□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 秋元は約束の時間の少し前にやって来た。
 でっぷりとした身体にスキンヘッド。ブラウンのグラディエーションの眼鏡にヴィヴィッドな紺のスーツ、これ見よがしの金のネックレスとゴツいロレックスと来れば、これは絶対にカタギではない。その上、その風体で胡乱な笑顔を浮かべて会釈をするのだから、看板娘が思い切り引くのも無理は無い。
 「マスター、ヤクザさんですよね今の人!ヤクザさんとお知り合いなんですね、そうなんですね!」
 思えば、彼女が勤め始めてからの二年程、秋元はここには来ていないのだから無理も無い。
 「違います。彼は"(株)バッカー"と言う会社の社長さん。元々は宗教団体のグループリーダーだった人で、ヤクザじゃありません。仕事の関係で今日、酒井先生ご一家と話すると言ったでしょ。その相手の方」
 「社長さん……?所在地に行くと郵便箱だけが並んでるタイプの会社とか、トンネルとか言うのじゃなくて…?」
 彼女のカンは強ち間違いではないので、今回はきっちり否定しつつも、その感性は大事にするようにと言い含める。水を乗せたトレイを片手に注文を取りに行くと、秋元が溜息をついた。
 「長沢さん。頼むからさ、俺のビジネスには口挟まないでよね。奪還ってのはこれでも込み入ってて、プロフェッショナルな仕事なんだから」
 水を置いて微笑む。
 「秋元さんにはビジネスでも、俺には知り合いの一大事ですから、そりゃ口挟みますよ。それよりちょっと予備知識欲しいんですけどね。最近は殉徒総会は出家制度採るようになったの?」
 「仏法に旦那(在家)と師(僧)が居るのは当たり前でしょ。元々日蓮さんなんだからそう言うのは有るの。口挟まないでよ長沢さん」
 長沢はそっと溜息をついた。どうやら本気で秋元は長沢を、この話し合いから外すつもりらしい。相手がその気なのであれば、こちらもきちんと対応せねばならない。それが礼儀と言う物だ。
 「そうですか。そうですよねぇ。そうだ、仏教は三宝って言うのが基礎でしたよね。あれでしょ、仏法僧。三宝は仏と法と僧。お坊さんは大事な僧宝(そうぼう)で、"僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す”。仏宝も法宝も僧宝によって伝えられて行くと。だから仏教はお坊さんを大事にするんですねぇ。
 あれ?でも。
 総会って確か日興上人だけが僧宝で、血脈僧正って言う考え方も取らなくて、法主(ほっす)も開眼(かいげん)も必要ないからそれぞれの在家が…」
 長沢の言葉を、大きな咳払いが遮った。
 言葉の途中でぱくりと口を閉じる髭面の前で、スキンヘッドが思い切り渋面を作る。ゆっくりと口の前に指一本を突き出し、静かにしろと言う合図と共に向いの椅子を指差す。長沢が指令の場所に腰をおろしてにっこりと笑うと、秋元が小声でおかしいんじゃねーの、と呟いた。
 「……店中の目がこっち見てるぞ。あんたはそれで構わないのか」
 「はい。良かったですね、今は人数の少ない時間で。ナイスな時間チョイスです」
 「……あんた、本当タチ悪いわ」
 スキンヘッドが俯くと、人間の頭がいかに丸いようでいて凹凸が有るのか良く分かる。つい面白くて観察してしまうのだが、今の観察対象はスキンヘッドの頭ではない。かつて随分とやりあった、元殉徒総会会員、現(株)バッカー社長、秋元 隆本人だ。
 「秋元さんが冷たいから悪いんですよ。俺はお話を聞かせて貰いたいだけの話。総会から十年遠ざかってますもん」
 「元々総会とも宗教とも無縁でしょうよあんた」
 「はい」
 満足気な笑みの髭面の前で、スキンヘッドが深呼吸をした。
 「―― ここだけの話な」
 「はい」
 「出家とか在家とかそう言うシステム自体にゃ変化無ぇですよ。けど、別の事情があんの」
 「その心は」
 チッ、と秋元が舌を打つ。
 「総会はこの二三年荒れてる」
 「それはまたどうして」
 再び舌を打って頭を振る。あんた、知ってるだろう、と言う意味だった。
 幾つかの理由は思い当たる。第一は近年の自明党の凋落だ。本来、保守を党是としていた自明党は、宗教団体母体の政党、公正党と連立して以降、その志を全く異にしている。保守とは名ばかりの極左リベラルとなり果て、その所為で支持を失っているのだ。
 世の中の流れは近年、インターネットと言う情報媒体のお陰で、比較的若い世代を中心に保守、護国の思想が広がりを見せている。だが、TVや新聞を抱えるメディアは世論は我々が作ると言って譲らず、この流れを全く評価していない。政界も同じく、この動きを一過性の熱病のような物と判断し、全く評価しない。
 ネットで育ちつつある新たな"世論"と、それを所詮電子の箱庭の中のバーチャルとしか判断しないメディアと政界。こうした意識の相違が、いわゆる"庶民層"と、メディア/政界の溝をどんどんと育てている。二つが完全に乖離する日は確実に目の前まで迫って来ている。
 この現象は、殉徒総会にも確実に響いている。依然としてTVが情報の中心となる若年/老年層の支持は強いが、青年層を中心に公正党、殉徒総会の両方に疑惑の目線を投げる人間が増えている。以前のような説法では通じなくなって来て居るのだ。
 「自明党は今回の選挙で下野するでしょうね。そうなったら連立は解消。公正党には苦しい事です。動かせる政策が減れば、当然動かせる補助金にも影響しますモンね。しかもこの所、インターネットを中心に反対派が顕在化して、ネガキャンの嵐ですよね。脱会者が多いんじゃないですか?それに、名誉毀損裁判、幾つ抱えてるんですか。法務は大忙しでしょ」
 「ほら見ろ。知ってるじゃねぇか」
 「俺が知ってるのは、新聞やネットに載ってる事だけですよ。秋元さんがおっしゃるのは別でしょ。公正が自明と別れて独身を貫く訳もなく、既に民衆と裏でよろしくやってるとか、内部に有る様々な動きとか、俺が知る由も有りませんよ。ほら早く教えて下さい。そうすれば打ち合わせで出来るだけ黙ってます。約束しますよ」
 店主は、好奇心が強く、知識に対しては非常に貪欲なタイプだ。秘匿情報の匂いを逸早く嗅ぎつけるし、一度嗅ぎつけたら、こちらが話すまでしつこく何度も訪ねてくる。かつて竹下珈琲と揉めた時、これが非常に厄介だったのだ。余程上手く誤魔化さないと纏いついて来るし、下手な嘘をつくと、後から必ずそこを取っ掛かりに真実まで潜り込んで来る。堪らなくなって接触を絶ったのは、殉徒総会の方なのだ。
 「分かったよ。ここだけの話な」
 「それさっき聞きましたよ」
 「……。里中先生の具合が悪いわけ。ほぼ毎日透析してるらしい。それで、上層部が色々変えて来てんのよ」
 里中先生とは、里中 汰作の事である。里中 汰作は殉徒総会の名誉会長。一般で言われる所のいわゆる教祖様、である。総会自体はそれを全面否定するが、実質そうなのだから仕方ない。1940年生まれと言うから69歳。普通ならまだまだ保つ年齢では有るが、重度の糖尿病である事は有名だ。
 「総会は先生の影響力で保ってる訳よ。それは教祖とかそっちだけじゃなく、政治的に。あの人の息の掛かった人、弱点を握られてる人はそりゃ凄い人数いる。亡くなって会長職その他は変らないにしても、そう言う意味での人間の代理は必要な訳。繋ぎを取る人材って事」
 「じゃあ、役員から新しい教祖を?」
 ちち。秋元が舌を鳴らす。長沢は首を傾げた。
 「無理無理。あいつらはビジネスマンよ。会長にほしいのはカリスマ。そんな人材じゃ駄目駄目」
 「でも、そうなったら居ないんじゃ?世襲にするの?息子さんは二人いるって誰かが言ってたな。その内のどっちかか?」
 「それも無い。役員になってる子供も居るけど、大体は公言しないし。教祖にはならない。政界とのパイプ持ってないと辛い。子供でそう言う教育受けてるのは居ない」
 ふうん。呟きながら長沢が笑う。こちらの考えを全て知った上で付き合ってるんだぞ、と言わんばかりの、物知りふうな笑み。こう言う所が、秋元は苦手なのだ。
 「充分、勿体ぶったでしょう。さ、教えて下さい。跡継ぎ決まったんでしょ。誰ですか」
 それがなぁ。秋元は言ってから腕を組んだ。考え込む表情に嘘はなかった。先程までのこれ見よがしな態度ではなく、今度の動作はすこぶる自然だった。勿体ぶって居るのではなく、真剣に考えて居るのだ。
 「名前は榊 継久。でも、分かってるのはそれだけで、年齢も顔も分からない。居るのは確実よ。この頃は、常に先生の側に居る。ただな、先生の側に居るのは一人じゃないだろ、似たような格好のが入れ替わり立ち代り常に数人いる。SPみたいなもんだわ。その中の一人が榊の筈なんだが、そこからが闇の中。俺に分かってるのはそこまで。どう探っても出て来ない」
 長沢は面食らった。男の表情に嘘は無い。嘘は無いのに、その口を突いて出てくる言葉は、信じられない事柄だ。
 「そんな事……あるか?数人の内の一人が誰か分からないなんて、幾ら何でも嘘っぽいよ。秋元さんは、下手な総会の役員より、総会の事知ってるでしょうが。」
 そのつもり、なんだがねぇ。丸くて太い鼻梁を擦りながら男が言う。芝居ではない、本当の逡巡がそこには有った。
 「分からんもんは分からん。側に居るのに見えない、脇を通り過ぎてく幽霊みたいだよな。多くの人間の目に触れながら、正体が分からない。そう言う幽霊みたいな奴なんだろうさ」
 「え……?」
 待て。脳にストップが掛かった。
 この話は聞いた事が有る。いや、この話ではなく、似たような話を聞いたのだ。それ程前の事ではない。あれは誰から聞いた話だろう。幽霊。確かその人も幽霊だと言っていた。…あれは…
 
 幽霊のような男が私をずっとストーキングしているんだ。
 
 出入り口の呼び出しベルが鳴る。はっとして振り返ると、酒井医師が入って来る所だった。
 医師よりは背の高い青年と、妙齢の婦人を後ろに従えて、長沢を認めると手を上げる。長沢は秋元に会釈して席を立った。
 席を離れる寸前になって、まだ注文を取っていない事に気付き、慌てて注文を聞く。頭の中で幾つもの言葉がぐるぐると回っていた。
 「いらっしゃいませ、酒井先生、そちらへどうぞ。やあ、康太君、お久しぶり。背ぇ伸びたねぇ」
 「マスター、これ僕の家内の美幸」
 一目見て、美也の目許は母譲りなのだと分かった。栗鼠のような丸い、くりくりとした目。丸い輪郭の中で輝くその目は、何十年経っても魅力的に違いない。その見本が佇み、ゆっくりと頭を下げた。同じその目に、今浮かんでいるのは不安の色だ。長沢も腰を折る。
 「初めてお目にかかります。長沢と申します。先生には何かとお世話になっているんです。どうぞあちらへ。直ぐ注文伺いに参りますので」
 不安げな顔色のまま、席に向う四人の姿を見守りながらカウンターに戻る。頭の中のもやは晴れつつあった。
 思い出した。そうだ。思い出した。
 幽霊と言ったのは楢岡だ。
 いや、正確には楢岡ではない。レポートについての会議をしようと集まった鷲津の家で、秋津犠牲者の言葉として、楢岡が長沢に伝えたのだ。幽霊にストーキングされている。だから幽霊を逮捕しろ。さっさと逮捕しろ。その言葉を言ったのは。
 第二の犠牲者、林 操一。関協大学客員教授だ。
 繋がっている。妙な確信が湧き上がった。
 飛躍し過ぎているとは分かっている。幽霊等と言うのは単なる言葉だ。単語だ。珍しくも無い、誰もが知っている、日常よく使われる単語だ。特異性も無ければ、何のマーキングも有りはしないのだ。それでも。
 長沢の奇妙な確信は揺らがなかった。何かの要素がそこに有るのだ。恐らくは、秋津に連なる何かが。
 長沢は秋津の人間ではない。冬馬を通じてしかその存在を感じる事すら出来ぬ、全くの部外者だ。秋津に立ち入る事は出来ない。だが。秋津と全く関係ない所から、秋津への道を辿るなら、誰にも止め立てされる謂れは無い。
 長沢は店の常連の悩みを聞き、その相談に乗っただけの善意の一般市民だ。それだけなのだ。そこに有るのは純然たる善意で、策略でも謀略でもない。雇い主のいないスパイなど存在しない。だから。突き進もうじゃないか。繋がる場所まで。
 「マスター どうしたんですか?」
 「ん? どうもしないけど……?」
 「嘘ぉ。何か良い事聞いたんでしょ。教えて下さいよ。狡いですよぉ。一人でにやにやしちゃって」
 思わず頬に触れて、唇を引き締める。だが、浮かぶ笑いは止められなかった。
 「違う違う。これはちょっとした思い出し笑い。昨日TVで見たお笑いが可笑しかっただけ」
 新しい客が来て、看板娘はつまんない、と呟きながら接客に向う。一人になったカウンタで、長沢は俯いた。
 悪い癖だ。話が込み合うと際限なくそれに嵌る。嵌りこんで、我を忘れる。そして、糸口が見つかるとどうしようもない。更に嵌る。何しろ、どうしようもないのだ。
 ワクワクする。
 

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