□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 耳を疑った。考える間もなかった、言葉が脊髄を通り抜けると同時に首を振る。それだけは受け入れられない。
 「いや、だから冬馬、そろそろこの関係、清算しないか。その方が良い」
 言葉が終わらぬ内に、青年の顔色が変った。元々濃い色合いとは言えない整った顔が白く引き締まり、万力のような力できつく抱き入れられる。耳に唸り声が噛み付いた。
 嫌だっ。
 長沢が慌てて首を振る。拒絶ではなく、訂正の意味だった。
 「いや違う。お前を責めてる訳じゃない。拒否してるんじゃない。傷が痛いとか許さないとかそう言う事で言ってるんじゃないんだ。なぁ冬馬、俺とお前は同志だ。俺にはお前しか居ないし、俺はいつでもあそこに居る。お前も同志だと言ってくれたし、大事に思ってくれてる事は良く分った。なぁ、充分じゃないか。恋人である必要は無いんだよ。お前いわゆる両刀と言う奴だろ?だったらお前は相応しい相手を見つけた方が良い」
 「要らない」
 「何で!」
 「革命が終わるまで他の人間は要らない」
 唸るように言う声に、長沢が黙る。青年の主張も尤もだ。
 「そ、そうか…。うん、まぁ確かに、色恋にかまってる場合じゃないかも知れないな。じゃぁ、革命が終わったら考えてくれ。俺はお前には全然相応しくない」
 首を振る。しがみ付く。
 「考えない。俺はお前しか欲しくない」
 目の前で、双眸を閉じたままの青年の顔を見つめる。白く引き締まった表情は、拒絶されて傷着いていると良く分る。違うのだ。長沢は青年を傷つけたいわけではない。ただ、考え方も感じ方も違う個性だと言うだけだ。
 「あのなぁ冬馬。それはやっぱりおかしいよ。お前は多分、俺に父親の…影みたいな物を求めてるだけだ。俺もお前を見ていると、時々息子のように思えて、自分でも信じられないくらい愛おしい。何と言うのか、心が安らぐ。お前がいてくれて、良かったと言ったのは本心だ。嬉しかったのは本当だ。でもな、それは恋じゃないだろ。俺はもう47才だぞ」
 だからどうだ。関係ない。
 「お前はこれからどんどん成長する。片や俺はどんどん衰えて行く。お前は俺を駆け足で置いて行く。俺はお前をバックアップしたいんだ。足を引っ張りたいんじゃない」
 「何でそんな事言うんだ!」
 銀色の両目が怒気を含んで長沢を射すくめる。その色が必死で、長沢は思わず口を閉じた。
 「啓輔はいつも俺が見られない遠い先の事を口にする。俺にはさっぱり分らない。分からないけど啓輔が正しいのは知ってる。啓輔の言う事は信じてる。でも、それだけは駄目だ。絶対嫌だ。第一、何故今そんな事言うんだ。
 俺がいつもお前の希望には程遠いからか?俺が子供で、役不足で、お前を傷つけたりしたからか?俺がお前に酷い事した事は有っても、お前は無いじゃないか。俺を責めて言うのなら分る。でも、足を引っ張るからって何だ?自分が悪いみたいに言って、どうして俺から退こうとするんだ!」
 「今まではそうだったかも知れない。でもこれからは変る。俺はどんどんお前の足手まといになる。きっとそうなる。側にいるのに相応しい人間は別に居るよ。俺にはバックアップの位置が相応しい。バックアップにいれば、俺の長所は活かせるし、お前の邪魔にもならない。単純な事なんだ、だから」
 「邪魔でも何でもしてくれれば良いじゃないか。俺に必要なのはお前の長所だけじゃない。何で」
 分ってくれ。分ってくれないんだ。
 二つの言葉がシンクロして、双方が息を呑む。噛み付くように言われた冬馬の言葉と、穏やかで確信的な長沢の言葉が空中でぶつかり合って消える。ボルテージが全く違うのに、相殺されて双方が黙り込む。暫し気まずくにらみ合って、同時に二つの顔が苦笑に歪んだ。
 短いしじまに、極自然に長沢が冬馬の頭をなでた。いつか撫でられ慣れた頭が、その腕の動きに添う。床暖房に温まった部屋の空気の底で、青年が大きく溜息を吐いた。
 「啓輔は、俺の事を変った変ったと言うが、変ったのは俺だけじゃない。啓輔だって凄く変った。以前の啓輔はこんな事しなかった。俺を避けていたし、恐れていたし、憎んでいると言った。足手まといになりたくないなんて、絶対言わなかった」
 腕を止める。青年の言う通りだ。
 「………そうか。そうだな。それは気付かなかった」
 頭に沿わせた腕を解いて、長沢は考え込む。青年の変化は分っても、己の変化は気付き難い物だ。
 思えばこの三月余りは自分にも様々な変化があった。いやむしろ。変った事ばかりだった。青年との出会いから異常だし、妻との別れも現在の状況も、至って異常な事ばかりだ。穏やかで変化の無い10年の後に訪れた激動の時なのだ、自身が変らぬ方が不自然だ。現状が変れば、人はそれに即応して変る。それが道理だ。
 返事に窮して床に寝転がる。ぐるりと回転する視界の端で、長沢の体の向うの壁沿いに並べられた本やノートが小さく崩れた。思い起こせば。
 いつ頃からだろう。この青年の存在を恐れなくなったのは。子から親への慕情を聞いた時に警戒心が緩んだのは確かだが、あの時点ではまだ青年は脅威の存在だった。同志になって体の関係を結んでからも、警戒心は依然として有った。いつから。
 こうして青年の前で無防備に寝転がる事など出来るようになったのか。この青年を好ましい以外に思わなくなったのか。側にいても、警戒しなくなったのだろう。
 「前より、啓輔は俺を好きになってくれたと思う。憎いと言わなくなったし、理解しようとしてくれてる。受け入れてくれてる。今日は、希望だとまで言ってくれた。なのに何故、関係を清算したいなどと言うんだ…?俺に触られるのがそんなに嫌なのか…?」
 考える。考えながら首を振る。青年に触れられるのは嫌じゃない。それどころか心地良い。
 今では青年の事はそれなりに理解しているつもりだ。暴力と血と恐怖の出会いも、今では深く理解している。冬馬の飢えの正体は、自身の中にも存在するものだ。自らの限界のギリギリで味わうスリルを、快感と感じた脳の疼きだ。
 青年の場合はゲリラ時代の命のやり取りが、脳の中に快感として残っていて、恐らくは任務をこなしている時に零れ出るのだ。その感覚は長沢にも良く分かった。銃を持った事こそないが、地位や信用を賭けてやりあう折衝で、幾度と無く感じて来た快感だ。相手が強者でも弱者でも関係ない。やり込めて握り潰す時の快感を、脳が忘れない。
 ステージが整って快感を求めて走り出し、中途で終わってしまったら、その時の飢えは計り知れない。満たされぬ想いは持って行き場が無い。だから縋りついた。辿り着いて奪った。快感を、充足感を。それが今は良く分っている。理屈ではない。感覚で。
 そう思い知った時理解したのだ。青年と自分は全く違う。だが同時に非常に似通っている。彼の苦痛は分る。求める物も共感できる。彼は20年前の自分なのだ。そうなのだ。
 だからこそ、清算せねばと思った。青年は若い。その若い可能性を、未知の力を、潰してはならない。大事に育てたい。自らと同じ轍を踏ませてはならぬと思うからこそ、清算せねばと思ったのだ。
 「傷、痛むか…?」
 可能性を、曇らせたくない。それは真実だ。
 「いや。三日目くらいで大体元に戻ったよ。お前さんが気に病む程の事じゃなかったんだ。別にあの夜、俺、酷い目見ただけじゃな……」
 言って、息を呑んだ。
 自らの言葉に耳を疑う。心中で自らの言葉を反芻する。ちょっとまてよ。清算せねばと思った幾つもの理由の中で、たった一つが引っかかる。否定出来ずにうろたえる。
 「啓輔……?」
 自らの動揺に動揺する。慌てて起き上がろうとして、それを青年に読み取られたと気付く。一気に頭の中がパニックになった。床に押し戻されて、慌てて鼻を押さえる。幸いにして鼻血は出ていないようだったが、真正面に見据えた青年の顔がゆっくりと驚愕から、笑顔に変った。
 「お前の今の言葉……何?あの夜、気持ちよかった、と聞こえた」
 言っていない。起き上がろうとして上から押さえ込まれる。言葉が出なかった。
 「啓輔、真っ赤だ」
 最悪だ。
 「怪我させたのは謝る。でも俺、あの日、ちゃんと出来たんだな。ちゃんと、啓輔感じさせた?」
 最悪だ。
 「気持ちよかった?啓輔」
 「ああ、そりゃ!ちゃんといつも終わってるし。男の体なんて単純で分り易いじゃないか、聞くまでも…」
 「でも、いつもと何か違ったから、啓輔はあんな事言い出したんだろ?」
 両手で顔を挟んで引き寄せられ、身動きが取れずに息を呑む。覗き込む青年の顔が喜色満面なのも腹立たしいが、いつも自分がやっているように、一歩先を読まれて促されるのが何より腹立たしい。暫しにらみ合って、長沢の方が両腕を上げた。
 「降参。カンベンしてくれ」
 「解説してくれたら、カンベンする」
 大きな身体にやんわりと押さえつけられたまま、深呼吸をする。どうあがいても、この身体を振り払う事は出来そうも無い。観念するしかなさそうだった。やれやれ。そう言うと引き締まった頬に笑いが宿った。
 「さっき言ったのは全部本心だ。だけどまぁ…別の理由も有ったよ。確かに」
 笑みを潜めた瞳は、じっと長沢の言葉を見守っている。まっすぐに。
 「前に言ったと思うが、俺、前に男との体験はある。あー……。SEXと言う意味で。でも趣向は多分普通で、男を好きになった事は無い。それに俺はその、口とか手とか…で。苦手なんだそっち。いや勿論、快感は有るよ、仰る通り。慣れてしまえばその日は。でも…」
 「分ってる。啓輔は身体の中触られるの、凄く抵抗が有る。体験は有っても、アナルは余り経験がない」
 「分ってて……」
 「でも、俺に許してくれたし。ちゃんと気持ち良くなってくれてる。直ぐ慣れるよ、慣れてくれたらもっと気持ちよくする」
 「だから、それが」
 冬馬がきょとんと黙り込む。穴があったら入りたいとは正にこの事だ。
 恋していれば快感はスパイスだ。身体の快感と心の快感は、混同されて同一視され、それが相乗効果となる。気持ちと一緒に盛り上がり、愛情も増す。それが生物の摂理でもあり、人間の脳の作用なのだから、上手く出来ているものだと思う。ただしそれは、普通は男女間の事だ。
 始まりが性的暴行だったから、それを払拭したくて行為を試した。寂しさを紛らわす為の交わりもあった。だがそれだけだった筈だ。体が交われば快感はある。ただそれだけだった筈だ。任務を終えた青年の熱を受け入れたのは、彼を同志として迎え入れたからだ。過剰な快感が欲しかった訳では決して無い。断じて無いのに。
 不可抗力の頭突きに受けた傷の痛みがぼやけると同時に、快感に酔いしれる自らの体に驚いた。意識的に受け入れたからではない。容易く青年を受け入れる体勢になれる事実に少なからず驚いたのだ。
 必要ないではないか。
 少なくとも、共に革命に向おうとする、男同士の相棒の間に性的興奮や結び付きが必要なものかと問われれば、それは普通は有り得ない。
 しかも。沽券に関わるのだ。少なくとも長沢は、折衝や調査、人心掌握においては、青年の教師的立場だ。年齢も倍近いし、経験もそれなりに積んで来た。仕事も恋愛も、人生も、失敗も成功も自分なりには踏み越えて来たのだ。恋愛などと言う面倒なステージはとうに終えた。今更求めぬし、それは性的欲求についても同等の事だった。筈なのに。
 何故教える立場に居る筈の自らが、子供に等しい年齢の同志に、こんな手管を教授されねばならないのか。翻弄されて、体の快感など植えつけられねばならないのだ。
 「啓輔、そう言う事か」
 振り払おうと身もがく、適わずにもっと抱き入れられる。笑いを含んだ唇が頬に、額に、唇に押し付けられる。のしかかる青年の身体ははっきり長沢を求めている。それにともすれば、自らの体が容易く呼応する。そんな筈がない。こんな筈ではなかったのだ。
 「俺は、革命に巻き込めと言ったんだ。こんな…厄介事はお断りだ。お前の補佐はしてもそう言う意味のパートナー……・ッ…!」
 細い体を押さえ込んで、体の中心に手を這わせる。言葉とは裏腹に、反応を始めている部分に指を這わせる。柔らかく弄んでからジッパーを下ろし、直に握る。びくりと全身が波打った。
 勃ち上がった物を片手で辿りながら、もう片手でジーンズを引き下ろす。そのまま長い脚で踏みつけて引き抜く。腕の中で抵抗する体が、それでもはっきり感じているのが愛おしい。感じているくせに、それが許せないと言う足掻きが却って嗜虐心をそそる。剥き出しになった長沢自身をこれ見よがしに擦り上げると、眼鏡の奥から赤くなった瞳が睨みつけて来た。
 「女…っ、見つければ良いだろっ」
 嫌だ。
 口付ける。柔らかい髭を舌で辿って、亀裂に舌を捻じり込む。言葉ごと貪って腕を体に這わせる。緩い衣服を捲り上げて、素肌を押し付ける。冬馬は元々Tシャツとパンツだけの出で立ちだ。それは容易かった。股間を擦り上げながら、背中から後門に指を這わせる。びくんと避ける腰をやんわり固定する。
 「俺のやり方に馴染んでくれたんだろ?ならもっと良くするから、感じて啓輔」
 だから。耳許で殆ど聞こえないほどの掠れ声が上がる。
 「感じるから…ヤなんだっ。こんなの不毛……」
 遠慮ない指に潜り込まれて、長沢が息を詰める。青年が自らの濡れを指先で押し入れ、そのまま注挿を始める。拘る部分を丁寧に押し解していく。背筋を悪寒とも快感とも分らぬものが駆け抜けて、長沢から抵抗を奪う。半開きになる唇に、冬馬が啄むようなキスをした。
 「好きになってくれなくても良い。感じてくれ。俺は変らない。啓輔が好きだ。革命が終わるまで考えるな。革命が終わっても俺に必要なのはお前なんだ」
 快感が押し入る。こだわりを押しのけてゆっくりと突き入る。襞に突っかかる度に、つぷつぷと体の中を滑る。すべり、入る。
 「うぁ……あっ……」
 「啓輔」
 狭い部分を補佐するように指で開きながら、自らの物を押し入れる。解しながら、突き進む。熱い息が耳許で震える。嫌だと言いながら絡みつく部分と、しがみ付いて来る腕のアンバランスが冬馬を煽る。嫌だと言うのは本心だ。偽りは無い。だが同時に快感も現実だ。以前よりも容易く開いて、柔らかく青年を受け入れる部分がそれを物語っている。
 押し入れる。長沢が冬馬の腰に腕を回した。
 「俺……は、」
 「ん?」
 「女じゃ、……ないっ…のに。………ン…ンンッ…」
 「分ってる。啓輔みたいな女に、会った事ない……」
 揺すり上げる。長沢のこだわりと意地と、沽券ごと揺すり上げる。手に入れたいと願う。
 長所だけではない。頭脳だけではない。長沢 啓輔と言う個性を。この体を、心を。
 丸ごと。

− 69 −
 
NEXT⇒