命"の中枢にいるのだ。その人間が指先で、過去のデータをチョイとばかり浚ったのだ。
 そう知った時、自らの考えがそれ程全てにおいて甘かった訳では無いと知った。甘かったのはたった一つの点に置いてだけだ。それは、その場に揃うキャストを読み誤ったと言う、その一点についてだけの事だったのだ。
 今またその時と同じ驚きが繰り返されているのだとしたら、恐らくは読み誤った点も同じ筈だ。それは。
 そこにいるキャストを読み誤った、つまりはそう言う、事だ。
 

 悪戯っ子よろしく、小さくVサインを出してみせる楢岡の笑顔に溜息をつく。頭の中で、幾つかの要素がかちりと音を立てて重なった。そうか。こいつか。こいつだったのか。なるほど。
 「うわー…。俺今物凄くその笑顔に腹たつ。俺のこの四日間の苦悩は何だったんだろう。物凄い覚悟して言ったのに」
 え。
 笑顔のまま楢岡が固まる。鷲津が横で首を振った。
 「ああ、違う違う。俺としてはこいつのその意見に賛成している訳でも、納得している訳でも有りませんよ。こいつ、"何となく反対"なんて適当な事を平気で推して来る奴ですからね。正直、今の長沢さんの結論はショックだ。詳しくその理由を聞きたい。おいそれとは説得される気はない。
 ただまあ、ワンクッション有ったんでね。その意見に憤慨したりとか、そう言う事はないってだけです」
 鷲津の言葉に頷く。だが、問題はそのワンクッションなのだ。楢岡が"同じ結論"に辿り着いた理由が分からなかった。
 この調査は鷲津が主に行ってきた筈だ。今まで、鷲津からも楢岡からもそう聞いて来たし、殺人事件となれば生活安全課より一係が妥当だから、違和感は無かった。単なる協力者で、いわば「オマケ」である筈の楢岡が、鷲津より先に正解に近付く謂れが無い。そこには然るべき理由が無くてはならない。何となく、では済まされないのだ。
 視線を向けると、曖昧な笑みが返って来た。
 「良いから理由を聞かせろって顔だね、そりゃ」
 頷く。
 話題が豊富で話し上手な男が、大きく息をついて黙る。暫く考えてから、まあ、と呟いた。
 「まぁそうね。そろそろ俺のだんまりも終わりか。OK、正直に言いましょ。
 この、"一連の事件"な。そもそもきっかけは俺の生活安全課なのよ。」
 そら来た。長沢は思う。
 今日限り、少々楢岡に対する見方を変えねばなるまい。今まで見せて来た顔が全て嘘だったとは思わぬが、少なくともこの男はつい二ヶ月前まではSOMETHING CAFEの常連の"私立探偵"だったのだ。それが嘘であった時点で見方を変えるべきだった。女好きで映画好き、話し上手で気の置けない常連と言うのは、この男のほんの一面に過ぎぬのかも知れぬ。
 「ああ、勿論、ずっと追ってるのは鷲津で、それを纏めたのも鷲津ね。でもほら、生活安全課は事件が大事になる前から絡むでしょ。初動捜査って意味もあるけど、それよりもっと前。不審人物やらストーカーやら。それでねぇ。林先生の件、あれは神田署管轄の事件でさ。事件より前に俺、何回か会ってたんだよね。」
 ストーカー。
 どきりと胸が波立つ。その言葉は、長沢の極近くの人物を一人連想させた。ターゲットの傍に気配もなく蹲り、何時間でも何日でも待つ事をいとわぬ人物。獲物の為には幾らでも待つと平然と言い切る人間を。
 もしそのストーカーなるものが、長沢の想像した人物なら。
 一連の事件は終わる。そう遠くない内に。大失敗と言う形で。
 「先生が仰る。"40代かそれより少し前の、黒尽くめの、幽霊のような男が私をずっとストーキングしているんだ。そうだ幽霊だ。何度も顔を見ているのに、特徴が無くてちっとも思い出せない。こう、存在感が薄くてぼおっとした存在なんだ。だがね、幽霊ほど鬱陶しくて気味の悪い物は無い。君、兎に角そいつを直ぐに捕まえなさい!!"――と、こんなふう。」
 少しばかりほっとする。長沢の思い描いた人物と、このストーカーは別人だ。だが安堵と共に同時に疑問も湧き上がる。
 ではそれは誰で、どう繋がるのか。
 「人の顔が判らないなんて言うのは良くある事だ。捜査を始めたよ。だが直ぐに終わった。何しろ先生本人が"事故死"して、事件が交通課に移っちまったからね。
 勿論、ストーカー殺人の線も調べたよ。俺らの生活安全課も、鷲津の一係も動いた。だが結論は早かった。"そんな奴は居ない"それが結論だった。本っ当に何も出なかったんだ。有ったのは先生の証言一つきりで、他には何も出てこない。まっさらだ。そうなりゃどうしようもない。この事件は終了だ。
 だが次のサヨクおばちゃんの時に鷲津が引っかかった。
 高島平署の管轄だったんだが、知り合いが居たお陰で情報が伝わって来た。なんでも、関係者が誰も知らない人物が、一回だけ病院に面会に来てたって言う。面会者用の名簿に書かれた字は当番看護婦のモンで、看護婦には面会者の記憶も無かったが、監視カメラは憶えててくれた。画面にこんもり黒い、"黒尽くめ"の人影をね。で、俺も引っかかった。全然関係のない安全課だけど、記録を見せて貰った。で二人で引っかかった。 
 さて。俺はね。ストーカー云々の訴えがあった時、一つ自分に課してる事がある。被害を訴えた人間の部屋を、丸々記録に収めておく事。ざくざく写真でいいのよ。コレが案外有効でね。ストーキングする奴は必ず"戦利品"をゲットするか、"贈り物"をするから、"間違い探し"が出来る。
 だから林先生の時もそれをやってた。そしたら、前回言ったアレを見つけちゃったわけだ」
 「紅白のツートンの布」
 楢岡が、それ、と長沢を指差す。
 「先生の時は書斎の本の上に有った。でもな、先生は事故死したんだぜ。こんなの、関連付ける奴は居ないよな?サヨクオバさんはクローゼットの中。その後はこいつが全部調べた。布の出所を調べ、その後に起る事件は全て"品物"をチェックアップして。でも限界が有るんだよね。この方法は未来にしか使えない。
 過去の"自然死"に調書は無い。また、たまたま有ったとして、ちっぽけなハンカチの記録が残っている訳が無い。探すにはネットワークが要るんだよね。地元との」
 で? 長沢が促す。
 「その"地元"が日本全国区に広がると思う根拠は?」
 ああ、そりゃあ。楢岡が言いながらビールを煽る。
 「よりによってワザワザ東京を選んで、この短期間にこんな面倒な事を五件もやる奴が、地方都市でアピールして無い訳が無いやね」
 おお。
 思わず感嘆して、声を上げる。拍手をする。楢岡の短い答えは、長沢が望む物全てを含んでいた。これ程出鱈目に適当に、しかも過不足無い答を目の前の男がくれるとは、全く思っていなかった。本気で感心したのだ。
 「凄い。凄いよ楢岡くん。前の話の時にツートン布が"事件"をつなぐ手がかりだと、どうやって気づいたのかと思ってたらそう言う事だったんだぁ。凄い先見の明だな。凄い慧眼じゃないか楢岡くん」
 「見直したか」
 「見直した見直した。本当に凄いよ。これが"一連の事件"の全てのきっかけだもんな。初めの一歩を掴める人はナカナカいない。いやぁ凄ぇ。二人は良いコンビなんだなあ。
 しかも今君、俺が今日言おうとしてた事、全部綺麗に纏めてくれたし。俺、今日もうこれでお開きでも満足だな」
 長沢が凄いと連呼するのにあわせて、両手を挙げて応える様子は、いつものお調子乗りの楢岡のままである。鷲津があからさまに眉根に皺を寄せた。
 「ご冗談。俺は全然納得してない。俺は捜査段階の事は全部知ってる。そこから一足飛びに結論に到るお前の理屈を説明しろといつも言ってるだろ。長沢…さんも同類か。奇妙な賞賛していないで理由を言って欲しいね」
 拍手の手を止める。肩をすくめて見せる楢岡と、憮然とした表情の鷲津を見比べて、長沢は資料に手をかけた。なるほど、と思う。
 資料を見ていて感じたのは、この資料を纏めた人間の几帳面さと独創性の無さだった。鷲津は実務派で、どうも曲者なのは、ちゃらんぽらんに思える楢岡のようだ。
 「じゃ、と。楢岡くんが大雑把に総論を語ってくれたので、俺は各論行きます。理論の飛躍が有るかも知れないので、おかしいと思ったらそこでツッコミどうぞ。では行きます。今の楢岡君の総論で、俺が同意したポイントは三つ。
 まず一。この"一連の事件"は、特定の団体が起こしている物であると言う事。
 二。この"一連の事件"が、アピール活動であるという事。
 三。その論拠が東京23区内での続け様の事件であるという事。
 加うるに、被害者に共通の事項から、この団体の傾向の推測がつく……くらいかな。」
 楢岡が呆れた、と言いたげに口笛を吹く。鷲津の不満気な表情に、長沢が続けた。
 「つまり、えー。一。これは今楢岡くんが言った通り、一見事故死、病死と言う、犯罪性の無い死と、ツートンのハンカチと言う組み合わせから、同じ手による犯行と思われる。また、死の状況や場所を考えると、まあ個人は無いでしょう。複数犯か団体と考えた方が自然です。俺には初耳だったそのストーカーの事を考え合わせれば、個人じゃないのはまず確実でしょう。
 二。まあ、ツートンのハンカチなんて目印をつける事自体、アピッてる訳ですが、もっとはっきりしているのは三。この短い期間に東京23区内で分かっているだけでも5件の"殺し"をした事。殺し方が猟奇的だったら、"俺をとめてくれ"って可能性もないとは言いませんが、事故死に心不全に癌による衰弱死。計算づくで冷静で、エスカレートしない殺し方は快楽殺人とは別物でしょう。となると。これだけ冷静な犯人が23区で犯罪を重ねた理由は一つ。
 誰か個人、あるいは特定の集団、特定の波長を持つ人々、とある政治団体、圧力団体、人種……等々への"アピール"。です。
 あ、サスペンスドラマ並の連続殺人じゃないの?と言う不満は出るかもしれない。被害者達が過去に何らかの濃い関連を持ち、恨みを買った為の連続殺人事件。良いですね。ワクワクします。
 しかし。これを復讐劇ととった場合、前述の快楽殺人と同じ理由で矛盾が生じるので、俺はその考えはパス。アピール、だと思います。だからここまでは、楢岡君の考えに俺も完全同意なんですよ。
 さて、ではそこから先。どういう個人、あるいは団体へのどうしたアピールなのか。
 さてそこで、頂いた五人のデータが物を言う訳ですが。」
 ホッチキスで留められたコピーが二人に配られる。大学ノートにざっくり5人分のこの数年の主なデータが纏められていた。あちこちから引きずり出して来た為に多少の前後動はあるものの、人数分の、見事なまでに同じ"見出し"がずらりと並んでいた。
 「なくなった順番は鷲津さんが纏めておられた通り、金山 町之、林 操一、高綱 より、富士野忠明、そして横井孝道。ややこしくなるので最初の一人は外して先に四人を比較します。コピーの通り。
 元中国大使の林氏とジャーナリスト崩れの高綱氏は同じNakane-t(ナカネット)の日本会員で、民衆党の富士野氏の弟がその後援団体のひとつであるasx(アスクス)の社長。横井氏は後援会の会長。これだけじゃなく、調べて行くとこの四人それぞれに、アジア女性主権センター、東亜ポータル、ban.net、東夷神大会、ライフルーム、ソーハンズ等々の会社やNPO団体の会員だったり会長だったりと、繋がりまくっています。つまり、お互いの利害がとことん一致していると言う訳ですね。同じ穴の狢、です。
 登記書のコピーをつけたので分かって頂けると思いますが、そこに有る社名の幾つかはまるきりのトンネル会社で嘘っぱちです。その癖、まあ。ばっちり役に立ってます。彼らはそこを隠れ蓑にして、米国で幾つもの日本政府に関わる訴訟を起こしています。
 えっと、訴訟の名前がねー……またこれが香ばしい香りがするものばかりなんですよ。「ワシントン従軍慰安婦訴訟」「女性国際人権法廷訴訟」「アジアホロコースト訴訟」「アジア性奴隷法廷」等々……。どれも頭が痛くなるような出鱈目な反日訴訟で、殆どが頓挫しています。
 それでも、米下院議員の中には脇が甘い人が居て、担ぎ出されて議案を通した人もいます。お二人もご存知の反日議案がそこに載っています。もう充分ですね。つまりこれが、彼らの共通点で、彼らの死の理由」
 子供たちを寝かしつけた母親が二階から降りてくる。居間を覗き込み、長沢の手許の茶に違和感を感じたらしく、別の物に淹れ換えてくれる。礼を言って口をつけると、甘い香りが鼻に抜けた。なるほど、来客用は物が違うらしい。
 「共通項は反日……か?おいおい。また随分ざっくりとした捕らえ方だな」
 子供たちへのプレゼントの礼を簡潔に述べて、邪魔しないようにと彼女が去る。すっかり馴染みと見える楢岡が、その彼女に幾つかの言葉を投げるのをバックに、鷲津が溜息をついた。
 「良く調べてくれたとは思うけど、動機としては弱いな。もっとはっきりした利害関係がないと、連続殺人には到らないだろう」
 「そりゃ一般人の場合だよ。こいつらアピールが目的なんだから、問題なのは死の"数"なんだよ。一つ一つに重みは無いの。頭固いなお前。
 反日とか言い出したらね、人数が馬鹿にならないし、分かれ目も曖昧でリサーチも難しい。だからこいつらは手っ取り早く影響力の強い反日の旗印を殺してる。そうすりゃお前、勝手に相手の方が自覚してくれる訳だ。あれ、次に俺の所へ来るんじゃないか、って。
 鷲津、お前さぁ憶えてない?富士野忠明が死んだのって、予算委員会で代表質問を繰り返してた時だったんだぜ。アピール効果抜っ群の時だったよねはっきり言って」
 ビンゴ。長沢は心中で楢岡に拍手を送る。その通りだ。
 鷲津は低くうなって、暫し考えてから首を振る。
 「いや、待て。この四人は例えばそうだとしよう。保守だか国粋だか知らないが、そうした団体に消されたとしよう。だが、たった五件に一件の例外が有るのは頂けないだろ。最初の一人。金山 町之はどうする。どうなるんだ。
 彼は政治家でもなければ活動家でもない、影響力のある立場でもない。ただの小売店販売員で、しかも孤独死だぞ。ちっともアピれてない。そもそもアピールに向く存在じゃないんだ。誰も知らない人物だ」
 ビンゴ。
 長沢が鷲津を指差す。無言だが大きい動きに、ソファの二人が振り向いた。
 「誰も知らない人物」
 「え? あ、ああ。そうだろう、だって。ただの一般の孤独な老人だ」
 テーブルの上から、四人分の資料を全て下ろして片付ける。残ったのは鷲津が作った数枚程度のレポートだけだった。
 「まさしく誰も知らない人物。それが彼でした。本当に誰も知らないんですよ、彼が通っていた筈の小学校の同級生も教師も。以前住んでいたとされる界隈の住人も。
 鷲津さん。これこそが資料と思いませんか。
 紛れも無く、彼が元、なんですよ鷲津さん。地方都市はどうか知らない。でも東京で起り、これから日本内のどこかで起るであろう死のきっかけは、まさしく彼なんだ。いや、語弊があれば"彼ら"なんだ。
 さて。ここからは俺の空想です。素人の空想は突拍子も無いかもしれない。でも逆にプロと違って穿ってる分正解に近いかも知れない。どうなさいます?お聞きになりますか?」
 ソファの上の二人がそっと視線を交換する。楽しげな楢岡と、神妙な面持ちの鷲津と。答えは一つしかなかった。
 「ああ、頼むKちゃん。是非、聞きたいね」

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