Body and Soul
by まる


 隣で寝息を立てている穂邑の腕が沙門の肩に当たった。
 それで目が覚めたわけではない。とっくの昔に目は覚めていた。眠らないのか、眠れないのか、目を閉じ、まだうつろな部分で穂邑の寝息を聞いていた。
 遮光カーテンで遮られているものの、もう部屋はぼんやり明るいのが瞼を通してでもわかる。カーテンの隙間から朝日が差していて、それに照らされ穂邑の黒い髪がきらきらと光っていた。
 そんな1日の始まりを無視して決まったテンポで胸が上がり、そして息を吐く。少し開いた唇が時々動き、沙門の腕に柔らかな吐息がまとわりついた。おかしな程に穏やかな時間。その時間を刻むようにただ、穂邑は寝息を立てていた。

 ナリは柔いが芯は強い。
 しかしそんな穂邑も眠りに落ちてしまうと全くの無防備で、まるで小動物のように体を丸め、沙門の体に全てを任せている。たくましい腕に頭をもたげ、時々、ぐりぐりと眠りながらも頭の居場所を直してみたりする。
 そう、眠っている時間以外、穂邑はいついかなる時でも全てを誰かに預けることはない。
 体を重ねている時は誰だってそうだが、相手を好きであればあるほどに相手の全てを受け入れてその愛される喜びを感じようと努力する。限られた時間という現実がそうさせるのか、穂邑はその努力が人より多かった。ましてや彼はプロだ、行為に置いて些細なプロ意識もないわけではない。
 それは無防備とは全く違う。沙門の呼吸を計り、合わせる。そこに穂邑の意志がある。残された時間、沙門を受け止めたいと望む彼の意志だ。

 沙門は目を閉じたまま髪を掻き上げた。もう一般人で言う朝の筈だ。仁木から電話が入らないとも限らない。

 勿論そういう穂邑は嫌いではない。あっちが良いのはいいに決まっている。
 が、そうではなく。
 穂邑は沙門に対して、よくいる女のように必要以上に依存する事もなく、かといって気を引こうと心の寂しさを隠す強がりでもない。かと思えばまるで子供のように自分を求めることもある。
 うっすらと目を開けてみた。
 穂邑は目を閉じ、まるで子供のように眠っている。昨夜の痴態を演じたのと同一人物とは思えなかった。
 いや、彼が。
 彼が男娼で、この体を武器に世の中を渡っている「したたかな」男には全く見えなかった。
 こんな奴、昼間歩いていたらいくらでもすれ違う。隣に今頃の女を連れ、腕を組んで新宿や渋谷を歩いているだろう。多分、自分とすれ違っても目を合わせることも出来ないだろうし、極論、その女を連れ去って目の前で犯したとしても失禁して腰を抜かしておたおたするだけだ。
 しかし、自分の隣で眠っている穂邑は見た目は兎も角としてそういう種類の人間ではない。
 彼の過去は大体わかっている。本人の口から直接聞いた。しかし、武闘派上がりで血と拳で世を渡ってきた沙門には、穂邑が肉体的に浴びた行為は理解できてもその結果精神的にどこまでのダメージを受け、そしてどういう思いで今を生きているのかは計り知れないのが事実だ。
 人間なんて所詮は他人だ。
 少なくとも、穂邑が男娼になるまでどういう事をされたかの内容は大体の見当がつく。どこの世界も一緒だ、屈服させるには最大の痛みか最大の恥を与えればいい。彼は耐えられないほどの痛みも恥も与えられただろう。
 沙門にとって穂邑はそういう屈服させる側の虫けらのような存在だった筈だ。この青年に自分の組の組長があんなに入れあげているのかずっと皆目見当もつかなかったし、代わりはいくらでもいる、と思っていた筈だ。
 なのに。
「んん…」
 穂邑が細く呻いた。
 そしてうっすらと目を開ける。
「…もう帰ったかと思っていました。」
 少しかすれた、寝起きの声。そしてなかなか開かない目をもう一度閉じて、その沙門の腕にそっと頬ずりした。
「…」
 何か言ってやろうと思うのだが沙門は言葉が出ない。
 そのうち数秒たてばどうでも良くなる。もう一度目を閉じた。
 窓の外からクラクションの音がかすかに聞こえた。
 穂邑の手がゆっくりと沙門の腰を這う。誘っているのではない。どうやらその骨格のしっかりとした腰のラインを本当に楽しんでいるらしい。
 目は閉じて、穏やかな顔をしているのに、指先は別のようだ。少しずつ動きが楽しみから誘いになる。無言。目を閉じて穂邑は指先だけで沙門を誘う。
 穂邑は時折こうして沙門を求める。
 沙門の手がその動きを止めた。穂邑の瞳がうっすらと開く。前髪が顔半分を隠して表情は読みとれない。
 しかし顔に浮かぶものなんて関係ない。穂邑の指先が全てを語っている。

 穂邑の腕が沙門の首に回る。そしてしっかりと抱きつき、唇を重ねた。
「ん…。」
 血が走る。酸素が体中を回る。そして穂邑の体温が伝わる。
 穂邑が狂おしく求める腕をぎっちりと力を込め、放さなかった。その腰ごと抱えるように引き上げてやる。穂邑が沙門のたくましい体に乗る。脚の間にすっぽりとはまるように場所をとるともう一度唇を重ねてくる。
「…盛んだな。」
 しかし穂邑は答えなかった。その代わりに強く抱きしめる。
 幸せそうに笑っている。こんな笑顔を振りまかれたら誰だって参るだろう。
「沙門さん。」
 声はすっかり起きていた。
「おはようございます。」
 何がだ。
 おう、と低く返事した。穂邑が胸に頬ずりした。
 そして身をずらすように布団の中にもぞもぞと入っていく。穂邑が沙門の重い脚を広げた。そしてそのうち、そこが濡れた感じで包まれた。
 舌と唇を巧みに使って穂邑が沙門に快感を与えていく。
 いつもこうだ。こうやって肉体も心も全てを沙門にぶつける事で穂邑は何かを訴えていた。
 しかし。
 近いうちに双竜頭に送り込むスパイのこいつに全てを預けられて、どうする。何が出来る。いったいどうなったらいい?今の二人には見えないゴールを探す余裕すらない。
 沙門は穂邑を引き剥がした。驚いて穂邑の動きは止まっている。
「クソッ。」
 そしてベッドに押し倒した。無理矢理脚を抱える。
「待って…、ダメだよ、待って…。」
「うるせえ。」
 低く拒否した。どうせつらいからそれなりの準備しろ、だ。そんなことはわかっている、ベッドサイドのテーブルから小瓶をとると中の液体を適当にとった。
「んあっ。」
 そして深々とねじり込む。
 昨夜していたから筋肉が痛むことはないはずだ。しかし、それでも沙門のものはきついだろう。
 穂邑が細かく息を吐く。ラッシュでも使えば楽なのだろうが彼の仕事柄、薬には頼れない。それに穂邑はどうしたら楽になるか知っている。
 眉根を寄せて苦悶の表情を浮かべながら角度を変え、何とか大きく息ついた。
「もう、大丈夫です。」
 まるでこれでは犯しているみたいだ。
 沙門はゆっくりと体を動かした。穂邑の声が苦しみではない、のどを絞めた高い声になる。何かに耐えるように唇をかみしめていた。沙門の腕をぎっとつかむ。
 沙門はその手を払うと動けないようにベッドに押しつけた。
「はああっ。」
 首を大きく横に振って穂邑が呻く。その瞬間ギュッと締め付けられた。
 そして穂邑は自分の体内で暴れるものに我慢している。
「沙門ッさん…あっああ…」
 それはきついから我慢ではない。彼は自分の快感を抑えられないのだ。
 穂邑の息と沙門の律動がシンクロする。
 
 溶ける。

 穂邑が以前一度そう言ったことがあった。
 身も心も一つに溶けてしまう。あなたとの行為はきついけれど癖になる。
 それが快感とか苦痛とか、言葉に出来るものでないのは沙門もわかっていた。
 マンションの七階とはいえ、世間が動いているのがわかった。カーテン越しの日差しが少しずつ暖かくなる。暑いのは穂邑を抱いているからか、それともただの物理現象なのか。
 違うな。
 大きく突き上げた。穂邑がかすれた声で叫んだ。
 人はこういう感情を「愛情」と呼びたがる。しかし沙門には感情に与えられる名称などどうでも良い。穂邑が首を振りながらも濡れた目でじっと自分を見上げる。自分の名を呼ぶ。
 熱かった。
 初めて人に銃口を向けた時でさえ、こんな興奮はなかった。
「も、ダメ…」
 穂邑の指が沙門の腕をギュッとつかむ。女とは違う握力。
 お互いの息が荒くなる。暴力的に突き上げる。声が高くなり、穂邑が歯を食いしばる。
 そして叩きつけるように沙門は穂邑の体内に吐き出した。
 と同時にぎゅう、とそこが締め付けられた。腕を掴む指先に力が入る。と同時に穂邑の切ない声が聞こえた。
 そして空気が緩む。
 見下ろすと穂邑は泣いていた。その黒い瞳から涙が一筋流れていた。そして腹から胸にかけて自分のもので汚れていた。
 空調が低く唸る。
 沙門は黙って穂邑の目尻を親指で拭う。太くて無骨な指がなめらかな肌を優しく滑った。
「沙門さん。」
 青年は何を感じて泣いたのだろうか。
 そしてまだ入ったまま優しく抱きしめてやる。穂邑が腕を伸ばし、そして広い肩を抱いた。

 どのくらいそうしていただろう。言葉はなかった。ただ、肌のぬくもりや湿りを感じていた。青年がいとおしそうに沙門の肩を抱いていた。こうしたいのだろう、そうさせてやる。
「すみません。」
 穂邑が恥ずかしそうに笑った。
「別に謝ることじゃねえ。」
「なんだか…泣けてしまって。」
 そして穂邑の方からゆっくりと体を離す。朝の空気が二人の間に入ってきた。
 そしてそれと同時に沙門の携帯が鳴った。

 仁木からだった。後20分ほどでそっちに行くから。
 穂邑がその電話を背中で聞いている。沙門は面倒くさくて適当な返事を繰り返し電話を切った。そして振り向くと彼はもういつもの顔に戻っていた。まったく抜け目がない。
「タオル、出しておきます。シャワー浴びてください。」
 黙ってベッドから出て頭をかきながらシャワールームに向かった。コックをひねって熱いシャワーを頭から浴びる。
 しばらくすると背中の扉の向こうでごそごそと音がした。事の後、自分が見えないところでいろいろと彼はしなければいけないことがある。
 そして出るときれいに畳まれたタオルが置いてあった。
 タオルはうっすらといい香りがした。彼らしい心配りだ。そしてそれを腰に巻いてベッドルームに戻ると穂邑はタオル地のバスローブに身を包んで沙門のスーツにブラシを当てていた。
「一度家に帰るからそんな事しなくてもいい。それよりあんたもシャワー浴びろ。」
 穂邑は素直にはい、と頷いた。その素直さに少々あっけなさを感じたが穂邑が出ていく彼を見送りたくない気持ちまでは沙門は気がつかない。
 そしてバスルームの扉が閉まる音が聞こえた。それを合図にベッドに腰掛けて煙草を一本銜え、火を付けて。
 部屋は静かだった。ただかすかなシャワーの水音と救急車のサイレンが聞こえるだけだ。
 そして灰皿に煙草をもみ消し立ち上がる。

 穂邑がシャワーを終えて出たのだろう、シャワーの音が止まる。その時沙門はもうベルトを止め終わったところで、穂邑がさっきかけてくれたスーツのハンガーを外して袖を通した。仁木が来る時間まで後5分ある。しかし穂邑がベッドルームに戻らないうちに黙って部屋を出た。玄関で靴を履いている背中で脱衣場の様子をうかがう。
 そして玄関のドアに手をかけた。
 振り向こう、と思ったが止めた。どうせ後ろには誰もいない。
 沙門はゆっくりとドアを開けた。もう動き出した町の空気が彼を迎える。

 誰もいないベッドルーム。ほのかに残るぬくもり。
 そして灰皿に残された煙草の吸い殻。
 穂邑はベッドに座ってそっと手を当ててみる。
「沙門さん…。」
 そしてそっとベッドに横たわった。沙門がいた場所に自分の身を横たえ、そっと目を閉じる。

 いなくなった人の残り香が穂邑を包んだ。

 

……懐かしいですね。僕がマンションで沙門さんを待っていた頃。あの人がこんな風に思ってくれていたのなら、凄く嬉しいけど…でも駄目だろうな。あの人の中では僕はチッポケだ。
ああ、それと僕は、沙門さんを見送らなかった事は無いです。去る姿でも何でも、沙門さんの姿は見ていたいから……
………乙女心だねえ、穂邑。
僕に乙女心ですか? うふふ…。
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