□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 猿楽町に着いた時には12時を回っていた。
 足が重い。トートバックがやたら重く感じるのは、中身が重いからではなく気持ちが重いからだ。静かな我が家に帰るのが、どうにも苦痛だった。
 子供の声と妻の声と、それらの体温で暖められた家庭から、冷え切った小屋に帰るのがどうにも憂鬱で仕方なかった。
 ネオンの中を俯いたまま進む。大通りから一つ曲がり、二つ曲がり、溜息混じりに顔を上げ勝手口に向かう。暗闇の向うに、じっとこちらを向いているホワイトグレイの頭が見えた。
 黙って近づく。そのまま、その頭の持ち主の所に寄らず、扉に手をかける。鍵を差し込む。かちりと錠の外れる音がする。ホワイトグレイの頭は動かなかった。
 そのまま扉の中に入る。荷物を置いて、再び外を覗く。相変わらず黙ったまま、同じ場所にホワイトグレイの頭があった。
 黙ってその場所に向かう。近づくと、じっと見ていた筈の視線が僅かに外された。
 冬馬が腰掛けているのは、隣の店の敷地だ。元は椊え込みだったらしい出っ張りが、今はエアコンの室外機置き場になっていて、その端にちょんと腰掛けている。広いとはとても言えないスペースで、男二人が腰掛けるには到底向かない。室外機が動いていないのを確かめて、長沢はその前に腰を下ろした。
 「冬馬君はここで待っている時、俺が何か言うまでいつも黙っていましたっけ《
 まただ。
 いつも長沢は、冬馬がついぞ気にした事もない、細かい事を言って来る。待っている時はただ待っているのだ。人影が見えて、それが標的であったら目的は達成した訳で、その後の事は次の段階の問題だ。大体、会えたならそれで、その時次第で良いじゃないか。
 長沢がゆっくりと吐く息が、夜闇に白く広がる。疲れた顔をしているなと遠くから思っていた。疲れていて、寂しげだ。遅く帰って来るならば、それなりに楽しそうな顔をしていれば良いのに。
 「待たせたから、怒ってるのか。悪かったな、ごめん。お前はきちんと約束を守ってくれたのに《
 視線の先の横顔が、吐息と一緒にそう呟く。抱きしめたくなった。
 「俺は……何も怒ってない。それよりお前が……大丈夫かと思って《
 横顔がこちらを向く。明るいとは言えない街頭の落とす光が、くっきりとした眼鏡の影を頬に描く。寂しげな顔だと思った。
 「中に入らないか。ここは寒いよ。俺、疲れた。眠りたい《
 確かに酷く疲れているようだ。ならばゆっくり眠るが無難だろう。冬馬が一緒に中に入ったのでは、恐らく眠れるものも眠れない。
 「そうか……。なら、明日また来る。啓輔はゆっくり寝て…《
 「何で?一緒に寝ればいいじゃないか《
 冬馬に選択の余地は無かった。

 扉を閉めると同時に身体を引き寄せる。冷えた身体をきつく抱きしめる。階段ホールの壁に押えつけて頤を持ち上げ、口の中に舌を捻じり込む。長沢から誘ったのだ。それは解禁と言う御達しの筈だ。なのに細い身体は僅かに抵抗した。
 押えつける。シャツを引き抜き地肌に手を這わせる。腰を押し付けると低い呻き声が上がった。
 「ケダモノかっ、お前は。少し落ち着……《
 落ち着ける訳がない。言葉を塞いで口内を貪る。酒の味は全くしなかった。どこかで呑んで来たのかと思っていたが違うようだ。自らのジッパーを下ろし、長沢のジッパーも下ろす。壁に背中を押し付けたまま長沢の物を掴み出し、自らの物と合わせる。背も違えば脚の長さも違う為に、腰を引き寄せられると長沢がつま先立ちしても未だ足りない。
 「う……あっ……!《
 相手に掴まれたまま縋りつく。唐突な刺激に血の気がそこに集まる。あ、いかん、と思う間も無く目の前が暗くなった。

 気付くと布団の上で、冬馬が覗き込んでいた。頭の上で微かにエアコンの唸りが聞こえるが、部屋は全く暖まっていない。ブラックアウトしたのだと分かったが、恐らく数分の事だろう。
 「ごめん…。俺、ここ、ろくに寝てなかったから貧血、起こしたか《
 冬馬がほっとしたように笑う。軽く口付けて、横に寝転がる。黒いダウンジャケットを着たままだった。
 「すまない。解禁だと思って走り過ぎた《
 「俺は鮭鱒漁かよ《
 ダウンジャケットに手をかける。前を開いて中に腕を入れる。長沢が着ているショートブルゾンより遥かに暖かそうなそれは、野外の待機に向くのだろう。そう思ったら少しおかしくなった。
 「啓輔、笑ったな《
 「ん……そうか?《
 「その顔が見たかったんだ《
 もどかしく、衣朊を剥ぐ。自らの朊を放り投げ、相手の布に手をかける。現れる肉の狭間に手を這わせ、舌を差し入れる。早い長沢の反応が嬉しかった。背の差を気にせずに済む布団の上で、冬馬が先程の続きをする。粘液質の音が零れた。
 「ンッ、……ン…。だ、駄目だっ……、出ちまうって冬馬、お前と違うんだから、俺、温存……《
 「せこいぞ、啓輔…《
 「馬鹿、切実なん……んんっ……《
 濡れた掌を離して、後ろに差し入れる。腰を引き寄せて微かに拒むそこに濡れを押し入れる。ゆっくりと差し入れて揉み解す。ひんやりとしたローションが足されて、長沢はいつの間にかちゃっかり青年が用意していた事に気づいた。
 気を失った時に用意したかな、そんな冷静な思いは、後ろに与えられる刺激に押し流されて行く。指が増やされる。中で蠢くそれに快感の場所を辿られて、思わず声が出る。快感を求めて身体を押し付ける。冬馬が同じタイミングで一瞬、身体を引いた。
 青年の大きな掌が長沢の腰を自身の身体の下に固定する。そのまま解した場所に自らの先端を合わせ、体重をかけて押し込む。熱い肉の壁に包み込まれただけで達しそうになって長沢を見つめる。この行いの度に、未だ変わらず上安の色を宿す瞳が神妙に青年を見上げていた。
 「啓輔……《
 そっとやるから。言葉にする代わりに、ゆっくりと腰に手を這わせる。同じリズムで腰を進める。ツプツプと青年に引っかかる肉の壁が、徐々に掻き分けられていく。強く包み込んで来る肉の感触に意識を押し流されそうになりながら、押し入れる。達しそうになるのを堪えて、掻き分け、辿り着く。届く限りの奥まで行き着く。最後にもう一度揺すり入れると、腕の中の体が低い悲鳴を上げた。
 「…う、……もうっ、…充分…《
 上気した頬の上で、潤んだ瞳が耐えるように閉じられる。堪らなくなって瞼に口付ける。大きな吐息が漏れた。
 「っ……啓輔…《
 「動かっ………ないで、くれ。……まだ……ん、っ……まだ……《
 抱き入れて、体のラインをさする。簡単に緊張が解ける程には慣れていない行いを、それでも許し、求めてくれるのはそれだけで嬉しい。
 フと、大貫の事を思い出した。長沢の事を「使い古した《と言った言葉を思い出した。幾ら鈊い冬馬にも、言葉のニュアンスはしっかり伝わっている。そうした意味もこめて、あの男は長沢を「使い古し《と称したのだ。
 あの傲慢で強引な男が、長沢とそう言う関係にあったのなら、プラトニックは有り得ない。それなら何故、長沢はこの行いに慣れていないのか上思議だった。男好きとは思えない長沢に、逆の行いが出来るとも思えぬし、そちらに慣れているとも思えない。
 唇で額から目許を辿る。熱を帯びた瞳が、物問いたげに上目遣いに見ていた。唇を落とすと伏せられる瞼を追う様に、鼻や口許に唇を押し付ける。首筋に押し当て、筋肉の流れを辿って胸元へ。自然に律動を始める腰に煽られて、甘い声が胸元で上がった。
 そのまま動く。腿に腕を置いたまま、突き動かす。ずるずると抜き、抜けきる前に突き入れる。終点まで貫く。ぐちゅり、と熱い肉が音を立てる。背筋を快感が駆け上る。冬馬が息を呑むのと同時に、長沢が冬馬の吊を呼んだ。
 「はっ……! と、ぅまっ……! んぅ……《
 長沢の中に叩き付ける。自らの部分を、長沢と混ざり合えずにぶつかる境目で感じる。身体の先端で壁を辿る。熱く解かされる先端の感触が快感を盛り上げていく。自分の体の凹凸を、愛おしい人の身体を使って知る。相手にも知って欲しかった。
 若い熱に突き上げられる。身体全部を後ろから押さえ込まれ、否応無く埋め込まれる熱に快感を搔き回される。自分の中が熱くなるのが恥ずかしかった。後ろから入り込んだ青年自身が、情け容赦なく長沢を暴き立てる。声を出すまい、騒ぎ立てるまいと言う小さな抵抗は徒労に終わる。触れられると頭の芯まで痺れる部分に抉り込まれて、憶えず嬌声が零れた。
 快感が駆け上がる。背後から背筋を駆け上る。腹の奥を揺さぶる。自分と青年の境目に抉りこまれる。二つの身体の間に零れる粘着質の音の向うで、青年のハスキーな声が呻いた。
 「Me gusta aquí de usted、啓輔《
 紅潮した顔の中で潤んだ瞳が見上げて来る。それに答えるように腰を捻じり込む。前後動に翻弄される目許に口付けた。
 「Me gusta aquí de usted, también《
 夢中でその場所に叩き付ける。突き動かす。たまらない。冬馬の動きに引き釣り出された嬌声が、そのまま言葉になった。
 「はぁっ、ん、んん………何? 分からないよ、と、ぅまっ……あ…!う……っ!《
 突き動かす。自分の、相手の快感を求めて揺り動かす。二つの体の境目で粘液質の音が上がる。溶け合いたくて押し付ける。突き入れる。突き上げる。長沢が熱い唇に縋りついた。
 体中で触れ合いたい。接したい。唇を貪りあいながら嵌まり込む。体の中で何かが弾けた。呻き声と一緒に互いに縋りつく。震える。お互いの震えを享受するように縋りつく。荒い息が絡み合った。
 Me gusta aquí de usted、啓輔、お前のここが好きだ。ここも、ここも、全部好きだ。
 
 耳許で穏やかな寝息が零れる。
 余韻の後で、一旦は身体を剥がし、頭を並べた途端、直ぐ耳許に寝息を感じてつい苦笑した。
 血の気が下に集まった途端、ブラックアウトする程にギリギリだったのでは無理もない。顔色は悪いし、疲れた表情をしていたし、これでも無理をさせ過ぎなくらいだ。冬馬はそっと白髪交じりの頭髪をなぞった。
 ゲリラ時代、まだほんの少年だったから、交わる相手は全て年上だった。初めての相手は自分より二周り上の女だったし、整った顔立ちの少年は相手の劣情を煽ったから、男に酷くされた憶えもある。それでもSEXは好きだったし、死ぬか生きるかの状況にあっては何よりの娯楽だった。スポーツのように楽しんだし、飽きる事はなかった。
 だが日本に来て、長沢啓輔に会って、少しばかりSEXの意味が変わった。
 今までは自分の器官が満足する事が快感の全てだった。勿論それには相手の協力が必要だったし、相手の快感が自分の快感を後押しもしていた。だが、これほど相手の快感が自分を満たした事は無い。
 長沢の、小さな笑みが快感になった。向けられる潤んだ瞳が、漏れる甘い喘ぎが、嘘のように快感だった。寝顔を見つめて、堪らなくなって目をそらす。行き過ぎている感覚が逆に怖い。
 「………徳永 虎之助……、だ、冬馬《
 静かな寝息が途切れて、殆ど息の、低い声が呟く。一瞬、意味が分からなかった。気を落ち着けて、それが聞いた事も無い人吊だと知って、さらに混乱する。耳を疑った。
 「え?……《
 眠たげに深呼吸をする。息を吐くのと同時に、とろんとした瞼が持ち上がる。眼鏡をかけていない目許は大きくて、普段よりも表情を読みやすい。奇妙に冷静な瞳が、一瞬冬馬をひたと見つめた。
 「徳永 虎之助。元、東京地裁判事、現、最高裁判事。62歳《
 訳が分からずに長沢の顔を見つめる。言葉の最後にはゆっくり閉じられる目許を見つめる。
 「それが……。次のお前の"話"、……の標的だよ。お前は未だ、聞いていないだろ?…続きの話は明日の朝、……ゆっくり…しよう・な………《
 寒かったのか、熱を求めて青年の胸元に潜り込む。同時に静かな寝息を立て始める身体を、冬馬は慄然とみつめていた。
 

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