朝民はいない。
蓮峰にせがまれて、軽井沢にある彼女の別荘に避暑に出掛けている。
穂邑も誘われたのだが、彼女に気兼ねして仕事を理由に断った。
朝民も残る事には反対したが、蓮峰の手前、無理に同行させるような事はしなかった。
伯芳と数名の人間が運転手兼ボディガードとして従った。
久しぶりの一人の夜。
朝民のいない部屋の広さと静けさの所為か、なかなか寝つけない。夜風に当たろうと庭に降りてみる。
風は生温かいけれど、冷房の効きすぎた部屋にいるよりはほっとする。
陶製の丸い椅子に腰掛けて夜空を仰ぐ。
ぼんやりと浮かぶ夏の月。戯れに或る男の顔を月の影になぞってみる。
(あの人が夜空の月を仰ぐなんてことない、な)
濃い睫毛を伏せて、口の端に笑みを浮かべる。
「朝民が居ないんで、一人寝が淋しいのかなあ。ボクちゃんは」
突然掛けられた声に驚いて振り返ると、背後に尖が立っていた。
何時からここに居たのだろう。近付く気配にも全く気が付かなかった。
「月見て恋しがるんなら、付いてきゃ良かったのに」
椅子に腰掛けた穂邑の鼻先まで顔を近付け、悪びれない調子で尖が言った。
「片付けなきゃいけない仕事が沢山ありますから。朝民や尖さんの足手纏いにはなりたくないし」
穂邑がにっこりと微笑を返す。
「とか何とか言っちゃって。ホントは俺に抱かれんの待ってたりして」
「悪い冗談だなあ、尖さん。…僕、もう戻りますから」
そう言って椅子から立ちあがろうとした穂邑の両肩を尖が押えた。
「そんなに急がなくっても、夜は長いんだしさあ」
穂邑は椅子を抱え込むような形で四つん這いになっていた。下半身は露わになり、尖と繋がっている。
「く…っ、…は…っあ」
尖の腰が大きく揺れる度、漏れそうになる嬌声を押し殺す。
「何よ、せっかく慰めてんのに。少しは嬉しそうな声、聞かせてよ」
冗談ではない。何時、誰がやって来るともしれないのに。ましてや嬌声など上げられる訳がない。
「は…ん、人に聞かれる心配してんの?だいじょぶ、だいじょぶ。それに…」
穂邑の細腰を掴む手に力が込められる。
「人目を気にしての方がイイって、ボクちゃんの身体が言ってるぜ」
尖の指が白い肌に食い込む。最後を迎える為に尖は更に激しく突き続けた。
穂邑は甘美な責め苦に眉を寄せ、歯を食い縛って堪える。
「!!」
くっ と息を吐き、尖が行為の終わりを告げた。挿入した時と同じ様に、尖の物が乱暴に引き抜かれる。
穂邑は地面に座り込むと、そのまま椅子に身体を預けた。陶の冷たさが熱を帯びた身体に心地良い。
「お?」
乱れた着衣を整えていた尖が頓狂な声を上げた。
顔を上げると暗闇の中に小さな光が二つ、目に入った。その光が徐々に近付き姿を現す。
朝民が飼っているドーベルマンであった。この庭の番人でもある。
常に放し飼いにされていて、朝民にはとても懐いているが「迂闊に手を出すな」と釘を刺されていた。
特殊な訓練を受けていて「人を噛み殺す位、容易い事だ」とも聞かされていた。
その所為かこの庭を訪れる者は多くない。だから尖も言ったのだ「だいじょぶ」だと。
「こっちのペットも夜のお散歩か」
犬は尖には見向きもせずに通り過ぎると、椅子に縋りついたままの穂邑に近付いて来た。
くんくん、と情事の汗に濡れた身体を嗅ぎ回る。
「やっぱ解るんじゃない?同類の臭いがさ…ん?」
言葉の途中で尖が口を噤み、じっと犬に目をやる。
「…面白そうなショウが見れそうだぜ。ボクちゃん」
サングラスの奥の尖の瞳がきらりと輝いた。
「ホラ、尻上げてみ。さっきみたく」
尖は椅子に縋りついたままの穂邑の腹を爪先で突付いた。
犬が、うう…と尖に向かって唸り声を上げる。
「待ちなって、いい目見さしてやるから。早くしな、ボクちゃん。こっちは準備万端だぜ」
今度は軽くだが腹を蹴られて仕方なく、芝生の上に四つん這いになった。
犬の下腹部が目に入る。その一物は、屹立していた。
「何を?」
咄嗟に立ち上がろうとしたが、地面に突いた両手は尖の足に踏まれて動く事ができない。
犬が穂邑の後ろに回り、秘所に鼻を擦りつけてきた。冷たく湿った感触に、背筋に悪寒が走る。
と、犬が前足を背に置き、後足で立ち上がった。この態勢は…。
「嫌だ、尖さん。止め…」
犬の体が穂邑の臀部に押し付けられ、獣の欲望が入り込む。
尖の流し込んだ精で充分に潤っている秘所は、何者をもすんなりと受け容れてしまう。
例え犬のそれであっても。
穢らわしい行為から少しでも逃れようと見を捩るが、犬の力は思ったよりも強く、爪が背に食い込む。
獣の欲望にずるずると身体の内側から陵辱され、戦慄し、涙が零れる。
「や…助けて、尖さ…」
穂邑は涙に濡れ、苦痛に歪む顔を上げて懇願するが、尖は蔑みの笑みを浮かべて見下ろす。
「何でも食っちゃうんだあ、ボクちゃんは」
獣の行為と吐く息の臭いに虫唾が走る。この悪夢が早く醒めてくれる事を強く願った。
穂邑に圧し掛かった犬の動きが次第に速くなり、吐く息も一段と荒くなる。
「…まさか、そんな。…嫌っ!」
いよいよ獣の精が注ぎ込まれるかと思われた瞬間。
ぎゃん。突然鳴き声を上げて、犬が地面に横倒しになった。
穂邑が顔を上げると、手を踏みつけていた尖の片足が宙に上げられていた。
不意打ちを食らった犬はよろよろと立ちあがり、恨めしそうに尖を見上げたが、そのまま暗闇の中に走り去って行ってしまった。
「人間様に中出ししようなんざ、100万年早えんだよ」
地面に唾を吐き捨てながら尖が言う。
「さ、楽しいショウはこれでお開き。明日までに犬の臭い取っとけよ。じゃ、おやすみ、ボクちゃん」
尖は踵を返すと左手をひらひら振りながら、犬とは反対の暗闇に消えて行った。
その場に残された穂邑は暫く呆然と座り込んでいたが、正気を取戻すと余りの穢らわしさに嘔吐した。
庭の池で涙と口元の汚物を洗い流し、夜露に濡れたズボンに脚を通した。
再び邪な感情を抱いた犬が戻らないとも限らないので、身繕いを整えると足早に庭を去った。
朝民の部屋に戻ると、すぐさまバスルームに飛び込んだ。服を脱ぐと身体の傷を調べてみる。
幸い上半身は服を身に着けていたので、犬の爪痕も深くは残っていないようだ。
腰に付いた尖の指の痕も力の割にはさほど残ってはいない。
芝生に突いていた膝も、踏まれていた手も痛むが、2,3日の内には回復するだろう。
(大丈夫。これなら朝民に気取られる心配はない)
何度もボディシャンプーを海綿に取り、身体中隈なく丁寧に洗う。
シャワーの蛇口を目一杯開き、勢い良く出てきた湯を頭から浴びた。
尖との情事も、犬との穢らわしい行為も、全て跡形なく流してしまいたかった。
ふと庭で見た月を思い出した。
涙が頬を伝ったが、シャワーの滴と共に身体から滑り落ちていった。
3日後、朝民一行が帰宅した。伯芳は山ほどの荷物を抱えている。
「朝民ったら本ばかり読んでいたのよ。伯芳は話相手にならないし。だから私、朝民のカードで思いきりショッピングを楽しんじゃったわ」
土産の品を手に蓮峰が楽しそうに穂邑に耳打ちしてきた。
久しぶりに三人で夕食を摂り、蓮峰の土産話に耳を傾けた。
「冬はスキーができるのよ。次はキッドも一緒に、ね」
蓮峰が自宅に戻ると、朝民は穂邑を庭に誘った。
あの夜以来、庭には出ていない。尖も何事もなかったように過ごしていた。
「どうした、キッド。元気がないな」
朝民が穂邑の顎に手を添え、不安げな黒い瞳を覗き込む。
「きっとあなたと離れていた所為だよ、チャオ」
微かに笑みを浮かべて、朝民を見上げる。
「嬉しい事を言ってくれる…」
朝民の唇が穂邑の唇に重ねられた。
庭から逃げ出したい衝動に駆られたが、今は朝民の抱擁に身を任せるしかない。
その時、小走りで近付いてくる犬の姿が目に入った。
「来い、黒龍(ヘイロン)」
朝民は穂邑を離し愛犬を招いたが、当の犬は飼主には目もくれず、尻尾を振りながら傍の穂邑に体を摺り寄せて来た。
「これは驚いたな。どうやってこいつを手懐けたんだ、キッド?」
あの夜の悪夢が脳裏に甦る。穂邑はその場に凍りついたまま立ち竦んだ。
朝民の言葉も耳には入らない。
「飼主だけでなく、飼犬まで骨抜きにしちゃうなんて流石プロ…だね。ボクちゃん」
何処からか尖の嘲笑が聞こえたような気が、した。