会いたかったんだ。
お前が急に学校に来なくなって以来、ずっと会いたいと思ってたんだ。
最初は気に入らない奴だと思った。女みたいな顔して大人しそうだったから、ちょっと虐めてやろうと思っただけだったんだ。
それなのに。
お前は反発するでも無く、媚びるでも無く、淡々と受け流すだけだったから。だからこっちもムキになってた。顔を見る度に何かしてやりたかった。妙に苛ついた。
腹が立ったのさ。他の奴らとお前は、あまりにも反応が違いすぎたからな。何が何でも屈服させてやりたかった。跪かせて泣かせてやりたかった。何時も涼しい顔して―――その顔を汚してやりたかった。
そして、あの日だ。
あの日。
お前を閉じこめて良い気分になってた。奴が――中城が一緒だったから、余計に気が大きくなってたのかも知れねえ。
実際、やるつもりは無かったんだよ。振りだけして、驚かせて、赦しを請わせようと。お前の泣き顔が見たかったんだ。中城はどう思ってたのかは判らないけどな。少なくとも俺は本気じゃあ無かった。
良いチャンスだと。泣かせる良いチャンスだと思ってたんだ。
脱がせて、うんと怖がらせて。恐怖に引き攣ったお前の顔を見て笑ってやるつもりだった。
ところが。お前の身体を見て………驚いたのは、俺の方だったんだ。
綺麗だと、思った。欲しいと思ったんだ。自分でも信じられなかった。お前の身体は、それまでに抱いたどの女よりも綺麗だったんだ。
こんな事言うなんて、気持ち悪いよな。
あの時は夢中だった。
屈服させられたのは、俺の方だって思ったよ。完敗だと思ったんだ。もの凄く後悔した。その後に………俺は、お前を嫌いじゃなかったってことに気付いたんだ。
家に帰ってから考えたんだよな。明日穂邑に会ったら、何て言おうか。
謝らなくちゃあいけないと。気持ちは決まってたけど、素直に言える訳なんて無いだろ。結局一晩中考えて、夜が明けても何の決心も付かないまま学校に行ったんだ。そしたら、お前はいなくてさ。
次の日も。その次の日も。
お前が学校に来なくなったのは、ひょっとして俺たちのせいなんじゃないかと。でも、家に電話することも出来ずに、ただ毎日待ったよ。お前が出てくるのをさ。
しばらくして、学校をやめたって聞いた時、逃げなきゃ良かったと。すぐに電話すれば良かったって後悔したよ。あの時は電話しても何を言って良いのか判らなかったけどな。
学校ではちょっとだけ噂になって女どもが騒いでたけど、そのうちみんな忘れちまったみたいに何事も無く、いつも通りの学校に戻った。
そのまま卒業して。ま、俺はあんなだったから、大学も入れる訳ないし。しばらくバイトしながらぷらぷらしてたよ。相変わらず喧嘩もよくしたし、揉め事もしょっちゅう起こしてた。何度クビになったかわかりゃしねぇ。
でもな。お前の事は、忘れたことが無かった。いつか会いたいと思ってたんだよ。あの高校の時の俺の、ガキっぽい我が儘を軽く躱
許してくれなんて言わねぇ。言える訳ねぇだろ。俺はお前に殴られても良い。それでも話したかったんだよ。本当だよ。
だから、今日お前に会えて良かった。本当に嬉しかったんだよ。……お前は会いたく無かったかも知れないけどな―――――。
「ホント御免な。勝手に付き合わせた上に、引き留めちまってよ。もうあいつらも行っちまっただろうし、送ってくよ。さっきのトコに戻るんだろ。誰か待ってたみたいだもんな。」
何と答えたら良いのか判らなかった。
志田に会いたくなんて無かったのは事実だ。別に話したいと思ったことも無い。許すも何も無い。志田に酷いことをされた記憶は穂邑には無いのだ。あの時、同級生に犯されることに恐怖を抱いたのは、ほんの一瞬だ。同じ事だ。父とやるのも、志田とやるのも。
ただ、驚いた。自分が姿を消した事をこんなに気に掛けていた人間がいたという事実に。志田がそんな事を考えていたとは、思ってもいなかったのだ。
「学校を止めたのは志田のせいなんかじゃ無いから、気にしなくて良いよ。ありがとう。」
ドアを開けて、外に出る。辺りは暗くなっていた。先程走って来た道を二人並んでゆっくり戻って行く。
「あ、志田。そういえばさっきの人達の事だけど……。」
「いや、ちょっとした揉め事でさあ。ほら俺喧嘩っ早いから。」
振り向いた時に光って見えたのは、多分ナイフ……だった筈だ。『ちょっとした揉め事』程度の事では無いだろう。だが、敢えてその事には触れずに歩き続ける。彼の話したくない事を訊く必要は無い。
戻ったら、李に何て言おうか。ぼんやり考えていたら、顔に表れていたのか、志田が笑いながら言う。
「待ってる人に何て言い訳するか、考えてるだろ。仕事絡みか? それとも彼女?」
「う――ん。仕事……かなぁ。」
「じゃあサボっちゃった、だろ。」
確かにこれは『サボリ』だ。
李は怒るだろうか。それとも笑うだろうか。そんな呑気な事を考える自分が可笑しかった。
表通りに出るとネオンの明滅が眩しい。自動車の行き交う音と人の話し声。僅かの時間離れていただけなのに、雑踏が懐かしい気がする。思い掛けず志田に会って、少し話をして。それだけの事なのに気分が良い。二人の笑い声も自然と大きくなっていた。
「………。」
首筋の後ろに嫌な感じがした。思わず後ろを振り向く。光る刃先が視界に入った瞬間、志田を突き飛ばしていた。考える間も無く、身体が反応した。
シュッ。布地を切り裂く音が耳に響く。
「穂邑っ!」
志田に呼ばれて振り返った時、自分の腕に血が滲んでいることに気付いた。だが今はそれに構っている暇は無い。体勢を崩していた男が再びナイフを構え直した。明らかに志田を狙っている。
「逃げろ!」
志田に向かって叫ぶ。
「馬鹿っ! お前こそ逃げるんだ!」
志田の声は女性の叫び声に掻き消され、最後まで聞こえなかった。気が付くと相手は3人になっている。皆それぞれナイフを構えていた。
拙
1本のナイフを持つ手が身体ごと右腕のギプスに当たって跳ね返った。腕に衝撃が走る。
「……っつう。」
腕を庇い、相手を見失ったのは一瞬のことだった。左目の視界が真っ赤に染まり、こめかみを切られたと気付く。大丈夫。顔は出血が酷い割に傷は浅いことが多い。咄嗟に片目を袖口で拭い相手を見据える。と、目の前を光が通り過ぎ、頬に血の流れる感触。
自分の目の前にいるのは一人。瞬時に周りを見るが、他にはいない。と言う事は、志田は二人を相手にしている筈。彼は大丈夫だろうか。真後ろにいる為見ることが出来ない。
「おい、警察呼べ!」
そんな声を遠くに聞きながら足を押さえる。スラックスごと切り裂かれた腿は生温く、肉塊を指先に感じた。
「おい、警察呼べ!」
誰かの叫び声が聞こえた。
警察が来れば奴らは逃げるだろう。俺たちは多分助かる。けど。穂邑に迷惑が掛かる。あいつの仕事、何度か訊いたけど上手くはぐらかしてた。言いたく無いんだろう。俺も、出来れば警察のお世話にはなりたくねえ。
あいつ、後ろにいるから見えねぇけど、大丈夫かな。酷い怪我してなきゃ良いが。
俺は両腕切られてるけど、こんなん掠り傷だ。大丈夫、足さえ怪我しなきゃ穂邑くらい抱えて走れるだろ。畜生。このダウン、高かったんだぞ。それにしても二人相手は辛いな。どっちか一人を先に………来たっ!
ナイフを避けて腕を掴み捻り上げた。ゴキッ。鈍い音がそいつの叫び声と共に耳に響く。
あと一人。早くこいつを片付けて、穂邑を助けなきゃな。―――睨み付けた、その時。
後頭部に衝撃が来た。
しまった。他の仲間が来たのか。
ふらつく頭を抑え、足を踏ん張った。倒れるものか。そう思った瞬間、目の前に奴の薄ら笑いがあった。腹を抉られた。同時に背中にも痛みが走る。
ナイフが抜かれたと同時に、腹から噴き出す血。
やべえ。背中のは肺まで行ってるのか。口の中が血で一杯だ。苦しい。もう立ってらんねぇ。
パトカーのサイレンを聞きながら、後ろにいた誰かにぶつかり、倒れた。
警察が来たらしい。サイレンの音が遠く聞こえる。
これで彼らも逃げてくれるだろうか。
切られた大腿部の傷は思ったより深い。押さえる掌に感じるのは、心臓の鼓動と共に流れる血液の温かさだ。
と、背中に何かが当たった。バランスを崩した瞬間、脇腹に感じた―――熱。
痛みでは無かった。感じたのは、熱さだ。ナイフの柄が生えている。刺されたのか。そう思いながら腹を抱え込んだ。視界が変わり、先程背中に当たったものが見えた。
血溜まりの中に倒れている姿―――ダウンジャケットが赤黒く染まっていた。
「志田っ!?」
駆け寄りたかったが、走れない。脇腹のナイフを押さえたまま、這う様に近づく。
胸ポケットからサングラスが落ちた。カシャンと音を立てて、アスファルトに転がる。
―――バイバイ、ボクちゃん。
忘れたくとも忘れられない言葉が、あの日見た光景と共に過
死んじゃ駄目だ。
「志田っ! すぐに救急車呼ぶから……」
だから、死ぬな。
志田の口から血が溢れ出る。
真っ赤に染まった志田の手。血液で滑るその手を握り締め、頬を擦り寄せた。
「……穂邑…御免な………泣く…な…よ……」
志田の口から血と共に吐き出された言葉。
そんなに苦しそうなのに、何で謝るんだ。志田が謝る必要なんて、無い。
横たわる志田の顔に涙が落ちた。
志田。死んじゃ駄目だ。死んじゃ、駄目だよ。
志田は何も言わない。もう、何も言えない。
「…し、志田あぁぁ――――――――――。」
縋り付いて触れた志田の唇は、錆びた鉄の味がした。
遙か遠くに聞こえる女性の叫び声。穂邑が、最後に聞いた声だった。
――――目の前が暗転した。
パトカーのサイレンと、女の叫び声が聞こえた。
彼の眼に最初に飛び込んできたのは、人だかり。次に、血液。そして、折り重なるように倒れた二人。
野次馬の間を滑らかな動きで進み、青年の怪我を確かめる様に身体を撫で回すと、脇に落ちていたサングラスが目に付いた。
「………キッド。生きていたか。」
青年を抱え上げサングラスを拾った。ベンツに運ぶ。中に居た白い服の男に微笑んだ。
警察が到着したのは、ベンツが静かに走り去った直後だった。
――了――
あはは、志田。志田ですか。どうしているのかなあ。今頃は地元の繁華街でのたくっているか素人さんにたかって、幸せに暮らしていると思いますよ。そこらが彼には似合いです。僕は興味は無いな。 | ||||
…………。 | ||||
記憶が無いなんてとんでもない。きっかけを作ってくれたのは彼らなんだ。今でも感謝していますよ。僕のかつての生活の突破口を開いたのは彼らだ。彼らが僕にちょっかいを出さなければ、僕はまだあの生活を続けていたに違いない筈なんですから。
本当に感謝していますよ。 | ||||
あ、あの。……もしかして穂邑さん、お、怒ってらっしゃいます? | ||||
やだなあ、どうしたんですか。高校の同級生の話じゃないですか。昔話です。今更僕が何を。 | ||||
はぁ、その通りですけど、貴方がそう仰るのは昔話の事じゃないでしょ。言わせて頂けば、ご自分の為に、でもないですよね。貴方が怒っているのは……そのぉ…。あー……。…亮の…… | ||||
………志田と亮は絶対似てなんかいない。 | ||||
(……やっぱしな……) | ||||
亮がもし、自分より弱いと思った者を追い詰めるような事があったら、それは庇おうと思っている時です。自分が傷つく馬鹿だけど、相手にとどめなんか、絶対刺さない。あいつは……
志田みたいな奴と一緒にして欲しくないな。迷惑だ。 | ||||
(……本人の前で言ってやれ、喜ぶから。怒り所が違うし。で、でも、穂邑さん?
笑いながら言わないで下さい。……滅茶苦茶恐いですぅ……。) | ||||
評価点(10点満点) | A/T酷点:6 | 穂邑怒点:10 |