ある日の午後の事である。
鹿野組のbQである仁木和尋はあるマンションの前に来ていた。
東大出のせいか、又は性格のせいか、眼鏡をかけてスーツをきっちりと着込んでいる彼は誰が見てもエリートサラリーマンにしか見えなかった。
その仁木が車から降りるとマンションを見上げ、小さな溜め息をつく。
普段は沈着冷静な男が内心悩んでいたのだ。
このマンションの一室を訪ねる事を。
「連絡ぐらい寄越せ」
小さく毒吐くが、大きな声で直接言ったところでその当人には何の効果もない事を仁木は知っている。
いや、熟知させられた、といっても過言ではない。
有事の際には本当に感心するほど頼りになる男なのだが、平時の際は全く動こうとはしない。
恐れず、怯まず、退かず。今時なかなかいない・・・ひょっとすると絶滅危惧種に指定されてもいいほどの「漢」であった。
沙門天武。鹿野組3代目組長の事である。
その沙門の自他共に認める右腕が仁木なのだが、同時に組内での身の回りの世話や手綱取りまでこなすのは他に適任者がいないせいでもあった。最も本気で沙門が動き出したら誰も止められないのは周知の事実である。
今日も昨夜から愛人宅にしけ込んで、一向に連絡のない沙門を仁木は迎えに来たのであるが・・・。
「その愛人君も曲者なんだよな・・・」
仁木の額にはかすかだが脂汗が滲んでいた。
穂邑霧人。新宿にホストクラブ兼バー「キッド」を経営する沙門の愛人。
仁木は穏やかで物腰が柔らかく、頭もいい穂邑を嫌いではない。
ましてや本当に命を懸けて沙門のために働いた彼に好意を抱いている。立場は違うが同じ男に「惚れた」者同士の共感とでも言おうか。
だがしかしである。
天使のような笑顔を浮かべて、突如悪魔メフィストフェレスに豹変する事があるのを仁木は知っていた。
一筋縄ではいかない二人が揃っている部屋に行っていいものかどうか、仁木は本気で悩んでいた。
しかし、沙門の携帯は電源が切られている。穂邑の部屋の電話もなぜか誰も出ようとしない。
大方、一ヶ月ほど逢えずに溜まっていた欲望を解消するのを誰にも邪魔させないように沙門が仕組んだ事だろう・・・いや、案外穂邑が率先してやった事かもしれない。
そこまで考えて仁木は具体的な画像まで想像してしまい、一人赤面する。
仁木は沙門の行動の中でどうしてもこれだけは慣れなかった。
「あー、くそ。ここで悩んでも仕方がない」
仁木は腹を括り、マンションの中に入って行った。
インターホンを押すと思ったよりも早く返事が帰ってきて逆に仁木は驚いた。
『え?仁木さん?どうしたんですか?』
穂邑の不思議がる声は演技ではないようだ。
「携帯はおろか、バーテン君の電話まで繋がらなかったんだが?」
事実を簡単に告げるとバタバタと音がして、次に目の前の扉が開く。
「すみません」
穂邑の格好はいかにも風呂上り、という物だった。黒い髪は濡れており、白い肌はほんのりと赤く染まっている。昨夜の名残か、細い首筋に朱の跡を見つけてしまい、仁木は慌てて視線を逸らした。
「ちょっとトラブルがあって電話使えないんです」
申し訳なさそうに謝る穂邑を直視しないように仁木は部屋の奥を指差して「いるか?」と聞く。
「あの・・・寝室です」
頬を薄っすら染めて、俯き加減で穂邑は言った。
まだ寝てるのか、もう昼過ぎだぞ。
仁木は内心そう思いつつも口には出さない。あの無頓着が服を着ているような奴に一般常識はない。断じてない。
普段なら他人様の寝室に入るなどと野暮な真似をする仁木ではないが、今回は急用だった。電話さえ使えればこんな手間は懸からずに済むのだったが、故障では仕方が無い。
「済まんが急用でな」
一応、部屋の主に断りを入れてから仁木は寝室に足を踏み入れた。
ベッドに横たわっている巨漢を認めると仁木は深い溜め息を吐く。白いシーツの上に四肢を投げ出して仰向けに寝ている姿ははっきり言って獣のようだった。
そんなに小さくはないベッドも沙門の巨体を乗せては小さく見えてしまう。
この時間帯でなお、いびきをかいて寝ているのはどういう神経をしているのだろうと仁木は眉間を押さえつつ思ったが、すぐにこの獣にまともな神経を求める方が間違いだったと思い直す。
もしこの男にまともな神経回路が存在するならば、恐竜の絶滅の原因は神経衰弱だと言われても仁木は信じるだろう。
「おい、沙門さん」
声をかけるが、案の定起きる気配はない。
これが刺客だとすると入り口に一歩踏み入れる前に完璧な臨戦態勢になるのだから不思議だ。
穂邑や仁木は沙門の寝顔を間近で拝める稀有な存在だという事だ。この野生の証明みたいな男の信頼を得ている証拠である。それは仁木も承知していた。
普段ならばらしくもない満足を覚えるところだが、このような場合では却って苛ついてしまう。
「起きろよ、話があるんだ」
仁木はがっしりした沙門の肩に手をかけて揺さぶってみる。
「ん、んー」
小さく呻くと沙門は太い手を挙げて安眠の邪魔をする仁木の手を払いのけた。その腕に力がこもってないところをみると、穂邑と間違えているのかもしれない。
いい加減、仁木も苛立ってくる。
「起きろよ、話があるんだ!!」
今度は両肩に手をかけて激しく揺さぶった。これで起きなければ蹴りのひとつでも入れてやろうと思ったその時だった。
仁木の体が強い力に為す術も無く翻弄されて、視界がぐるりと回転した。背中がスプリングの利いたベッドに押さえつけられる。
何時の間にか視線の真正面には見慣れない天井が映っていた。そして、自分の両手を押さえているのはぶ厚くて大きい手。視線を落とすと小さな山のように隆起した肩がある。更に視線を右真横に滑らせるとそこには半分に千切られた耳がある。
その奇妙な耳を持つ人間は・・・。
いつも状況把握の早い仁木の割には随分とのんびりした思考であったが、無理も無い。さすがに自分が「沙門に押し倒されている」という好ましくない状態にある事をすぐには認めたくなかったのだ。
「おい・・・・重い・・・・」
やっと仁木の口から出たのはこの言葉だった。混乱ぶりを表に出さないのは果たしてこの場合良かったのか悪かったのか・・・。
しかし本当に重かった。
だいたい2mの巨体である。加えて実戦で鍛え抜かれた筋肉の鎧が軽いわけがない。
こいつはマジでいい体してるんだなぁ、などと場違いな感想を仁木は抱いた。自分も肥満とは縁がないが、この体に比べればどうしても見劣りするのは仕方が無い。
とにかく寝ぼけているのは覆い被さったまま動かないのを見れば分かった。
ストレートな仁木は男に押し倒されるのを甘受しない。ましてや相手があの沙門である。冗談じゃない。
よっこらしょ、と掛け声を上げたくなるのを我慢して仁木は沙門の下から脱け出そうとした。
と、今度は丸太のような腕に仁木はいきなり抱きすくめられてしまった。
先程よりも更に体は密着してしまい、状況は悪化した。
「いい加減にっ・・・!」
しろ、と続くはずの言葉が寸前で遮られた。沙門の唇によって、である。
一瞬、仁木の思考も行動も凍りつく。だがそれは一瞬の事であり、次の行動は迅速かつ熾烈な物であった。
「このっ、大馬鹿野郎!!」
顔を背けて唇を振り払い、耳元に肺が空っぽになれとばかりの大音量で仁木は怒鳴りつけた。続けて勢いをつけて体を捩り、なんとか上半身を沙門から脱出させると右肘を後頭部に落とす。
枕に沙門を沈めると、仁木はベッドから降りようとした。
が、すぐさま後ろから大きな手が仁木の顎を絡めとる。仰け反る様にして再び仁木はシーツに押し付けられてしまった。
「ん、だぁ? 機嫌悪いじゃねえか、ぼうや」
この後に及んで沙門はまだ仁木を穂邑と勘違いしていた。大した奴なのかどうか仁木には判断がつきかねる。
「昨日はやめるな、もっと、あと一回って縋り付いたのはぼうやじゃねえか」
そうかそうか、だから俺はバーテン君じゃない。
仁木の理性は臨界点スレスレであった。それにも関わらず、沙門は手早く仁木の体をまた自分の体の下に組み敷いていく。
「満足しなかった、とは言わせねぇぞ。ヨガリ狂って気絶したのは誰だ?」
つまり昨夜はかなりお楽しみに耽ったんだな、だからそれは俺じゃないんだよ!
怒りのあまり声が出ないというのは今の状態を指して言うのだろう。仁木はその間も必死でこのはた迷惑な恐竜から逃れようともがいていた。
「あんだよ、なんならもう一戦するかぁ?」
するか?と問い掛けている割にはすでに、沙門の手は仁木の下半身に伸びている。
ついに仁木の理性はぶち切れた。
「だから、違うんだっ!いい加減、目を覚ませよっ!!」
沙門のごつい顔を両手で挟み、乱暴に自分の方を向かせる。真正面から睨み付けていると、ようやく沙門の目に覚醒の色が浮かんできた。本当に恐竜なみの鈍さである。
「・・・・なんでぇ、仁木じゃねえか。ぼうやはどうした?」
第一声がそれ、か? 仁木は本気で目の前の男の頭を切り開いてやりたい衝動に駆られた。たとえ人間並の脳みそが詰まって無くても驚かないだろう、と思う。
「いい加減、降りろ、よ。重い、んだよ、筋肉、ダルマ、が」
仁木の息はかなり上がっていた。沙門にとってはいつものじゃれ合いに過ぎないのだが、仁木にとってはかなりの運動になっていたのだ。
「・・・・ふーん・・・」
まじまじと仁木を至近距離から見下ろして、沙門は何か感心したように呟く。
いや、本気で感心していたのだ。
いつも人を見下したようなエリート然とした仁木が今は随分と違って見えていた。
トレードマークとも言える銀縁眼鏡が鼻の方にずり落ちて、愛嬌がなくもない。整髪料でセットした髪は乱れて前髪が額に落ちている。隙間無く着込んだスーツは崩れて、ネクタイが曲がっていた。
ゼイゼイと体全体で呼吸している仁木の様を見ていると妙な気分になってくのを沙門は意識していた。
これはこれは・・・意外だな。
脱いでないにも関わらず、下手な裸よりも断然いい。
最近、穂邑とのセックスで一回目は確実に着衣のままで行うのはそのせいなのかもしれない。
そんなどうでもいい事を考えてしまい、沙門はおもしろそうに目を細める。
日頃乱れる事のない物が乱れるとこんなにも心が躍るものか・・・。
その様子に仁木は得体の知れない悪寒が走る。まるで肉食獣に品定めされているような錯覚に陥ったのだ。
「おもしれぇ」
にやり、と沙門の唇が歪んだ。獲物を捕らえた獣さながらの嗜虐性に富んだ笑みだった。
「う・・・」
仁木の本能が危険信号を発する。無意識のうちに生唾を飲み込み、全身の毛がざわり、と毛羽立つ。これは、やばい。絶対に、やばいっ!
何が「やばい」のか、仁木は考えたくなかった。この状況下から考え出されるのはひとつなのだが、いくら何でもそれは仁木の想像力の範疇を超えている。
しかし、悲しいかな人間というのは本能に忠実だった。知らず知らずの内に仁木は脅えたような表情を浮かべ、体を竦ませる。
滅多に崩れない仁木のポーカーフェイスが目の前で怯む様は沙門の湧き上がった嗜虐心を更に増長させる。
「よし」
短くそう呟くと、沙門は本格的に体を動かした。そう、仁木を押さえるために。
「なに、考えてるんだ! 馬鹿な真似はよせ!!」
仁木は心の底からそう叫んだ。
「何って、犯る、に決まってんだろ?」
沙門は当然のように返してきた。その間も仁木のネクタイを器用に緩めて外してしまう。こういう時になると何故かあのぶっとい指は繊細な動きをするのだ。力任せにワイシャツの前を開いたため、ボタンが弾け飛ぶ。
「じょうっだんっ・・痛っ!」
露わになった仁木の首筋に沙門はいきなり噛み付いた。甘噛みなどと言う可愛いものではない。狼などが上下関係をはっきりさせるために行う強烈な噛み付きだった。
「ぐっ・・・!」
あまりの痛みに一瞬、仁木は全ての抵抗を止める。それくらい沙門は本気で歯を立てていた。
仁木がおとなしくなったその隙に沙門は仁木の体を裏返しにし、先程解いたネクタイで両手を後ろ手に縛り上げた。
「おい、沙門さん!」
怒りよりも狼狽と不安と恐怖が混じった声だ。
「仁木よ、お前もそんな声出せるんだな・・・」
日頃から自分に対して強気な発言をする仁木だけあって、この声はなかなか新鮮な響きだ。沙門は更に仁木の腰に手をかけてスラックスの攻略に取り掛かる。
ベルトを抜いて、ジッパーを下げる。その間も仁木は必死に体を動かして抵抗するが、両手が塞がれた上に足の間に沙門に入られているので、なかなかうまくいかなかった。
「往生際の悪い奴だな」
「良くてたまるかっ!」
沙門はそのまま下着ごとスラックスを膝まで下げた。
丁度尻を沙門に突き出すような最悪の姿勢をしている事に気がついた仁木は血の気が引く。転がって再び態勢を立て直そうと足掻くが、その動きは沙門に読まれていて仰向けになったと同時にスラックスは足首から抜き取られる。
しかし仁木は自由になった右足を振り上げて、沙門の顔面に蹴りを繰り出した。
「おっと」
沙門は余裕の笑みで難なく右足首を捕らえる。そのまま肩に乗せると、まじまじと仁木を見つめた。
「いい格好だなぁ、おい」
足を大きく開いて股間をさらけ出す自分の姿に仁木は気がついた。完全に沙門のペースだった。
だいたい「この手」のやり方は年季が入っている。仁木が敵う相手ではない。
「やめろよ、沙門さん」
「さっきからそればかりだな。いつもみたくお得意の御託はないのか?」
沙門はおもむろにベッドサイドからローションを掴むと、中身を指に絡める。
「お、おいっ、本気で、」
「この態勢で今更本気もくそもあるかっ?」
沙門は仁木の後ろをまさぐって、たっぷりと液体を塗りつける。
「わっ、やめろ、やめてくれっ!」
仁木は涙ぐんで叫んだ。
「あ、あの〜・・・沙門さん?」
背後から遠慮がちに声がした。二人が視線を向けると、そこにはトレイに2客のコーヒーカップを載せたまま硬直している穂邑が立っていた。
穂邑は目の前の光景に戸惑っていた。
キッチンにも二人の言い争う声は聞こえていたのだが、「この状態」とまでは想像しなかったのだ。
ただ沙門が寝ぼけてるか何かで仁木が苦戦している、としか考えていなかった。
それが・・・。
「沙門さん、仁木さんが好きなんですか?」
仁木は穂邑のこの問いに眩暈を感じた。この状態からどうすれば「好き」なんて可愛い表現が出るというのか? 紛れも無い「レイプ」「強姦」「無理強い」だろうが!!
穂邑のくりっとした大きな瞳が不安に揺れている。
この際、仁木の心中よりも沙門の心中の方が穂邑には何倍も何十倍も大切だった。
「あん? 何を言ってんだ?」
「いつから? いつからなの、沙門さん」
だから、論点が違うんだ、バーテン君。いくらなんでも愛人宅でしかもその愛人のいる時にこんな馬鹿な真似する奴がいるか? 「いつから」も何もないだろうがっ!
仁木は本気で呆れていた。とにかくこの態勢を何とかしたかった。
「ぼうや」
「もう、僕の事いらないの? 飽きちゃったの?」
穂邑の「泣き落とし攻撃」が始まった。
「頼む、痴話喧嘩するなら、俺を助けてからにしてくれ」
もう我慢できないとばかりに仁木が言った。とりあえずは危機は去った・・・と思った。
「・・・ぼうやも仲間に入るか?」
仁木の安堵は沙門のこの一言に打ち砕かれた。
何だと? 何と言ったんだ、この阿呆は?
「俺はいま、仁木を犯りてぇ。ぼうやも加わるんだったら来い」
もはや仁木は声も出せなかった。
「・・・・いいの?」
加えて、穂邑のこの返事は仁木の理解を超えていた。
「おう。うまく犯れたらその後ご褒美をやる」
「うん」
穂邑が天使から悪魔に変わった瞬間であった。
「ふ・・・・ん、っん」
唯一の助けとなるはずの穂邑が今や仁木を追い詰めていた。
いきなり沙門に貫かれるような事態は避けられたが、ただ先に伸びただけの話だ。
男を受け入れた事のない仁木にいきなり押し入るのは止め、まず慣らすように穂邑が仁木を愛撫し始めた。
沙門はローションを塗った指をまず一本後ろに入れて、ことさらゆっくりと出し入れしている。その目の前で穂邑が丹念に仁木の股間を舌で絡めとり、奉仕していた。
いつもならばこんな悠長な時間をかける様な沙門ではないが、仁木が追い詰められ、徐々に乱れていく様を見るのもおもしろかったし、穂邑が奉仕している姿を客観的に見るのも良かった。ただ、相手が仁木だから許される事なのだが。
「も、いい、かげん、やめ」
途切れ途切れの息の合間から仁木は本日何度目かの言葉を吐く。それを聞くと沙門は指を2本に増やした。途端に仁木の体がぴくんと跳ねる。
「まだ、余裕あるとはさすがだな。こっちはもう根を上げてるのになぁ」
そう言うとわざと音を立てるかのように沙門は大きく指を動かした。
「うわっ、あぁ、あ、」
そろそろ限界に近づいてきたので穂邑は沙門を見上げる。それを合図に沙門は指を引き抜いて両足を脇に抱えて自分の欲望を仁木の後ろにあてがった。
穂邑は仁木の顔を覗き込み、わずかに引っかかっていた眼鏡を取り外す。
「これ、壊れるといけませんから預かっておきますね」
何か言い返してやりたかったが、すぐに熱く硬いものが体を侵食してくる感覚にすべての神経を奪われた。
「い、いやっだぁ!あっ、あっ、」
仁木は自分の身に起きている事を信じたくはなかった。目を閉じ、歯を食いしばって尚も逃れようとしていた。男を受け入れる事など一度も無かったし、これからも無かったはずである。
「ひっ、う、」
ずるり、と容赦なく侵入してくる塊は想像以上に熱い。どうしてこんなものが受け入れられるのか仁木には理解できなかった。
受け入れているその部分からの熱と痛みで正気を保つ事すらも困難だった。
「やっぱり辛そうだね」
仁木の様子を見て、穂邑は呟いた。受け入れるのに慣れている自分でさえ、時間をかけなければ悲惨な事になる沙門との行為は初心者には拷問に等しいのだろう。
と、いうより沙門が手加減しないのがいけないんだが・・・。
「ふん、それでもしっかり締め付けてきやがる」
沙門の言葉は辛うじて残っていた仁木の理性を刺激する。本当はこのまま気絶するなり、錯乱するなり出来るならばその方が仁木にとっては幸せだった。
しかし、日頃から取り乱すまいとしている仁木は簡単に正体を失うような精神構造をしていないのだ。
それが仁木にとって悲劇だった。
こういうタイプはまず言葉で嬲られる。
「きついぞ、何とかしねぇと裂いちまうぞ」
言葉と表情が合っていない。沙門の笑いはむしろそれを望んでるとしか思えなかった。
「仁木さん」
穂邑の呼びかけに仁木は目を開ける。息が荒いため言葉は出てこない。
「力、抜こうよ」
細い人差し指でかみ締めた仁木の唇をなぞって、穂邑は促すように言った。その艶を含んだ物言いに一瞬従いそうになったが、すでに沙門のものを半分以上受け入れていてはそうそううまくはいかない。
仁木は首を横に振る事で意思表示をする。目には無意識のうちに涙が溜まっていた。
穂邑はその目元を優しく舐めると、呼吸に合わせて上下する仁木の胸を手で探る。ボタンの取れたワイシャツを除けて、その手は小さな突起にたどり着く。
軽く小突くと仁木の体がしなった。
「う、わっ」
どこもかしこも敏感になっているようで、小さな刺激も逃さずに反応する。
穂邑は体をずらして胸の突起を口で含んだ。それから手は再び仁木の股間へ絡みつく。
「あ、やめ、いや、だっ」
痛みと恐怖で治まっていた衝動が仁木の体の中で再燃する。それに合わせて沙門を拒んでいた最奥の部分が蠢き始めた。
沙門は面倒とばかりに一気に貫いた。
「あ、っああああーーー!!」
思わず悲鳴を仁木が上げたが、沙門は構わずに動き出す。深く浅く突かれる度に仁木の体は痙攣にも似た反応を示すが沙門は全て無視して自分の欲求を優先した。
意地悪でやっているのではなく、これが沙門のやり方だった。
「てめえは、こっちの口もうまいな」
この沙門のストレートな感想は仁木の耳に届かない。今度こそ断続的に襲ってくる痛みと快感にすべての神経が集中していたのだ。
「は、はぁ、あっ」
悲鳴とも嬌声ともとれる声を上げて仁木は体を捩る。
沙門が一度大きく身を引いて一気に最奥まで突き上げると、とうとう仁木は屈服した。
「ふ、ぁあああああーーーーー!!」
沙門の精を体内に感じた時に仁木も穂邑の手の中で放っていた。
しばらく時間が経過して、仁木は重いまぶたをゆっくり開ける。
体がまるで自分の物ではないような錯覚を感じ、すぐには身動きひとつできなかった。
だいたい沙門である。
一回だけで満足するような奴ではなかった。その後も散々好き勝手に嬲りまくった。ようやく沙門の欲望が満足した時には仁木は完全に気絶していた。
のろのろと覚醒していく中で、仁木は今の状態をひとつずつ消化していく。
そうか、そうか、あの変態恐竜に好きにされちまったわけか・・・・。
ベッドに横たわったまま、仁木はそう思った。その思考はどこか自暴自棄ともとれるものだった。
今度は、今度は弾2発じゃすませねぇぞ、銃はどこに仕舞ったかな。
などと本気で物騒な考えをしている時に声が聞こえた。
「沙門さん、本気だったでしょ」
共犯者の穂邑の声である。今は悪魔モードから天使モードに切り替わっていた。
二人はベッドを仁木に空け渡して、その横で休んでいた。
あの後こちらも事に及んだのだろうか。二人とも裸だった。穂邑は情事後の一服をしている沙門の膝の上に座ったままの状態で広い胸にもたれかかっていた。
「あん?」
「仁木さん抱いたの、冗談じゃないでしょ?」
その問いは妙に確信に近い韻を含んでいる。少し拗ねたような目で見上げてくる穂邑を沙門はおもしろそうに見返していた。
冗談じゃなきゃなんなんだ。
その会話を聞きながら仁木は内心毒づいた。口に出さなかったのはただ単に億劫だったからだ。
「だったらどうなんだ、ぼうや?」
否定とも肯定ともつかない沙門の返答に仁木は少し戸惑った。反対に穂邑は納得済みのような表情をして溜め息をひとつ吐く。現場目撃時の反応とは随分違う穂邑の態度だ。
「沙門さーん」
「んな情けねぇ声出すんじゃねぇよ、うっとうしい」
ぶっきらぼうに言うと沙門はベッドサイドに置いてある灰皿で煙草を揉み消す。
「たまたまあいつが妙な色気出すから、その気になったんだ」
おいおい、俺のせいなのか?
仁木のこめかみに青筋が浮かんだ。しかし、体は動いてくれない。もし体が動いたら、間違いなく沙門の後頭部に渾身の一撃を食らわせてやるところだ。
「あんな真似をしたら仁木さん沙門さんに愛想尽かして大阪に帰っちゃうよ?」
おお、帰ってやる。言われなくても帰ってやる。
仁木は頭の中で二人の会話に参加していた。しかしそんな仁木の心中を知ってか知らずか、沙門はあっさりその意見を否定する。
「帰らねぇよ」
その自信はどこから来るんだ、あんた。ここまでしておいて俺が怒っていないなんて馬鹿な事考えちゃいないだろうな。
少しずつ体力・気力共に復活してきた仁木は持ち前の冷静さを取り戻し始めた。
初めて会った時からだ。沙門はこの妙な、根拠のない自信で人を縛り付ける。
「仁木は俺と運命共同体だからな。俺と離れる時は俺が死んだ時か、あいつが死んだ時だけだ」
双龍頭とやり合う直前に出会ってから、相棒に決めた時から、そうなっている。
沙門は事も無げにそう言った。
確かに、仁木もそのつもりだった・・・・今、この時も。
落ち着いてしまうといつものように「元に戻っている」自分に仁木は呆れ返った。
怒ってはいるが、怒っているけれども、離れるつもりは無くなっている。
仁木は一気に脱力した。どうにも誤魔化せない。ここまで沙門のペースだとは完敗だ。
「僕は?」
お約束のように穂邑が聞く。
「知るか、離れたきゃ、離れろ」
予想はしていたが、実際に聞かれるとさすがの沙門も少し照れる。
「嫌だ」
「じゃ、離れるな」
こんなのん気な会話を隣りで聞かされて仁木は再度別の意味で脱力した。
おいおい、あんたら本当にやくざとその愛人か?今時そんな甘ったるい事を言う奴はマジでいないぞ。
怒りも忘れるくらい仁木は呆れ果てていた。
「ところで沙門さん。ご褒美って何?」
穂邑の素朴な疑問に沙門はしばし考え込むと、予想外の一言を吐き出した。
「・・・温泉にでも行くか?」
しばらくの沈黙・・・・。
「おい、嫌なら別に・・・おい、何泣いてんだ、ぼうや?」
穂邑の大きな瞳から大粒の涙が溢れていた。
「だって、だって、」
「行くのか、行かないのか?」
「行く。絶対、行く!」
「そうかそうか、それじゃ仁木が目を醒ましたら予定組ませるか」
「うん。うん」
仁木はうんざりしていた。
旅行の日程まで俺にやらせるつもりかい、あんたらは。
もはやどうにでもしろ、とばかりに自棄になっている仁木の耳に信じられない言葉が飛び込んだのはその時だった。
「ああ、ついでに仁木も同行させるか?」
「? またするの?」
「こいつはこいつでおもしろい」
「じょうっだんじゃないぞ!!」
思わず叫んだ仁木に沙門と穂邑が振り返る。
「ほー、まだまだ体力ありそうだな、おい」
沙門が再び意味深な発言をする。
「って、沙門さん、おい、まさかっ」
巨体がベッドに乗り上がり、スプリングが軋んだ。
「やめろ!この絶倫恐竜がっ!!もうごめんだ、俺は大阪に帰る!帰ってやる!!」
これは本気でそう叫んでいた。しかし沙門は涼しい顔で仁木の抵抗にならない抵抗を抑えつけながら鼻で笑った。
「へ、俺がそんな事許すと思うか?それにお前は俺のところで死ぬんだろうが」
「うるさいっ!誰が何と言おうが帰る!」
二人の言い争いを聞いていた穂邑はあくびを一つすると、そっと寝室を後にした。
旅行に何を着ていこうか、とか蔵馬には何て言おうか、とかすでに関心は「沙門との旅行」に向いていたのだ。
例えばこんな昼下がり。
仁木にとっては災難としかいいようのない昼下がりであった。
この後、仁木が大阪に帰ったという事実はない。沙門との関係が壊れるという事もなかった。
結局は「天上天下唯我独尊」「我田引水」「我が道を征く」の沙門に惚れた弱みとでもいうのだろうか。
沙門の言った通り「運命共同体」だからなのか。
それは神のみぞ知る・・・。
しかし、鹿野組のある構成員の証言によると沙門と穂邑の温泉旅行の前日にいずこかへ姿をくらましたそうである。