□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 3クリスマスケーキセットと1A。クリスマスブレンド2つとアメリカーノ、カプチーノ。それらを載せたトレイを、学生達の机に運ぶ。女三人、男一人の四人組。加うるに。
 「あ、来た来た。OK。今から答え合わせ〜〜」
 携帯電話の回線で繋がれた遠隔参加者お一人様の五人席だ。
 「駿君がAセットでアメリカーノ、セツ、マナ、アヤの三人組様がクリスマスケーキセットで、ブレンドとカプチーノ、と。で、正解は分ったか達也君」
 携帯から耳を離さぬ駿が、遠隔の達也の分も手を振る。
 遠隔の一人が現在居る場所は、明日からの合宿の説明会場だ。会の名前はご大層に「立志会」と言う。
 参加人数は、都内の川上塾に通う生徒2300人。会場の最大収容人数ギリギリで、満杯だったとの現地レポートだ。少子高齢化だの人口減少だのと騒いでいるが、まだまだ東京に青少年は多いようだ。
 朝の8時半から始まって12時00分までの会。最後に全員で勝ち抜くぞ、とシュプレヒコールを上げて終了と言う事になったらしい。後は其々の地区ごとに最終確認をして解散となる。地区別に集まる前に、建物内部から電話をかけていると言う状況だ。
 初めて来た、だの、提灯の数凄ぇだのと言うレポートが挟まると言う事は、本人はそれなりに楽しんでいるようだ。それは確かに、受験生や予備校生にとっては慣れ親しんだ場所である筈は無いだろう。
 平日の午前中であるからこそ、履修不足だなんだと騒がれている現在だからこそ、貸し出された場所なのだ。通常は、日本文化に通ずる粋人達が集う場所であって、学生達がテキスト片手に出入りする場所ではない。
 会場は国立劇場。所在地は東京都千代田区隼町。
 最高裁判所と軒を接する、いわば、"お隣さん"である。
 
 待機する。耳の中の冬馬はそういった。現在は耳の中に音は無く、恐らく現時点で一番騒音を運んでいるのは、他でも無い、ここだ。
 「達也、ぜぇったい無理って言ってる。うん。え?ああ、マスターがファイナルアンサー? だって」
 携帯の向うの達也の言葉を、駿と呼ばれる青年が口にする。通信中の携帯のオーナーでAセットのオーダー主。四人中唯一の男性だ。携帯電話の持ち主は通達役を買って出て、電話自体を渡す気は無いらしい。電話向うの達也も、言葉を伝えたいなら直接長沢を携帯に出してくれと言えば良さそうなものだが、これも現状に満足しているようだ。
 「国立劇場から出ること!」
 長沢はキッパリ言い切った後で、肩をすくめる動作で言葉を疑問形にする。その場の四人は総合で了解したらしく、小さく頷いた。
 「国立劇場から代金を払わずに出る事は出来ないってのが答かって。…うん。だからそーだって言ってるよ。
 入り口は非常口を除くと裏と表と横に一つづつしかないし、、表以外は普段閉じてて鍵もかかってたって。だから出られるのは表だけなので、答えは"無理"。ファイナルアンサー」
 ――― Is it your thought to go out via the National theater。Yoi-duki?(国立劇場から出ろと言うのが、よいづきの考えか)
 「他に方法は無い」
 言葉を選ぶのが難しい。断定形で言ってから、また動作で疑問系にする。この状況はやや苦しい。
 「無いって」
 ――― I Copy.Asa-giri speaking. Then give me a route.(コピー。あさぎりだ。ではルートをくれ)
 ――― The Nearest exit to the National Theater is a west gate. But it is absolutely impossible. Company car exit is possibility…(国立劇場に最も近い出口は西門だが、それは絶対不可能だ。後は社用車出口だが…)
 ――― This is Yuu-nagi,The car exit is closed.Now.It's impossible.(ゆうなぎ。現在清掃車の出入り口は封鎖されている。不可能だ)
 ――― Comm.The High way runs underground of East wing. Is that gone out of emergency exit?(指令。東棟の地下に首都高速環状線が走っている。非常口は有るが…)
 ――― Yuu-nagi.It's closed.(ゆうなぎ。閉鎖している)
 ――― I throw away Kahuu equipment. I'll go out here, east stairs hall.Give me a route.(あさぎり。花風の装備を捨てる。東階段ホールから出る。ルートをくれ。)
 ぱん。
 耳の中と、間近なリアルが一緒に静まる。耳の中でない混ぜになる幾つもの音が単一になる。打った手をゆっくり戻して、長沢は顔を上げた。
 「纏めよう。昨日俺が出した問題は、国立劇場から代金を払わずに出る事は出来るでしょうか。答えは出来る」
 えええええ。抗議の声が上がる。だって現馬行った達也が出来ないって言ってるのに。
 「お前さん達、ルートや正規の出口に拘り過ぎ。答えはもっと簡単でしょう。
 劇場って入る時に金払うんだから、出る時に金が要る訳無いだろう」
 「えー、マスターきったなぁああい!」
 「はいはい。で? 達也君はもう用事済んだの?予定時間通り済んだって事は、何もトラブル無かったんだなぁ。周りも?生徒達は立志会会場からもう出てきてる?」
 多少矢継ぎ早の長沢の問いに、駿が携帯のマイクを長沢の方へ向けて、聞こえた?と問う。その癖、長沢に替わりはしない。自身が伝達係を辞退する気は無いらしい。
 「んー?うん、もう早い地区の奴は出始めたってさ。騒ぎとか無いって。凄ぇ静かで逆に会場間違ったかと思ったってさ、朝。あ。うん。呼ばれたからちょっと行ってくるってよ。ああ?うん、マスターが後で来いって言ってる。行くってさ。んじゃ後でなー」
 言い終わると同時に携帯の蓋を閉め、上着のポケットに落としこむ。そこまでが一連の動作で、少しもブレが無いのに驚く。彼らにとって、携帯は指先についた爪の様に、有って当然の物なのだろう。
 現場班との通信は途切れた。立志会終了と、2300人の生徒が湧き出るタイミングが知りたかっただけなので、今はこれで充分だ。
 取り合えず、タイミングは今だ。後はその場へ導く方法だが、一般民間人には出来る事の限界がある。外見は舐め回すように見る事も出来るし、外部から出来る悪戯に毛の生えたような細工は出来るが、中に入れないので内部構造がまるで分からない。
 「さてでは君たちに次の問題です。達也の会場の隣にあるのは何でしょう。君らにも1/350は、毎年関連してくる場所です」
 「ええ?知らないよそんなの」
 「興味ねーし」
 「少しは考えないのかよ…」
 ――― Comm.No Time, Hurry!Yoi-duki.(指令。よいづき、時間が無い。)
 マスタァ。背後から奥田 早紀が声をかける。次の客が来たから戻れという合図だ。いつもは焦るだけの呼びかけも、今は有り難かった。これで余り脈絡の無い事を早口でまくし立ててこの場を去っても、そうそう不自然では無いだろう。
 「遊びの時間は終わりだな。答え。隣にあるのは最高裁判所。君たちもいずれは裁判員となって参加する場所かもしれません。その確率が現時点では毎年1/350.
 さて。どう言うところかと言うと、とかく警備の多い場所でね。門の凡てに見張りは居るわ人の目は多いわ、中に入るには金属探知機検査を受けなきゃ駄目だわで、流石死刑になる人間が最後に縋る場所、警備が固くて誇り高い。―と思うんだけど。実はこれが割と親しみ易い。
 中庭にはテニスコートが有ったり、地下には、一般人もやり方によっては利用可能なコンビニや郵便局が有ったり、隣の劇場とは塀一つしか隔てて無かったり、渡り廊下からは外が見られたりね。一応劇場の塀には鉄条網が着いてるんだけど、あれってそっと切断してセロテープで止めて来たら気付くのかな。
 ああ、はいはい、いらっしゃいませ。後一つ。劇場には紅白幕が張ってあります。立志会おめでとう」
 ブーイングと感嘆と、両方の声に送られて長沢はカウンタに戻る。カウンタでは、人の目の所為で…約一名の人の目の所為だが…ここまで自由な発言は出来ないかもしれない。言いたい事がきちんと伝わったか、非常に心配だった。
 耳の中の音声に意識を尖らせながら、ドリップマシンに「クリスマスブレンド」用の中細挽き豆を新しく落とし込む。
 ――― Commander to Yuu-nagi.Go West stairs. Go and open the door of the landing between the second and the third floor. Throw the key to west stairs anteport and north ridge anteport open from the inside. It is opened out only by the route You turn it by hand.
  (指令からゆうなぎ。西階段。二階と三階の間の踊り場の扉。内部から西階段外部扉と北棟外部扉の鍵を開放せよ。手で捻ればそのルートからのみ開放可)
 ――― Commander to Asa-giri.An anteport between the second and the third floor of north stairs.Go out of the door which she left.Via A porch between the second and the third floor, appears on the National Theater.and You leave.
  (指令からあさぎり。北階段二階-三階間外扉、ゆうなぎが開けた扉から外。二階-三階間渡り廊下。国立劇場へ)
 ――― Comm to Yoi-duki.Is it true the Barbed-wire you said ? (指令からよいづき。鉄条網は真実か)
 「赤のテープ」
 北村が長沢の声に振り返る。
 「赤のテープ。ビニールの。珈琲とか閉じてた奴。どこ入れたっけ」
 「へ?もう無かったんでしたっけ、引き出しに」
 ――― Asa-giri Copy.I look for red in a mark.(あさぎり。コピー。赤を目印に探す)
 「うん」
 間をおいて、北村にみつかったと呟く。後は。
 耳の中の音声に祈るだけだ。
 
 冬馬はヘッドセットをしたまま廊下を進む事にした。東棟五階の動揺は既に全館に及びつつある。時間は余り無いし、ここで逃げ延びるには迅速さが第一儀となるだろう。ヘッドセットが見咎められる事を気にする状況では既に無い。
 花風の名がプリントされた保温BOXとエプロンは既に捨てた。帽子を裏返してヘッドセットの上に被り、後は気にせずに歩く。幸いにして北階段は目と鼻の先だった。先程まで混雑していた耳の中は、今は静かだ。豆を挽く音や珈琲を抽出する音が、そう小さくも無い音量で間断なく聞こえては来るものの、通常の生活音はむしろ気を落ち着かせた。今は平常時で、別段大した事は起きていない。そう言われている気がした。
 北階段のホールに入る。折れ曲がった階段の二階-三階間の踊り場には外に向かう扉が有る。一階方面には無い。踊り場に上って扉に手をかけると、一回軋んで開いた。
 「Asa-giri,I go out Now.(あさぎり。外に出る)」
 最高裁の外壁は花崗岩だ。この階段も例外ではなく扉の外は黒く沈んだ花崗岩で、思ったより低い。開けた視界の真っ直ぐを見下ろすと、わらわらと色とりどりの青年達が湧き出している所だった。
 難なく渡り廊下から下に下りる。地面はコンクリだが、凹凸も障害物も無く、下りても足を挫く事も無い。短い距離を進むと低い壁と植え込みがあり、その上に半メートル程の高さの鋼鉄のバーが、半メートル程の間隔を置いて生えていて、そこに鉄条網が渡してある。赤いテープは。
 「Asa-giri,I found the red tape.(あさぎり。赤いテープを見つけた)」
 目の前にあった。
 テープを剥がしてポケットに突っ込み、鉄条網を放り投げる。片手を突いてまたげば、国立劇場は一瞬で背後になった。
 視界の隅に、国立劇場の一階の屋根程の高さをぐるり囲む形に提灯が飾られているのが映る。そのバックに、ぴんと張られた紅白幕。長沢が伝えようとした事は分っていた。
 赤白ツートンの布は大っぴらに張ってある。これで充分だろう、冬馬。
 国立劇場が背後になる。同時に最高裁判所も後ろに消えていく。振り返らなかった。
 学生達の群れに混ざる。仲間内で騒ぐ者、一人暗く俯いて歩く者、携帯に何やら叫んでいる者。それら2300人の中に青年は混ざり込んだ。色とりどりの、その他大勢の波に融けて混じる。国立劇場から流れ出た川は、半蔵門へ向かっていた。その流れに飲み込まれる。
 クリスマスの冷えた空気が、昼日中の陽光に緩んでいた。風もそう強くないので、ジャケットのジッパーを上げてしまえば寒くも無い。まったくの日常だ。何も、感じない。
 流れる。最高裁から遠くへ。半蔵門駅前に辿り着き、その中に潜り込む前に、ヘッドセットに呟いた。
 「Asa-giri speaking.I'm standing in front of the subway.'ll Cuts connection.(あさぎり。サブウェイ前。通信を終わる)」
 耳の中で幾つもの声が感嘆を小さく叫ぶのを聞いて、ヘッドセットをポケットに放り込む。通信を切る寸前にヘッドセットが良くやったと言った気がしたが、感動はなかった。
 
 アクシデントを期待した事は無い。大事な人が生き延びるのを期待した事は有っても、アクシデントを望んだ事などは無い。だが。
 アクシデントが起きて、心のどこかがざわめくのだけは止められない。危機感を感じて背中の毛が立つ理由が、恐怖より興奮で、拍動数が増える原因が不安よりは高揚なのは否定出来ない。
 セルバの日々が蘇る。背中に地面を背負って初めて安心し、AK-47を抱いて寝たあの夜。仲間の死体が発酵し、腐臭を放つ中で、二日間を暮らしたあの地。戻りたいなどと一度も思った事は無いが、忘れた事も無い。あれが冬馬の日常で、人生だったのだ。
 かつての日常が冬馬の感覚を包み込む。危険と背中合わせの日常が、死と寄り添いあった日々が包み込む。
 今の穏やかな日常が、自分の中でずれて行く。不満ではない。今の現実に不満など無い。むしろ満たされていて、満たされ過ぎていて。
 ずれて行く。どうしようもない。
 半蔵門を行き過ぎる。地下鉄に下りずに都道を進む。北へ。本当はどこでも構いはしないのだが、頭の中のコンパスが示す通りに北へ。
 血の匂いが鼻腔を満たす。死の感触が蘇る。手の中には何も無い。血も骨も。耳の中には何も無い、叫びも喘ぎも懇願も。
 足りないのだ。
 これでは足りない。
 欲しいのは、空っぽの手でも満たされぬ感覚でもない。
 もっと。現実を。俺の、現実を。

− 62 −
 
NEXT⇒