気が付くと明かりが点いていなかった。
(ここは…どこだ…?)
朧気な記憶を手繰り寄せる。白い壁、白いカーテン、白いシーツ…病室か。それに個室…。
「!」
(沙門さんのとこか?!)
ようやく目が覚めて、仁木は更に驚いた。
「なんだ、これは…。」
手足の自由がきかない。どうやら両方ともそれぞれ一まとめに縛ってあるようだ。
そしてここはベッドの上――。
「やっと起きたか。」
隣に寝ていた沙門にようやく仁木は気付いた。
「…あんた、何する気だ。」
「俺の世話役だろう、ドクター。…世話、してくれや。」
「は?」
「あのボウヤは悦かったぜ。」
…やっとわかった。
(俺、犯される…。)
Yシャツの前を開けられ、仁木の脇腹を穂邑の指が滑り落ちる。
「…っ穂邑、どうして…。」
「僕、この人に逆らう事なんて、出来ません…。」
「っ!…くっ・・ぅ…。」
スラックスを下ろされ、心に触れられて、仁木は必死に首を横に振った。
聞き入れて貰えるわけもないのに。
「…っ、っ!ぅ…、っ…。」
穂邑の手の動きはどんどんエスカレートしていく。
沙門はそれを傍らでただ見ていた。
「…啼かねえな。」
やっと口を開いたと思えば、何のことだ。仁木は恐怖のために消えない理性で、精一杯の抵抗として沙門をきつく睨んだ。
その目が、沙門を更に煽ることになるとも知らずに。
「!?ほ、穂邑っ、どこを…!」
次に穂邑の指が触れたのは、奥の窄みだった。
「やめろっ、やめ…っ!」
おそらくは軟膏か何かであろう、穂邑の指にはたっぷりと潤滑油が付けられていて、仁木は抵抗も空しく、指一本を容易く飲み込んだ。中で蠢かれ、また一本、指を増やされる。
「〜〜〜っ!…くっぅ…!はっ…、ぅ…っ!」
仁木は声をあげなかった。
荒くなった息をも、必死で呑み込んだ。
「ボウヤ。」
沙門は穂邑に顎をしゃくって催促した。
仁木から指を抜き、穂邑は沙門のものを咥えた。
「あんた、なぜ俺にこんなことをする。」
ようやく仁木が口を開いた。
「何だ、声出んじゃねぇか。少しゃ喘げ。つまんねえだろが。」
(声なんかあげてたまるか!)
仁木にはわからなかった。自分は男だ。穂邑のような容姿のわけでもない。なのになぜ自分が沙門のターゲットになったのかがわからなかった。
それに、いったいこの男は何者なのだ。
「あんた、誰なんだ。」
この待遇。院長に絡んでいるのは間違いない。
そして、この視線が魅き寄せられる、存在感。
「俺は、鹿野院長の犬だ。」
(犬?!)
「なんだそれは!わけがわかんねぇ。」
「院長は臓器密売のブローカーなんだよ。俺は番犬だ。今日、秘書の塚本が刺されただろう。」
(なぜそれを?!)
この件は、院長の口止めで外部には漏れていないはずである。
沙門が続ける。
「俺が動けねぇから代わりに盾になったんだろうな。」
ボディガードなのか…?
いや。
沙門は、誰かを守るタイプには見えない。
「鹿野のオヤジには感謝してるぜ。お前みてえな玩具をくれたしな。」
「俺は医者だ!」
「いや、玩具だな。男をどうこうしようなんざ考えたこともなかったが、気が変わった。このボウヤ、女みてぇによく啼きやがった。なかなかだったぜ。」
「俺は穂邑じゃない。なんで俺なんだ。沙門さん、あんた番犬なんて立派なもんじゃねぇ。ゲテモノ喰いのノラ犬だ。」
「フン!“ゲテモノ喰い”!面白れえこと言いやがる。まあでも“ノラ犬”は当たってんだがな。昔、道で暴れてるとこを鹿野に拾われたからなぁ。」
「ボディガードなんてキレイなもんでもねぇよな?」
仁木の一言に沙門が吹き出した。
「は!俺のことをそんなもんだと思ってたのか?!俺は暴れてぇなら暴れて、殺りてぇなら殺る。結果あのオヤジのタマ残ればいい。それだけだ。」
それは、頭を殴られたような衝撃だった。
“命”というものにほとんど関心が無い。自分の命さえも。かと言って自虐的なわけではない。
自分の意志を貫き通して、死ぬ最期の瞬間まで自分の生を楽しむ。
それが沙門なのである。
規律、規則、模範。
がんじがらめの自分とは正反対だと、仁木は思った。
「仁木。」
沙門の声で我に返ると、二人の間合いがほとんど無くなっていたことに仁木はようやく気が付いた。」
しかし動けない。
逃げなければならないのに、動けない。
それは手足の自由がきかないというだけではない。
「お喋りはもう終いだ。――啼かせてやる。」
滅多に呼ばれない名前。
それだけで、仁木は動けなくなった。
「ぐ…ぅ…・ぁ…っ!」
沙門は仁木を簡単に抱え上げ、自分の猛りの上に下ろした。己の体重で仁木は受け入れたくないものを自分の中に招き入れてしまう。
「邪魔だな。」
仁木の衣服はとうにずり落ちていたが、後ろ手に縛られた手首とまとめられた足首に引っかかっている。沙門は舌打ちした。
足の戒めだけ解く。引っかかっていた服を落とし、座位で仁木を揺すぶった。
「っ!ぁぅ…!く、ぁっ、ぅ…!」
(なんで俺がこんな目に…?)
振動に、眼鏡がずれる。髪が乱れる。呑み込みきれない荒い息。止まらぬ涙。
「…いいザマだな。いつもの澄ましたエリート面はどうした?こっちのが似合いだぜ。」
「〜〜〜っ!」
(畜生…!)
それでも仁木は声だけは出さない。
沙門が激しく突き上げた。
「啼けよ!」
「っ!」
「おら!」
「…っ!!」
痛い。苦しい。熱い。
(なんで!なんで俺が…っ!!)
「ひっ!」
突然、仁木自身に指が絡んだ。
穂邑の、指。
「穂邑…?!」
「先生、辛そうだから。少しは痛み、紛れると思いますよ。」
「や、やめっ…!!」
甘い痺れが身体中を駆け巡る。
沙門が一層強く突き上げた。
「ひああ!ぅ・あぁああ!!」
仁木の中で、何かが切れた。
熱い。
熱い。
もう、なにがなんだかわからない。
「ぁ、あ…!はぁあああ!!」
気が付くと、宿直室に寝ていた。
服もちゃんと、身に付けている。
「あれは…っ痛っ!」
夢かとも思った。
しかしこの身体の痛みが、あれは現実だと告げていた。
「気が付かれましたか?」
その声にはっとして仁木は視線を向けた。
「穂邑、…お前…!!」
思い切り、穂邑に殴りかかった。
仁木の拳を、穂邑は避けもしなかった。
「あの人が、好きなんです。」
なん、だと言うのだ。
仁木は穂邑の言葉が信じられなかった。
「何であの人なのか、僕にもわかりません。…気付いたら魅かれてた。どうしようもなかった…!」
(なぜ、泣くんだ。)
「あの人に憧れた。従いたかったんです。どうしても…。」
仁木はもうなにも言えなかった。
言葉に、ならなかった。
穂邑の涙と台詞が胸に突き刺さる。
(やめろ、やめてくれ!)
心の中で渦巻く感情の名前を、仁木は見つけたくはなかった。
翌日、いつも通りの日常が過ぎた。
オペの打ち合わせ、回診。そして――。
「仁木先生、ナースコールです。」
「ようドクター。」
「何の用だ、沙門さん。」
「つれねぇな。昨日はあんなに…」
「もう忘れた。」
「お前でもあんな風になんだなぁ。楽しかったぜ。」
からかい口調をやめない沙門に、仁木はあきれて溜め息をついた。
「沙門さん。あんたの退院、決まったよ。」
仁木は一瞬、沙門の周りの空気が止まったように見えた。
(…馬鹿らしい。見えるわけねぇだろそんなもん。)
心の中で独りごちて、続ける。
「三日後だ。それが過ぎれば、もうあんたと顔合わせることもなくなる。」
「フン、また犬に逆戻りか。」
「似合いだな、あんたには。」
「お前は昨日の方が似合いだぜ?」
仁木はまだ一つ疑問だった。
「どうして俺だったんだ?」
「固えもん崩すのがおもしれぇから。」
仁木は思い切り沙門を殴った。
そのまま病室を後にした。
三日後、沙門は退院した。
見送りなどしなかった。
仁木と沙門、お互いに感傷など無かった。
その後、平穏な毎日が戻ってきた。
変わったことは、穂邑が転職したことぐらいである。
沙門の病室には、もう何も残っていない。
白い壁、白いカーテン、白いシーツ。
白。
それだけだった。
なにもかも自分とは正反対だった。
―――憧れていた。
名を呼ばれる、ただそれだけで感動していた。
羨ましかった。
澪と結婚後、俺は鹿野総合病院を辞めた。
次期院長の椅子は約束されていたようなものだったが、裏の世界に巻き込まれるわけにはいかなかった。
澪を守るために。
敷かれたレールから外れたのは初めてだ。
個人経営の小さな外科病院。
それでもいい、と澪は言ってくれた。
こんな風に、道を外れるのも悪くない。
今の俺は、ようやく少しだけ自由を手に入れたのかもしれない。