理由

∴∴ A/Tサイド ∴∴



 プライベートが金に変わる。
 ホストもホステスも差はない。性と、愛とか言う名の言葉遊びに飢えた孤独な輩に、ほんのちょっとばかりのプライベートを売り渡す。そうして暮らしているのが、ホストやホステスと呼ばれている人間なのだ。
  
 いつ頃からか、突き上げるような性欲は無くなった。
 代わりとばかり打ち寄せるのは、どうしようもない倦怠と惰性という名の日々。無為に過ぎて行く、繰り返される喧噪。騙し合いと傷の舐め合い。時折分からなくなる。
 自分は何をしているのだろう? 何を求めてここにいる? ここにいる理由は?
 

 「―――ってんだろ、よぉ!!」
 耳許でやかましい声に叫ばれて息を呑む。
 驚いて巡らした瞳の前で、金色の髪の束が揺れた。

 光量を抑えられたベ−ジュ色の空間。酒の匂いと、数々の女達が振りまいた香水の残り香。
 ホストクラブ「KID」。
 職場だった。
 
 「よっ。」
 変に取り繕っても仕方ないので、軽く片手を上げて挨拶をする。彼付きの新人ホストは、こうした事には驚くほど察しが良いのだ。案の定、彼の挨拶にのって片手を上げ、よっ、と機嫌良く挨拶した後、ふてくされた表情でどっかとその場にしゃがみ込んだ。
 「じゃねーよ光先輩よー。マジで年か。耳遠くなったんかー。美里さんが、ピンク入れてくれるってのによ。」
  
 指の間で燃え尽きそうな煙草を灰皿に押し付けて、慣れた仕種で横の女の手を取る。さりげなく、軽く、礼を言う代わりに握りしめると、女が苦笑した。
 「そんなんじゃ駄目よ、光。ぼんやりしてるんだもん、止めちゃおっかな。」
 「何だよ………。」
 「う・そ。」
 ニューボトル入りまっす。ドンペリロゼ〜〜。
 新人の聞き慣れた良く通る声が響く。まったくいつもの夜だ。下らない女との、つまらないじゃれ合いの夜だ。光と呼ばれたホストはそっと気付かれぬように溜息を吐いた。
 
 源氏名は高瀬 光。他人が勝手に付けた名だ。気に入ってもいないし、思い入れもない。
 だがその名でNo1と呼ばれ初めてから、もう随分になる。
 金も女も、勿論最初は手に入れば入るだけ、もっと欲しかった。欲望に上限などは無いから、上を求める事に随分必死だった時期も、確かにある。
 ちっぽけな舞台では満足出来ず、大きな舞台に移った。腕の中に転がり込んでくる大きな見返りに、もっと上を、もっと高見を要求したのも確かだ。狭くて深い新宿という名の鍋の底でぐつぐつと、自分に似通った男達と滑稽な格闘を繰り返した気がする。
 金と女、欲と見栄。街のちっぽけなステージが全世界で有るかのような錯覚の中で、成り上がりの小芝居もいつか終えて、今。
 最近は考える事が多くなった。
 
 何の為にここにいるのだろう。ここにしがみつく理由は何なのだろう。
 
 人間は強欲な生物だ。欲求や夢の大きさは、周りの状況に合わせて膨らんで行く。個人の素質そのままに、歪んで捻れて、膨張して行く。成り上がったから、成功したから。それで満足だと、掻き消える夢など有りはしない。
 消えて行く熱さと情熱の代わりに、歪んだ欲望だけが光を形作っていく。
 ホストなどただの手段に過ぎない。この世界に溺れた時期など、もう過ぎた。自分の身勝手さも、強欲さも良く分かった上で、この商売を続けて来たのだ。
 今となっては、女が心を持った動物である事すら、時に忘れそうになる。気まぐれに自分を捕らえる、顔と体と言う不思議な呪文を纏った生物。それが人間であるという認識は、徐々に商売道具と言う認識に押し流され、薄められて行く。
 言葉を売って、自分を売って、その代わりに得られるステイタス。女の名は製品名だ。心は単にスペックだ。執着も、もうない。製品ならば、他にも代わりは幾らでも有るではないか。
 なら。
 この世界に居る理由は一体何なのだ。
  

 「ったくよぉ。」
 控え室のトイレから出ると、仏頂面が迎えた。
 小さな洗面台の脇のロッカーに寄りかかって、新人ホストが不満そうに彼を睨み付けていた。
 名は亮。
 やんちゃ坊主が、真っ直ぐ育つと出来上がるガキ大将。それ以上に彼を的確に表す言葉はない。ほんの少し従来品と違うのは、現代風にアレンジされていると言う点だけだ。
 金色の髪に整った顔、細々としたアクセサリーに身を包んだ外見には、硬派なイメージは微塵もなく、"ガキ大将"と言う言葉からは微妙にずれるのだが、彼と語らってほんの30秒もすると、全員が納得する。
 ああなるほど、現代のガキ大将とは、こう言う物なのだ。
 
 無遠慮な態度に、歯に衣着せぬ物言い。尖った瞳を真っ直ぐ突きつけて来る態度は、仮にも"先輩"に対して取る態度としては、相応しいとは言いかねる。だが、光は不思議に腹は立たなかった。
 「なーに、ぼっとしてんだよ、光先輩。今日、ずっとそーじゃんかよ。」
 「悪かったな。フォローしがいが有って良いだろ。頼んだぞ。」
 「………どーかしたわけ?」
 語調が変わったのを怪訝に思って目線を上げると、ふてくされた瞳が不安げに、じっとこちらを伺っている。
 「…別に。気が乗らないだけだ。俺だってこんな日ぐらい有るだろ。」
 「ふーん、光先輩も…ねぇ。 ま、そんなら良いけどよ。」
 くるり、と派手な色合いのスーツが背を向ける。肩越しに消えかかる表情が、不意に言葉以上に饒舌に彼の心情を伝えた。
 
 心配してるんだっつーの。分かんねーかよ。
 
 乱暴な言葉も尖った瞳も、ふてくされたような表情も、凡てが彼の気遣いなのだ。
 彼より何歩か先を行く先輩を気遣っている事も、また心底頼っている事も、凡てをストレートに叩き付けて来る。
 「俺、シケた先輩みたくねーから。そゆコト。」
 投げ捨てるような不機嫌な口調が、彼の心情の凡てを表していた。我が儘な子供そのままの勝手な言い分に、光はつい吹き出す。
 
 女に嫌われるのも、必要とされぬのも、今更痛くも痒くもない。この商売にしがみつく必要も、もう無いのかも知れない。しかし。
 ここにいる理由。
 自分を頼る人間を放り出せないと言うのは、立派な理由の一つじゃないか?
 
 歪んだ欲望だけが自分を支えているとしても、自分はやはり自分なのだ。消え失せた情熱の影に、燠のように残る熱さがぽっと目を覚ます。この新人と居ると、自分の中ですっかり忘れていた物が不意に目を覚ます。
 去りかける新人の首を、片手でぐいと引き寄せる。つい、ほころぶ口許が、自分でも意外だった。
 「バーカ。新人が生意気な口利いてんじゃねーよ。」

 出来の悪い新人、何とか商品にしてやる為にもう暫くここにいる。
 こんな理由が、俺向きだ。


 
 

続・理由

∴∴∴ Hanakoサイド ∴∴∴



 カリスマホスト。癒し系ホスト。盛り上げホスト。世の中にホストが一体何人居るのか知らないが、どんなホストでも、女との会話に中身はあまり無い。ノリと女の機嫌取り。それなりに客に合わせて話題を選ぶが、後はスキンシップぐらいだろう。
 
 俺自身がホストを生業としているのに、そんな冷めた目を持つようになったのはいつからか。
 指名が多くなればなるほど客が重なる。刃傷沙汰も何度かあった。
 それでも俺はこの店でNo1と呼ばれる。
  
 「…だから美里さーん。俺のことも構ってよ。」
 「そうねぇ。光が最近冷たいし、亮君に乗り換えちゃおっかな。」
 俺の背後から、わざとらしくそんな会話が聞こえる。俺の気を引くためだろう。無理もない。さっきボトルを入れてくれた恩も忘れて、さっさと次の客に呼ばれてしまったんだから。
 「ふふ。光ったら薄情ものねぇ。」
 「冴子ママ…。意地悪言うなよ。自分で無理矢理俺のこと呼んどいて。」
 「だってぇ。あの子をちょっとからかってみたかったんですもの。」
 悪びれもせずに俺の上得意の客がそう言った。接客のプロである銀座のママは、俺の立場をわざと悪くさせて喜んでる。
 「今日は俺の顔を立ててよ。ママの本命のバーカウンターが空いてるよ。」
 「光ちゃんも意地悪ね。いいわよ。本命のキッドにお相手してもらうから。」
 ママはグラスを持って立ち上がった。カウンターまでついていき、ホスト席に背中を向ける椅子を引いた。大人しくそこに座ってくれたママにそっと耳打ちする。
 「素直なママが一番可愛い。」
 「私をからかうなんていい度胸じゃない。覚えておきなさいよ。」
 完璧に塗られたマニキュアにデコピンを喰らった。
 さて次は。
 
 「お待たせ。」
 「あら光。あの美人のお相手はもういいの?」
 「悪かったよ。…妬いてくれた?」
 亮の反対側の美里の隣に座り、少し体を傾けて下から見上げた。まだ手は握らない。
 「亮、悪いがダンヒルをロックで2つ。」
 美里がはっとしたようにこっちを見た。
 聞き慣れない酒の名だったせいだろう。一瞬亮は戸惑ったが、美里の様子を見てすぐに立ち上がった。
 「ほーい。」
 さりげなく手を握る。
 「美里と俺の思い出の酒だよ。」
 
 かなり前に、美里がダンヒル好きの男に振られ、店にやってきたことがあった。彼女にとってはいい男だったんだろう。かなり落ち込んでいた。閉店間際になって事情を知った店長がこの酒を出してきた。
 
 そのダンヒル好きの彼とお酒を飲みに行ったことはありますか?
 そうですか。このお酒の話題が出たことは?
 そうでしょうね。ダンヒルというブランドが好きでも、ダンヒルという名のお酒があることを知っている人は少ないものです。美里さんみたいに素敵な女性を選ばなかった彼なんかこのお酒を飲んで吹っ切ってください。
 美里さんは笑顔の方が素敵ですよ。
 
 それまで一生懸命涙を堪えていた美里が泣き出した。一口飲んでは泣いて、また一口飲んでは泣いての繰り返しだったが、気分は浮上していったようだった。
 そしてその日、俺達2人は初めて体を繋げた。
 それ以来、この酒を美里が注文したことも、俺が勧めることも一度もなかった。 
 目の前にダンヒルのグラスが2つ置かれ、わざと手を離した。
 「俺を許せない?やっぱり亮に乗り換える?」
 この酒で、俺のことも吹っ切る?
 「………そんなわけ…ないじゃない。」
 今度は美里の方から手を握ってきた。
 
 閉店後。控え室で亮がしきりに俺にまとわりついてきた。
 「やっぱすげーな光先輩。本気出すと、ああなのな。まじで感動したー。やっぱ奥の手ってのは最後まで出さないんだなー。」
 いくらなんでも、全ての客にああいう奥の手があるはずもないのだが、それは秘密にしておこう。
 「汚名返上出来たかな。今日の俺は『シケた先輩』だったんだろ。」
 「今日の光先輩、前半と後半の冴え具合がダンチ!マジで!最高!」
 もしかしたら新しい客がつくかもしれなかったというのに、亮はそのチャンスを俺に奪われたことも忘れ、俺にじゃれついてくる。
 新人だからという理由だけじゃないだろう。ホストを商売と考えていない後輩が、ホストの俺の冷めた頭を熱くする。
 面白い。
 だが、そのままじゃ出来の悪いホストになっちまう。
 俺がNo1になったテクをどんどん盗め。お前なら俺と全く違う最高級のホストになれるだろう。間違っても理由が無ければ冷めてしまうホストにはなるな。
 「さて。冴子ママをいつまでも待たせるわけにいかないからな。お先に。」
 「げ。あの性悪女まだいたのか。」
 店長にすかさず殴られるのを横目に控え室を出た。  
 まずあの口の悪さから直させないとな。
 また一つ、面白い理由が増えた。

わっぱっぱ。久々にやったな、共作〜〜〜。
(続きだったので競作でなく共作と致しました)
A/Tの分は、流石に思いつくまま書き殴りのあれじゃ何なので、加筆修正して、ちっとマシにしました。
そして。
Hanakoさん、有り難う御座いました。早速上げてしまいました。
と、はたと気付く。
大丈夫だったのだろうか、許可取ってねぇぞ。い、……良いよね良いよね?(媚び)
THE END