彼は目がまっすぐで、痛い。
自分に自信がある男の目をして、私を見てくる。
過去はどうでもいい。どんな経験をして今の彼が出来上がったかなんて興味ない。それは即ち、女の数も意味するだろうから。
この店のソファでは、今だけは、私を見て。
なんて。口が裂けても言えないんだけど。
「亮、静かにしないと他のお客さんに迷惑でしょ。」
「いーのいーの、だって今日はミニさんの誕生日でしょ!?盛大にお祝いしなきゃぁ!!」
そう。今日は私の30の誕生日。行きつけのバーで馴染みのホストにそう告げると、盛大に驚き、もう店は閉まってる時間帯なのに、「ケーキ買ってくるぜ!」と勢いよく出て行った。
場つなぎに他のホストが私の隣に座る。シャンパングラスを手にしていた。
「ミニさん、お誕生日おめでとうございます。こちらは店長からのお誕生日祝いです。」
「あらありがとう。キッドにお礼言わなくちゃ。」
店長兼バーテンの美青年を振り向くと、にこやかに会釈された。普段笑顔を忘れてる私も、自然に笑顔になる、そんな優しい笑顔だった。
それにしても、ここの店長は気前がいい。お礼だとかお詫びだと言っては、しょっちゅう客にタダ酒を振舞うのを目にしていた。
隣のホスト君にそう告げると、彼は笑って、「その分お客様には充分儲けさせてもらってますから」と、馬鹿正直な答え方をした。
亮ならきっとこう言う。
「美人にはサービスしなくっちゃね。」
隣には新人だけど結構いい男が居るっていうのに、この店に初めて来た時を思い出していた。
その日は雨だった。都会はアスファルトのくせに、気を抜くと雨の日は泥がはねる。朝からストッキングを2足換える羽目になり、強風で傘が壊れ、契約はとれないし、お昼は食べられないしで最悪の日だった。
給料の出ない残業を1人でして、会社を出た。まだ9時前だったのに、人通りは少なくて、余計気分が沈んでしょうがなかった。
朝から12時間も何も食べてないから、空腹を通り越して気持ちが悪かった。きっとひどい顔をしてるだろう。夕食にお弁当でも買おうと思って、駅の近くのコンビニに入った。
値段の割りに大きいオムライスを手に取っている時、突然声をかけられた。
「おねーさん、オムライスならウチの店で食べなよ。」
びくっとして、思わずオムライスを手から落とすと、明らかにビジネススーツではない金髪の男の子が立っていた。
「ウチの店ね、すぐそこ。バーだけどね、食べ物もスゲ美味いんだよ。オムライスだけじゃなくて、ホットサンドとか、カルボナーラとか、あ、勿論冷凍食品なんかじゃねーよ!酒も美味いし。それになんと!今ならデザートに俺もついてきちゃうよ〜。」
デ、デザート!?
一方的に喋った彼は、はい決まり決まり〜、と言いながら私の手をつないでコンビニからバー『キッド』へと連れていった。
店の扉を開けると、カウンターから穏やかな声がかかる。
「いらっしゃいませ。お帰り、亮。」
客の数はカウンター席に3人と、ソファ席に2人ぐらいだった。
「ホイ。これ頼まれた領収書な、店長。備品はきらしちゃだめだぜ。ついでに美人のお客さん連れてきたんだぜ、俺様は。」
「いらっしゃいませ。今日はさっきまで大雨が降っていたから、すごい空いてるんです。すみません、亮が無理言って連れてきたんでしょう。」
そうね、かなり強引だったわ。
「お食事もまだみたいですね。メニューをどうぞ。亮、席にご案内して。」
「店長、こちらのおねーさんオムライスな!俺の給料から引いていいから、とにかくでっかい奴!コンビニでフラフラになりながらデカオムライス買おうとしてたんだよ。なんかかわいそうでさ、つい連れて来ちまった。」
「え〜、何よそれ〜。」
まるで捨て猫拾ってきたみたいな言い草じゃない!
でも彼は、はっと私を振り返り、安心したように笑った。
「あ〜、やっと喋った〜。」
まっすぐに、私を見て笑った顔は、私の機嫌が直るのに充分だった。いや、密かに彼に夢中になるのに充分だった。完璧に主導権は彼にあったのに、実は私の機嫌を窺っていたんだと知れたから。
「あ、俺のこと、亮って呼んでよ。おねーさんは?」
なんだ、今ごろ自己紹介か?と他の客が笑った。ウルセーよっと怒鳴りつつ、店長に目で叱られていた。
「えーい、ウルセーウルセーっつの。ささ、おねーさん、あっちのソファ席にごあんなーい!」
ソファに座ると、背の高い彼とやっと目線が合った。
「おねーさん、こんな美人なのに、背低いよね。」
ちょっとムッとした。
「そりゃ亮に比べればね。」
「俺は平均的だぜ〜?そだ、おねーさんのあだ名『ミニさん』ね。決定〜。」
げ。センス悪!
「でもま、『チビさん』とかよりはマシか。」
なんとなく他の人なら許せないことも、亮なら許せちゃうところが彼にはあった。まっすぐに見つめてくるところとか、さらさらの金髪とか、ホストのくせに口答えしてくるところとか、全てがかわいく思えていた。
普段の私なら、コンプレックスの背が低いと言われたら、大人気ないと思いながら、その人がちょっと嫌いになるのに、今日は例外だった。
オムライスが本当にほかほかで美味しかったことも、長時間空腹の後のアルコールは悪酔いするからと、ノンアルコールのカクテルを勧めてくれたことも、この夜の思い出が私にとって大切になった理由の1つだと思う。
デザートに関しては、…ご想像にお任せします。
その後、常連となり、店長を「キッド」と自然に呼べるようになった。もう1人の無口な体格のいいバーテンの、店長への従順ぶりが好ましく思えるようになっていった。私の中でバー『キッド』の比重が大きくなったのも、亮がどんどん出世していったからだと思う。彼がこの店のNo,1ホストになるのを、まるで姉が弟を見守る気持ちで見ていた。
気紛れで子供っぽい男は嫌いだったけど、亮は素直だった。口答えは相変わらず激しいけど、亮は決してめげない。負けず嫌いの男は好きだった。
一度だけ亮に尋ねたことがあった。
「私のどこが好き?」
「小さいのに美人なとこ。小さいのに酒が強いとこ。小さいのに…」
「小さくなかったら、好きじゃないんだ。」
「小さくなかったら、『ミニさん』じゃなくて『のっぽさん』だったかもな!」
「あはは!」
計算か知らないけど、はぐらかすのが上手。
「何でも笑って許してくれるとこ。」
商売だと分かっていても、心の隙間を埋めてくれるあなたに夢中になる。
「お帰り、亮。」
キッドの声が聞こえた。振り向くと、亮が片手に白い袋を、片手を後ろに隠して、悪戯好きな笑顔で立っていた。
「お帰り。何持ってるの?」
「へへ〜。ミニさん驚くぜ〜。じゃんっ!」
後ろからバラの花束を出してきた。確かにびっくりした。他の客からも歓声があがる。今日は思い出の日と違い、満席だった。
「わぁどうしたの?何何なんで?どっから手に入れてきたの?」
だって今の時間、カタギの店は開いてない。
私の喜びように気を良くしたのか、にやりと笑っていった。
「ここは新宿だぜ?手に入らないものはないよ。」
う。かっこいい。
素直に喜びが溢れてくる。
「ありがとう、亮。」
「どーいたまして。」
テーブルの上にケーキを置いて、1本しか手に入らなかったんだという蝋燭に火をつけてもらい、ふと気付いた。その蝋燭、なんかおかしい。
でも『ハッピーバースデイ』の歌を皆に歌ってもらってる最中だから、見て見ぬフリ。言うべきかしら?でも折角かっこよくキメてくれた亮に悪いかしら…。と悩んでいる内に歌が終わった。勢いよく火を吹き消す。
口々におめでとうと言われ、拍手をもらう。
やっぱり嬉しいから気付かないフリをしとこうかな。
場つなぎをしてくれたホスト君がケーキを切り分け、余ったケーキは他のお客さんにお裾分けしたりと、まめまめしく働いている。亮が隣に座った。
「ありがとう、亮。」
「喜んでもらえて嬉しい。」
花束を抱えなおすと、ポロッとカードが出てきた。バースデイカードかな、と気を良くしてみると、『寿』の文字。…やっぱりこっちもか。
にこやかに微笑んで、亮をいじめてみる。傍から見たら誕生日を祝ってもらった礼をしている客と、そのホストに見えるように。
「ねえ、亮。嬉しいわ。でもツメが甘いわよ。」
「え。」
いつもはまっすぐな視線も、今は私と目を合わさないように泳がせている。
「ケーキとお花、すぐそこのホテルの披露宴会場からもらってきたんでしょ?しかも破談になったやつの。」
「………へへ。」
開き直った感じで笑った。
蝋燭にも『寿』の文字があった。明らかに披露宴などのショウ用にデザインされた形。そして未使用。色々考えると、答は一つだった。
にこやかに囁く。
「かっこわる。」
亮は、ネタがばれたことと、かっこ悪いと言われたことで、心からショックを受けた顔をした。
「ひ、ひどいなミニさん。」
「ま、かなり今夜は気分がいいので許してやるか。」
亮の機嫌を直すためと、お礼を言うために、ボトル1本入れてあげた。
「ミニさん美人で気前がいいから好きだなぁ。」
即座に機嫌が直る。現金な奴め。
「お誕生日おめでとう、ミニさん。」
「あ、そう言えば言われてなかった。」
「そうそう、言う前にケーキ探しの旅に出ちゃったからさ。」
目を合わせてから、ふふっと笑いあった。
私もかなり現金かな。
だけどありがとうという気持ちを、ボトル入れることでしか表せないなんて不思議な関係よね。お互いに、この店の中でだけの愛を騙し騙される。
ひどいのはどっちだかねぇ。
そんなあなたに騙されながら夢中になっちゃうなんて、私も大人になったもんだわ。
そう言えば、今日から30だもんなぁ。
亮に気付かれないようにそっと溜息をついた。
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