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久しぶりにマミさんがKIDに来てくれた。
僕は当然指名されて、丁度空いていたのですぐに隣に座れた。
「玲―――。久しぶり―――。ごめんね、ずっと来れなくて」
「ううん。来てくれてありがとう」
優雅に煙草を口に咥えたので、火の点いたライターを出した、
「あっと」
んだけど、マミさんはすぐに煙草をひっこめた。
「危ない危ない、吸うとこだった。禁煙しようとしてるの」
「そうなの?」
「うん。まだバッグの中に入ってたんだわ、うっかりしてた」
うふふ、と笑った。
なんだかマミさんは感じが変わった。
以前より、綺麗になった?
「玲、何飲む?」
えーと。
「ビール?」
「うーん、うん」
「じゃ、私はモスコミュールお願いします」
マミさんがてきぱきとフロアの川上さんに2人分の飲み物を注文してくれた。
「玲ったらもう。立場が逆よ?」
「ごめんね。ありがとう」
僕は精一杯のお礼を形にして、マミさんの前に差し出した。
「あ、今日は白い花なのね!ありがとーう」
「えへへ、どういたしまして」
やっぱり喜んでもらえると照れるなー。
と思ってたら、マミさんが僕の方をじっと見てる。
「んん?なに?」
「玲ってさ、ちょっとワンテンポ遅れるけど、ライター出すのとお花出すのは早いのよね」
ああ、そうかも。
別に馬鹿にされている感じではなかった。
えへへ、と笑っていたら、瓶ビールとモスコミュールが運ばれてきた。
僕はやっぱりもたもたして、見かねたマミさんがテキパキとビールをコップに注いでくれた。泡がちょうど2cmくらい出来て、おいしそうに見える。
「上手だねー」
「まあ、本業がホステスですから」
今度はマミさんが照れてる感じだった。
僕はお礼を言ってコップを持ったんだけど、マミさんは何だか真面目な顔をしていた。
「あのね、玲。乾杯する前に報告することがあるの」
「なに?」
「えーと、ね。やっぱりコレが一番わかりやすいかなー?」
マミさんは珍しく言いよどみながら、左手の薬指を誇張するように右手を添えた。
キラリと光る石付きの指輪。
ん?
「私、結婚するの」
一瞬、店のざわめきが消えた。その後、引いては返す波のように音が戻ってくる。
わあ、びっくりした!
えーと、こういうとき、何て言ったらいいんだっけ。
あ、そうそう。
「おめでとうマミさん」
「ありがと」
ああそっか。なんだか今夜は綺麗に笑う理由はソレなんだ。
「それでねー。…もうKIDには来ないと思うの」
え?それは残念だなあ。
マミさん長いことお客さんでいてくれたのに。
あー、でもマミさんが幸せそうだし、いっか。
「どんな人?」
「…頑固な人」
一拍おいたのにはどんな意味があるのか。
えーと。
あ。
「残念だよ。マミさんが来なくなるの、淋しい」
いけないいけない。考えてる内に重要なことを抜かしちゃってた。
「でも、マミさんが幸せならいいや」
にこっと笑い合って、モスコミュールとビールで、結婚に何度も乾杯した。
マミさんは幸せそうではなかった。
いや、今日の話ではなく、以前のマミさんの話。
美人で、スタイルも良くて、頭も良くて、明るくて、おしゃれで、プライドが高い。
そんな人だった。
色々なホストクラブを渡り歩いてきたらしく、KIDに初めて来たときは、誰もマミさんのお眼鏡に適わなかった。
今でも覚えてるなあ。僕の出した花も最初は馬鹿にされた感じだった。
「一輪しか出せないの?」
だけど、次回から僕を指名してくれるようになった。
男はできるだけたくさんの種類を見たほうがいい。玲は珍しいホストだから。という理由で指名してくれた、らしい。
大学在学中からホステスとして働いていたせいか、キャバクラの女の子やヘルスの女の子を見下しているところがあった。
そのせいで、職場だけでなく、KIDでもたまにお客さんと喧嘩が始まったりして、大変だった。
明るく振舞ってるけど、幸せそうではない。
そんな人だった。
「それにしてもこの私が結婚なんて、ねえ。早まっちゃったかしら」
「うん、ちょっとびっくりしたよ」
ちょっとじゃなくて、かなりだったけど。
家庭に落ち着くタイプだと思わなかった。
「9時5時の仕事の人と本当に一緒にやってけるのかしら?5時以降の女だったのに!」
「僕なんか12時以降の男だよ」
どっと笑いが起きた。
お酒が回ってきたせいか、ほんのり赤い顔でどんどん饒舌になってくる。
「最初は同僚の方と数人でいらして、その後一人で来店するようになって…。
あのね、とっても堅い人なのよ!…どこが、良かったのかなあ?結婚なんて考えちゃうくらい」
そう言えば、珍しいな。酔わない人だったのに。
「プレゼントも安物で趣味も悪いし、ちょっとアイメイク変えたら整形したのかとか真顔で心配してくるし」
「あははは!」
「玲の方が安らぐし、玲みたいに優しくないし、玲みたいに甘い嘘も上手じゃないんだけど、でも」
そこでマミさんは一呼吸置いて。
「正直な人なの」
ふふ、とマミさんは今夜初めて悲しそうに笑った。
あれ?
「顔を真っ赤にして指輪を、くれたわ」
あ。
「指輪、と一緒、に、お花もくれたの」
あ、あ。
「とってもたくさん」
「マミさん」
「ほん、とは」
「マミさん。泣かないで。どうしたの」
静かに、静かに涙を零していて。
背中を向けている他のホストとお客さん達には全く気付かれないような、そんな泣き方。
店内の喧騒には何の乱れもない。
「彼は私、の誕生日に、プロポーズしてくれたつもりみたいなんだけど。私、私、…私」
うん、と頷きながらお絞りをそっと渡した。
「その日は、ほん、との誕生日じゃなくて。
私、ホステスだから、誕生日なんか年に何回もあって。
ほ、他にも色々嘘ついてるし、裏切っ、たりしたし、ひどい事したり…して」
目の前で人が泣いていると、僕も視界が滲んできてしまう。
でもこれは。
「そ、そんな嘘つき、を…にして、いいのかなあ?私なんかのどこが良かったのかなあ?ねえ、玲?」
でもこれは悲しいからじゃない。
嘘も裏切りもプライドも捨てて、演技の涙を流してるんじゃない。
マミさんは本気なんだ。
「マミさん、その人のこと好きなんだね」
「………………うん。そう、みたい」
長い長い沈黙の後の肯定。
僕もマミさんも悲しいから泣いてるんじゃない。
マミさんは、目の前の幸せが大きすぎて泣いてるだけだ。
僕は、目の前の人があまりにも静かに泣いているから泣いてるだけだ。
「大丈夫。マミさんが好きになっちゃうくらいの男なんだから。マミさんがプロポーズを受けちゃうくらいの男なんだから」
もうこれが最後かもしれないので、遠慮なくマミさんを抱きしめた。
「その人は、嘘も裏切りもきっと許してくれるよ。大丈夫」
だってマミさんはもう前のマミさんじゃないから。
「愛されてるよ、マミさんは。花を、花束でくれるその人に」
「玲、玲、気にしちゃった?そんな事気にしないで!玲はそのままでいいのよ。いつも嬉しくて、私」
腕の中で少し暴れられた。
「だったらマミさんもそのままで大丈夫」
大人しくなった。
うん、と微かに耳元で聞こえた気がした。
「大丈夫」
うん、と聞こえた。
「幸せになってね」
顔は見えないけど、笑ったのがわかった。
見送りは外の階段の上までついていった。
「玲、ここまででいいのよ?…これからも癒し系ホストとして頑張ってね」
癒し系?
僕って癒し系だったんだ。
「ありがとう。本当に寂しいな、元気でね」
「うん。ありがと。あ、これあげる」
煙草だった。
「本当はね、煙草はバッグの中にわざと入れてきたの」
ん?
柔らかい手で両側から僕の頬はそっと包まれた。
「好きだったわ。ライターを出すのが早い玲が。見納めってやつね」
自然に目を瞑って少し待った。キスされると思ったんだけど。
違った。
いつまで待ってもされないから目を開ける。
「見納め、よ」
するり、と手を離してマミさんは歩き出してしまった。
んーと。
「マミさん!今度来るときは旦那さん連れてきなよ!」
「ふふ。ホストクラブに?」
「KIDにはバーもあるよ!」
「そうね、…子育てが落ち着いたらね」
え?
あ。
僕に返事をする間を与えないで、マミさんは本当に幸せそうに微笑んで、角を曲がって去っていった。
残された僕は、残された煙草を見ながら、「禁煙」の意味を改めて納得していた。
どんな関係でも、別れを告げられると、やっぱり悲しい。
―――玲みたいに甘い嘘も上手じゃないんだけど、でも。
僕、嘘なんかついてたかなあ。
―――正直な人なの。
んー。
正直じゃ、なかったかも、なあ。
別れ際にキスもしてくれなかった。
「玲さ、今日、お客さん泣かしたんだって?」
シーツにくるまって2人で休んでいる最中、突然言われた。
「えー、何で知ってるの?」
わあ、びっくりした!
ちょうどマミさんのことを考えていたので、びっくりした。
何だか、今日はびっくりすることが多いなあ。
「うっそ!ホントだったんだ!金髪の新人くんがね、心配してたよ」
「…亮くん?」
「なんだか元気無いってさ。その泣かしたお客さんが帰ってから。い――い後輩持ったねーえ」
からかい口調だったけど、白くて柔らかい腕に抱きしめられた。
どうして女の人の体はどこも柔らかいんだろう。
「だから、癒し系ホストをたまには逆に癒してあげようと思ってさ」
癒し系…かあ。
その言葉、今日は2度目だなぁ。
「結婚するんだって」
「そのコが?幸せじゃん。なんで泣いてたの?」
うーん。
「幸せだったから、かなあ?」
「あははは!やっぱり幸せじゃん!…ああ、もしかしてマミちゃん?」
「知ってるの?」
ホステスさん達に横のつながりが結構あることに改めてびっくりする。
「うん。前お店が一緒だったんだよね。借金返して結婚するって聞いた覚えがあるからさ」
借金?
そうだよなー。夜の世界の女の人は大体そうだ。
「なんか羽振りが大人しくなったなー、て思ってたら、借金返済に本腰入れたって聞いたんだ。
そしたら、3ヶ月であっという間に返済できちゃったんだって。つまりぃ、今までどんだけ遊びすぎてたかってことだよねー」
そう言えば、マミさんが前に来たのって3ヶ月前だった気がする。
「この間お店もやめちゃったらしいんだよね、あのコ。結婚するって言って。ここだけの話、プライド高くて、ちょっとイヤなコだったけど。
そっか。幸せで泣いた、かぁ…。」
少し沈黙が流れた。
僕には何となくわかった。
彼女がマミさんを羨ましいと思っていることが。
負の感情が流れてくる、短いけど重い沈黙だった。
「玲、煙草取ってくれる?」
ベッドのサイドテーブルに近い方に寝ていた僕は腕を伸ばした。
「あれ。からっぽだよ」
「え、まじで?」
あー、一服したーい、と枕に顔を埋めるのが本当にがっかりした感じだったので、煙草なら持ってるよ、と上着のポケットから出した。
「えー?なんで?玲、煙草吸わない人じゃん」
「もらったんだよ」
「吸わない煙草を?あ、もしかしてマミちゃん?最後に煙草くれたの?」
「うん。禁煙するんだって」
「何だそりゃ」
あはは、と笑った。
でも僕と彼女が笑った理由は違ったみたいで。
「貰えない。じゃあこれは」
「どうして?」
「女がね、使ってた物を男にあげるのは」
彼女はにやり、と笑った。
「その男を好きだった証拠なんだよ」
え?
―――好きだったわ。
マミさんが、僕を?
―――見納めってやつね。
「………」
でも僕は、その新しく発覚した疑わしい事実よりも、数時間前のことを思い出していた。
化粧直しを終えたマミさんは、最初に出した白い花をくるくる回して遊んでいた。
「あ――あ、玲には何にも言わずにただ顔を見に来るだけの予定だったのに。
7年も新宿のホステスをやってきたのに!たった一人の男で、こんなにころっと自分が変わっちゃうなんて!」
嘘がつけなくなっちゃうなんて、と笑っていた。
少し赤い目をきらきらさせながら、明るさを取り戻して笑っていた。
「旦那さんの影響だね。ベテラン美人ホステスを嘘をつけなくさせるなんて、スゴイ人だよ」
「そっか」
マミさんは花で口元を隠しながら頷いた。
目が明るく笑っていた。
そう言えば。
この煙草。
今まで貰ったプレゼントの中で一番値段が安いものかも。
…そういう所も旦那さんに似てきたのかな。
あ、でも趣味は悪くないよ。うん。
…って僕、誰に言い訳してるんだよ!
「あれ?もっと違う反応するかと思ったー。玲ったら。何でくすくす笑ってんのー?」
落ち込んでるなんて自覚はしてなかったけど、なんだか元気が出てきた。
「ごめんね。もう1回しようか?」
「あはは!元気出たのね?でも、もうちょっと休憩させて?」
「じゃあ、煙草買ってこようか?それとも、お茶淹れようか?」
「ええ!?何よ?大サービスじゃん!でもいいよ、本当に。
あ、そうだー!」
悪戯を思いついたように、にや、と笑った。
「素っ裸じゃ花なんか出せないでしょ」
「出せるよ」
ほら、とばかりに目の前に花を出してあげた。
「うっそ――すご――い!どうやったの!?」
「秘密。タネ明かしはしないんだ。マジシャンだからね」
「あははは!本業はホストでしょ?」
ん?
それも、どっかで聞いたセリフだなあ。
彼女は、赤い花を持ってずっと笑っていた。
―――あ、今日は白い花なんだ!
―――ありがと。
偶然だけど、花嫁さんに白い花を出せて良かったな。
―――ライター出すのとお花出すのは早いのよね。
―――好きだったわ。
僕もだよ。
マミさん、幸せになってね。
END
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