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*** とある准教授の日々  ***


 
 「先生、質問、よろしいですか」
 「ああ、貴方は……。この頃の常連さんですね」
 目の前の髭面が少し目を丸くしてから、照れたように笑う。
 人懐こくて柔和で、思わずこちらが緩んでしまうような人の好い笑顔の持ち主。
 人間の表情に何かしらの感銘を受ける程、自分の感受性は豊かでも柔軟でもない。だがつい、この男の表情には惹き寄せられた。珍しいなぁ、と思った。
 笑顔に男女差は余り無いのかもしれない。人の感受性を包み込むような笑顔なら、その持ち主の性別など関係無く和む物らしい。例え髭面の中年男の笑顔でも、それが良い笑顔なら人は癒されるし、駄目な笑顔は美女が浮かべても駄目なのだ。不思議に、この男の笑顔は、強張った心を解す力が有るように……少なくとも私には思えた。
 「いえ、まだ常連と言うほどでは……。数回くらいです。基礎知識が無いので、質問は多いですけど…」
 近年流行っている「生涯学習」の一環として、最近は公立私立取り混ぜて、あちこちの大学の講堂で様々な"オープン・カレッジ""オープン・スクール"が始まっている。
 私の在籍する洋興大学でも数多くの教室が開かれている。それこそ「手習い」としては真っ先に上げられる、絵画、手芸、書道等々の教室から喉自慢、パソコン、果てはセキュリティ体術、ネゴシエーター術1、2、3まで有るのだから、我が校ながら呆れる。
 私が受け持つのは、その中ではいたって地味で普通な「近隣アジア諸問題研究会」だ。言葉の通り日本と、その近隣のアジアにおける諸問題を取り上げ、学習する講座である。オープン・カレッジと言えば聞こえは良いが、私の感覚では、これは仲間内のサークルみたいなものだった。と、言うのも。
 私が、自らの思想と決意に基づいて、政治活動の「ようなもの」を始めたのは、もう20年近くも前になる。
 最初は一人きりで始めた。その当時は"共通一次試験"なる物が有って、それの偏向に対する抗議だった。
 試験会場となった国立大学の校門の真ん前で、日本人の歴史教育がいかに偏っており、間違って居るかそれを叫んだだけの自己満足だったと思う。
 だがそうした自己満足も、時を経るにつれ"自己"だけではなくなった。素通りだった群集の一部が足を止め、いつしかそれが一人増え二人増え、聴衆となり、その中から仲間が出来た。仲間が仲間"達"になり、彼らが入れ替わり、続き。いつしかグループになり、互いの情報を育てる為にこうした形式の物が必要となったのだ。
 近年の動画送信技術の発展で、精々十人前後だった賛同者は一気に三桁になり、この勉強会…オープン・カレッジももう三年目となった。
 主義主張には知識が要る。知識の無い主義主張はただの思い込みだ。そうならぬ為に、常に古い知識を温め、新しい知識を入れ、それらを結合させて行かねばならない。
 その為の勉強の場で有るから、集まるのは特定の価値観を持ち、私と共に活動する者にほぼ限定される。だから仲間内のサークルだ。だが。
 この男はその範疇では、全く無かった。
 
* * * * * *

 どこが始まりでどこが終わりと言うものがはっきり有る講座ではないから、いついかなる時点での外部からの参入も自由となっている。入るも出るも自由で、一回ごとの講座で些少の金額を各自から集めている。参加費が勿体無いと思ったら、次の会から出なければ良い、単純なシステムだ。
 テキストは一応有るが、購入は義務では無いし、その回の重要なポイントは毎回コピーを渡しているので、無くても何ら不自由は無い筈だ。それに、前述の通り硬い勉強会と言うよりは、仲間内のサークル勉強会と言う砕けた物であるから主題は安易に移り変わる。
 今日の主題は「マスコミニュケーションが作る歴史」なのだから、何をか謂わんや、だ。
 「質問と言うより、実はお願いなんですが」
 この男が講座に参加し始めたのは二月ばかり前からだ。その回の主題は中帰連だった。
 「先生が以前薦められた"検証旧日本軍の「悪行」歪められた歴史像を見直す "と言う本なんですが。先生がお持ちの物、貸して頂くのは無理でしょうか…」
 すまなそうに上目遣いに見る目が、虐められた子犬のようだ。これを無碍に断るのは酷く罪悪な気にさせる。本の貸し出しは、正直余り好きではないのだが(特に絶版本ともなれば尚更だ)これでは断れない。
 「ああ、構いませんが……あれは家に有るので、今日お貸しする事は出来ませんよ。先になってしまうが」
 ああ、良かった。大きな嘆息と笑み。正しく胸を撫で下ろして、大きな悩みがお陰で解決しました!と言うそぶりだ。それが嘘では無いと分るので、少し可笑しくなる。
 「全然、構いません。次の講座の時にでも貸して頂ければ。
 その〜〜……実は僕、本なら何でも持っていると言う知り合いが居まして、今回もその知り合いに頼んだんですが、これが無くて。無いんだね、と言ったら知り合いが怒り出して"ンな本出てやしねーよ。そのお偉い先生が嘘ついてんのさ"……と」
 驚いた。自分が持っていない本は存在しないと言う御仁がいるらしい。それは凄い。
 「それでその、いや、実物見たよ、その先生が持ってたと言ったらもっと怒りまして、引っ込みが…」
 「滅茶苦茶な理屈だ……」
 「あ、勿論、僕が読みたいからお借りしたいんですが、一応その知り合いにも実物を見せておきたくて。よろしいでしょうか?」
 種明かしを終えた悪戯坊主のような笑みに、とうとう堪えきれずに噴き出す。本を借りるのにそんなストーリィが必要だなどと、私は考えた事など一度も無い。私が笑うのを、きょとんとした顔が見上げていた。
 
* * * * * *

 浅井 慎一。それが私の名だ。
 洋興大学 歴史文化学部准教授。気が付けばもう48歳になる。
 人生五十年と言うのだから、後二年で私の人生は終わりと言う事になるが、一体何を遺せたのかと自身に問うと、子供以外これと言って何も無いのだから恐れ入る。
 娘一人と息子一人、妻一人。娘はさっさと嫁に行ってしまったし、息子は大学に通う為に地方に一人暮らしで、騒がしかった我が家はすっかり静かになった。
 子育てを終えた妻が、新しい私を作って見せるわ!とばかり四年前に文章を書き始め、何が何でそうなったのか、今は"先生"と呼ばれて忙しくしている。私が惚れる女性なのだから、才能が有る事は分っていた。だが、彼女の才能がここにあるとは私はてんで気づかなかった。
 彼女は恥ずかしがって私には見せないが、上梓された本をこっそり買って読んでみて驚いた。さりげない日常の話に、不意に胸を突かれる表現が溢れている。女性らしい繊細な心理描写と、緩やかな空気。読み終えて思わず溜息をついた。えも言われぬ充実感。何がどうと言うのでは無いのに、温かい。これはいい。そう思った。結果。
 彼女の年収は、私の上限を遥か「ん倍」に塗り替えてしまった。彼女は確実に名と作品を後世に遺すだろう。
 お陰で私はのんびり准教授の職も楽しめるし、私の「活動」も思う存分できるのだ。なので私は彼女の作品をこっそり数冊買って知人に薦め、影ながら彼女を応援する事にしている。
 くぅ。腹がなった。
 笑った所為で腸が動いたのか、腹が減ったと内蔵に主張されて苦笑する。オープン講座の日は遅くなるので、いつも帰りに側で食事を済ませて帰るのだ、胃が早く帰ろうと言っていた。
 目の前の温和な髭面がかすかに笑う。同時に彼の腹が同じ主張をした。
 「腹が減りましたね」
 黒縁眼鏡が慌てて腹を押さえた仕種がおかしい。そう小柄と言う訳ではないのだが、身幅が狭いのか、その態度の所為なのか、はたまた彼が今は「私の生徒」である所為か、妙に「小さい存在」に感じた。この感覚は、庇護欲なのか単なる好意なのか、もっと他の物なのか良く分からない。
 「……ですね」
 別にそれ程照れる事態でもないのだが、目の前の男は決まり悪そうだ。
 講義で使った物を脇に抱える。扉に進んでスイッチに手をかける。自然に生徒も着いて来た。
 「側に上手い飯を食わせる一杯飲み屋があるんですよ、行きませんか」
 
* * * * * *

 話してみると、なかなか気さくな男だと分った。
 馴染みの一杯飲み屋「お多福」の壁際の席に落ち着き、まずはビールとばかり煽ってお決まりの一言を言うと、気まずそうな髭面が目の前にあって、最初はどうしようかと思ったものだ。
 「く〜〜〜〜〜〜〜〜!美味い!……ん、呑めませんか」
 「あ、いや。これで先に呑むと確実にこの場で潰れますので、先に何か腹に入れてから。すみません、ノリ悪くて。若い頃はイケたんですけどねぇ。このごろめっきり駄目でして…」
 ああそれで。納得したら可笑しくなった。ビールを頼む私の横で、慌てて何品かの皿を注文していた理由はそれか。そんなに腹が減っていたのかと思ったら、酒の為の準備だったのか。
 「そう言うけど貴方お幾つですか、私よりお若いでしょう。ああ、えっと、まだお名前も存じ上げてない……」
 ああ、黒縁眼鏡がびっくりしてビールのコップを置き、ぺこんと頭を下げる。
 「申し遅れました。長沢啓輔と申します。46歳。体力の衰えを日々、ひしひしと感じる中年男です」
 「何だ、私より二つもお若い」
 「え……、浅井先生、48歳でらっしゃる……?」
 ええ。突き出しのキンピラを一口、口に放り込む。つられたように目の前の……長沢君が同じようにキンピラを口に入れて、もごもごと呟いた。
 髭の所為かキンピラの所為か、くぐもっていてよく聞き取れず、はっきりしないが、先輩と同じとか何とか言ったようだ。中年男に先輩後輩などと言う言葉は似合わないが、感覚は良く分った。
 青年から老年に至るまでに、人の人生に明確な扉など無い。身体は確実に老いて行くが、心は継続している。そこに明確な年齢も、区切りも無いのだ。
 学生時代、先輩だった人は、死ぬまで先輩で、それ以外の何物でもない。
 料理の皿が届いて、行儀良く"頂きます"と唱えた長沢君は、幾つかの料理を腹に入れてからビールのコップを手に取った。
 「〜〜〜〜〜〜〜! うま。久々に呑むとやっぱクルなぁ」
 「遅」
 「へへ、すみません」
 場が和む笑顔は健在だ。差し向かいで男と呑んで、和んで居るのも妙な図と言えば言える。
 しかし不思議だった。
 私のクラスに来る者は、前述の通り殆どが知り合いで、クラスで知らない顔を見た覚えなどとんと無い。
 大概が外務省や大使館や国会議事堂の前での抗議、或いは渋谷、六本木、靖国通り、阿佐ヶ谷等の街でのデモ行進と言うある種イベントの類を経てからクラスに顔を出すものだから、名を知らなくても「ああ、○×のデモで」とか「×○前で話したね」と、顔を覚えて居るものだ。
 だが、彼にはそれは無かった。クラスで見た時、ひどい違和感を覚えたほど、全く知らぬ顔で、そぐわぬ雰囲気の持ち主だったのだ。
 「何で私のクラスに参加されたんです?」
 きょとん、とした目が見上げる。黒縁眼鏡の奥の、黒目勝ちの瞳。今時珍しい程の典型的な"黒縁眼鏡"だ。
 「最初は…動画サイトでご活躍を見て。それでHPで講座を持たれてると知って。近くだったのでつい」
 「家のクラスは殆ど活動のオマケみたいなものだから、違和感を感じられたんじゃ?」
 いえ。そんな事は。別段責めている訳でもないのに、彼が恐縮する。
 「仕事の都合上、その活動に参加できないので、まず何か知りたかったんです。教えて頂くばかりなのは心苦しいですが…」
 ははぁ。
 なるほど、潰れると言うのは嘘ではないらしい。ビール一本、二人で空けただけだと言うのに、長沢君はすっかり赤い。髭面でも赤いのは良く分るものなのだと、妙に感心した。
 
* * * * * *

 正直、ですねぇ。
 酒の所為で多少は口が軽くなったのか、長沢君が言う。
 短い掛け合いでも分るが、恐らくはこの男は相当の秘密主義者だ。開けっぴろげな感じは全くしない。柔和でオドオドしている印象は、この男の自己を守るバリヤーなのだろう。私は怖い男ではないと自他共に……特定の政治指向を持った集団以外には…認められている筈だが、彼の、こちらの機嫌を伺うような上目遣いは変らない。私が怖い所為ではないのだとしたら、その要因は彼にある。
 恐らくは長沢君はこう言う性格なのだろう。
 「僕は教師と言う人種には余り好感を持っていないんです」
 と思ったら、いきなりジャブが来た。
 「先生も同じ世代だからお分かりでしょうが、僕らの思春期に思想の種を植えたのは、全共闘世代の若い教師達だったじゃないですか。やたら仲間だとかを押し付けて来る癖に、仲間じゃないと分ると攻撃してくる。よく言えば意思のはっきりした、好き嫌いの多い教師だったでしょう。マルクス史観で奇妙な平等論者の」
 「うん、まぁ……そうでしたかね」
 教師にわざわざ教師が嫌いと言う意図が良く掴めなくて、曖昧に返事をする。と、その返事を了解の意味と取ったのか、長沢君が大きく頷いた。
 「僕は仲間にはなれなかったので、徹底的に虐められました。教師を取り囲んでの円座式の授業などは、僕だけ席が隅に外れているのはザラでした。名を呼ばれた憶えも無いし、プリントが足りなければ僕はいつも無しでした。子供同士の虐めは、チビの頃に体験してこなす術を知っていましたが、相手が大人だと色々勝手が違いました。一年程は苦労したかなあ。
 でもまぁ、お陰で色々学べたし、上手い世渡りの仕方も何となく身に着けました。ので、今更恨んではいないんですが、苦手意識は消えないんです」
 おや、まぁ。それはまた。酷な事をする教師がいたものだ。
 「先生にこんなお話をしたのは、先生はちょっと違うと思ったからなんですよ。それで講座も受けさせて貰ったんです」
 「違う……・違いますかね? 私も好き嫌いははっきりしてますよ。支那朝鮮は大嫌いです」
 髭面が笑う。それ、と言いたげに人差し指を出す。
 「そう言う事を口にする"教師"と言う存在を僕は知りません。
 最初は動画を見て、仰る事に共感したんです。ここまでは普通でした。でも次に、その演者が教師である事に驚いたんです。俄然興味を持って、今に至ります」
 言いたい事は分る。現在の日本に生きる人間は皆、ナチュラルにリベラルだ。平等意識が高く、謙譲の美徳を持ち合わせる為に、気付かずに自分を下に置く。"相手を立てる"と言うのは日本人の美しい精神であり、本質的に正しい事では有るのだが、美徳等と言う意識を持たぬ輩には踏み躙られる。良い突破口として利用されてしまうのだ。
 戦後のWGIP(ウォーギルトインフォンメーションプログラム)によって、美徳は大いに自虐史観に利用された。お前が悪いと言われれば、日本人は悪う御座いましたと受け入れた。罪悪感を素直に飲み込み、尚も謙譲した。謙譲がへりくだりになり謝罪になり、罪悪感を生むスパイラル構造が自虐を加速し、戦後利得者達によってそれは更に、培養され、振り撒かれ、擦り込まれた。
 「差別主義者だと大学で言われませんか」
 「差別?では差別とは何だね長沢君」
 「差別とは、民族、性別、環境などで上下の差をつける事。つけない事を平等と言いますね」
 「その平等と言うものが正しいと君は言うんだな?差別と言う言葉には"上下関係""優劣"と言う意味が含まれる。それだから"悪しき習慣"と言う感情を込めて人は"差別"と言う。これを含まぬ場合、人はそれを"差別"とは言わずに"区別"と言うからね。だがここで質問だ。
 差別と平等は対語として上げられ、差別を"悪しき物"として分類する一方、"平等"は正しいと世間一般では分類されて来た。これが根本だ。では"平等"は正しいのか?
 かつて革命家ロベスピエールは、平等はあらゆる善の根源であると言った。
 フランス革命は平等を勝ち取る為の戦いであると。その彼が何をしたか?ジャコバン派の名の下に議会を掌握し、自分の考えに沿わぬ者を斬首台に次から次に送ったんだ。
 最後に自らも斬首台の露として消えた。確かに平等だ。ではもう一度お尋ねしよう 。
 "平等"は正しいのか?」
 髭面が実に楽しそうに笑っている。表情豊かな瞳はときめいていて子供のようだ。面白い、もっとやって。そんな感情が、これほどはっきり書かれている顔と言うのは、初めて見た気がする。
 「凡ての人間が、いかなる意識、状況でも自由で平等などと言う教義は、全く根拠の無いフィクションである」
 髭に包まれた口許が唱える。驚いた。
 恐らくは私も今、目の前の男と似たような笑みを浮かべて居るのだろう。この男ともっと話したい。面白い。
 「トマス・ハクスリー。私を引っ掛けたな、長沢君」
 引っ掛けるなんてとんでもない。にこやかな表情が頭を振る。
 「引っ掛けたなんて聞こえが悪い。僕は多くのこう言うお話を聞く為なら、色んな手を使いますね。その手の一つとして、講義に参加させて貰ってるんです。仕事が許す限り、ずっと参加させて貰います」
 
* * * * * *

 その後の事は、楽しかったという事以外、余り良く憶えていない。
 ビールを日本酒に変えて二人で飲みながら色々と語り合った。現在の政治家の文句がメインだった気がするが、物価や子供や宗教や、様々な事に話題は及んだ気がする。本来酒に弱い方ではない私が潰れたと言う事は、頼んだ酒の殆どは私が飲んだのだろう。長沢君に酌をして貰ったのだが、相当に奴に乗せられた気がする。
 結局タクシーで帰る事になり、私が彼を放さずに家まで付いて来させ、"検証旧日本軍の「悪行」 "を貸して帰した。彼は大層喜んでいた。…筈だ。
 妻に久々に怒られ、ご近所の迷惑でしょう、みっともない!と最近少々出てきた腹をぴしゃりと叩かれたのを憶えて居る。彼女はご近所の事では怒っていたが、客人については怒っていなかったので、彼が喜んでいたのは間違いあるまい。
 叩かれた腹をさする。
 昔はこれでも陸上で鍛えた物なのに。かつてシックスパックに分れていた部分は、今はなだらかな丘になってしまって居るのが少々切ない。文武両道と言われて育ち、やや武に重きを置いてこなして来た。同年代の人間と比べれば、メタボなどと言う言葉とは無縁だし、活動のお陰で走ったり歩いたりが多いから、スタミナだとて人後に落ちないのだが……酒に負ける辺りで若くないと思い知る。
 怒る妻を抱き寄せ、そのまま眠りに付く。すぐ寝てしまうと覚悟していたのか、はたまた別の事を期待していたのか、素直に差し出された膝枕で眠る。
 久々に新しい友を得た。その夜は最近ではかなり楽しい夜だったのだ。
 
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