クロゥ・ムーン


Author YU―KO
The 2001.9.10 completion



 ここ何日かの亮は幸運の女神に見放された、いやそれどころではない、不運の死神に抱き込まれたような、 暗雲たるツイてない日々を送っていた。
 その雨雲を一掃しようと考えた亮は眠らない街、深夜の新宿をぶらつき適当に女をナンパして、 しけ込むつもりでいたのだった。
 昼間のような明るさと、雑多な人並みが途切れることなく自分の前を通り過ぎるのを、 目に映る程度に眺めていた亮は、歩道と車道を隔てる張り紙やらなんやらで薄汚れたガードレールに腰掛け、 タバコをふかしていた。
「ったく、憂さ晴らしもできねえのかよ」
 いつもなら探す事もなく寄ってくる数多の女たちが、今日に限って一人も食いついてこない。 ならばと亮は自分から声を掛けてみたのだが、やはり連戦連敗の無残な結果に終わってしまったのだった。
「やめ、やめ。飲みにでも行った方がマシだぜ」
 残り少なくなったタバコを足元に投げ捨て、ガードレールから反動をつけて一歩踏み出し、 その火を靴底でにじり消す。
 亮はその足で、行きつけの『J』というクラブへ向かった。そこへ行けば知り合いの10人や20人軽くいるはずである。 雑踏を歩きながら亮はやさぐれついでに愚痴を吐き捨てた。
「あーあ、俺様って世界中で超不幸間違い無しって感じだよなあ」
 自分で言っておきながら、尚更気分が悪くなり、辺り構わず喚き散らしたい気分に駆られる。 今、難癖をつけられたら迷わず買ってしまうであろう。
 雑多な人並みを縫うように進んでいくと、もう見慣れてしまった『club J』の殺風景な電飾看板が亮の視界に申し訳程度に映し出された。
 下に降りる階段の壁は、打ちっぱなしのコンクリートで、所々から錆びた鉄筋が顔を出し、洒落たポスターがベタベタと貼られている。 階段を下りていくと、腹の底に響くドンドンという音が扉の外からでも感じられた。
 どっしりとした重たい扉を開くと、心地よい大音量が亮を包み込む。黒と原色が交差するホールは熱気に包まれ、 クラブ特有の匂いが鼻をつく。賑やかな雰囲気は亮を少し浮上させた。
 亮は着いた早々、迷うことなくカウンターへ足を運び、顔なじみの従業員にコロナビールを注文した。 待つことなく出されたビンに手を伸ばし、飲み口に挿されたライムをこじ入れる。 一気に煽った冷たい薄黄色の液体が喉に心地良かった。
「相変わらず繁盛してんじゃん、オーナーは?お出掛け中?」
 このクラブの常連には話上手で聞き上手なオーナーと話をする為に来る客も珍しくない。 そんな亮もその中の1人で、この忌まわしい気分をオーナーと話す事で紛らわそうとここまで来たのだった。
「ああ、オーナーならだいぶ前に出掛けたよ。なんでもお偉いさん達と会議だとか言ってたなぁ」
 まただ。いい加減にして欲しい。亮はがっくりとうなだれると、手近かなスツール椅子に腰を下ろし酔狂した群集を 何の気なしに眺めていた。見知った人物がいたなら声を掛けようと、しばらくそのままでいたのだが、 その気配も一向に無い。亮はタバコを取り出して口に咥えたまま火も付けずに、ぐるぐる回るライトに光に意識を飛ばしていた。
 どれ位たっただろう、突然亮は何かに衝突されろくに反応する事も出来ず、その場に派手に倒されてしまった。
「いってぇー、なんだぁ?」
 倒れた拍子にしこたま打ち付けた尻を摩りながら起き上がった亮は、図体のでかい2人の男が自分を見下ろしているのに気が付いた。亮は立ち上がりざま2人連れの大男に噛み付いた。
「おい、おっさん達、人にぶつかったら謝るんだろ? それくらいガキだって知ってんぜ」
 亮の罵声に一向に動じる様子もなく、男たちはニヤニヤと笑うだけだった。その男達の態度が更に癪に障る。
「おいおい、耳聞こえてっかぁ、おっさんっ」
 言うや否や亮の拳が大男の鳩尾を捕えた。ぱんぱんに膨れた砂袋にパンチを当てたような衝撃が亮の拳を襲う。 その痛みに顔をしかめた亮の後頭部に鋭い衝撃が走り、目の奥に火花が飛び散ったかと思うと暗闇の中に吸い込まれる。
(なんか俺ってやっぱりついて…ない…)そんな見当違いな考えが亮の頭を掠めた。
 その状況を遠巻きに見守っていた客達から奇声が飛んだ。崩れ落ちていった亮は、後頭部に大男の手刀を食らったのだった。



 今日も『キッド』は多種な客層で混雑していた。
「店長ぉー、今日は亮くんいないのぉ?」
 露出度のみを追求した服装をした女がカウンターにしなだれ掛かかり、鼻に掛かった声で穂邑に聞いてきた。仕事がハネた後でここに来る為、かなり酔っているようであった。
「申し訳ありません。今日亮はお休みを頂いてるんですよ」
 穂邑はグラスを磨く手を休めずに、申し訳無さそうに微笑み返した。女性は穂邑の微笑を見て少し顔を赤らめると、残念ねぇ、まあいいわ、他の男と遊ぶから。と言ってホスト席の方へ戻っていった。
 酒のケースを入れ替えていた蔵馬が穂邑に近寄り耳打ちした。
「店長は亮に甘いですよ、ズル休みじゃないですか。他の従業員に示しがつかなくなる」
「そんなに目くじら立てるようなことじゃないよ。ちゃんと電話あったし」
 蔵馬の窘めるような小言に穂邑は苦笑交じりに答えた。本人にやる気がないのに店に出てきてもいい結果は生まれない。亮に甘い訳ではなく店のことを一番に考えているだけなのに。穂邑の心の中はそんな感じだった。そんな折、いつもの店の中の空気の流れが変わった。
 乱暴に店の入り口が開かれ、転がるように1人の男が血相を変えて駆け込んできた。
「キ、キッドっ! 大変だ、こ、これを!」
 人目も気にせず駆け込んで来た男が、バンッと大きな音を立ててカウンターへ派手に両手をついた。何か揉め事が起こったのかと周りの視線が集中する。
 穂邑は静かにグラスに水を注ぐと、その男に差し出した。
「これを飲んで少し落ち着いて下さい」
 穂邑の対応が揉め事とは無縁だと分かった客達は、また元の通りそれぞれの会話に戻っていった。再び店内が元の和んだ空気を取り戻していく。
 男はグラスを鷲掴みにすると一気にそれを飲み干した。その間に蔵場が穂邑に近寄り怪訝そうに「誰です?」と聞いた。
「『J』って言うクラブのオーナーだよ」
 穂邑は蔵馬にしか聞こえないように小声で囁いた。このオーナーは見知った人物ではあるが、普段は冷静沈着でこんなに慌てたところなど今ままで一度も見たことが無かった。穂邑の胸に理不尽に淀んだ言い知れない不安感が頭をもたげた。
 やっと落ち着きを取り戻したオーナーは「俺も長年ここで商売してるが、あんな危険な匂いをさせた連中は始めてだ」と言って、思い出したように身を震わせた。そのオーナーが話し始めた一部始終の話によるとこうだった。
 外出先から戻ったオーナーが店内に入ると店の雰囲気が騒然としていた。 何事かと思いその騒ぎの元であろう場所に赴いたオーナーが見たものは、驚く程でかい2人連れの男が亮の襟首を掴んで持ち上げている場面だった。 ぶら下げられたままだらりと両腕を下げた亮はピクリとも動かない。 そこでオーナーは亮を放すように男たちに言い放ったのだが、大して気にする風でもなくドスの効いた声で 「コイツは人質だ、キッドをここに呼べ、もちろん一人でだ」と言って紙切れを放ってきた。その後、何人かが亮を助けようと殴りかかっていったが、それをことごとく跳ね返し、悠然とその2人組みは亮を引き摺って店を出て行った。と、いうことだった。
「これがそいつらが投げてよこしたものです」
 穂邑はその紙切れを受け取り、くしゃくしゃになっていたのを丁寧に開いた。呼び出し先の地図。ご丁寧に住所まで書かれていた。
「店長まさか行くつもりですか? 警察に連絡した方が良いに決まってる」
 蔵馬は心底冗談じゃないと思った。わざわざ危険を発しているところへ単身乗り込むなんて狂気の沙汰だ。しかもその釣り餌が亮だときている。アイツは一体どこまで店長に迷惑をかければ気が済むというのだ。
 穂邑は不安な面持ちの蔵馬の気持ちは痛いほどよく分かったが、この脅迫の主が誰であるかは、おおよその見当はついていた。オーナーが血相を抱えてこの場に来た時から予感めいたものを感じていた。
『尖 都新』―― 最近『キッド』に入り浸るようになった中国人で、いつもカウンターに座り閉店まで粘る。そして何かにつけて穂邑を外へ誘い出したがっていた。金払いはすこぶるよく、他の客ともトラブルを起す訳でもなかったので無碍にも出来ないでいた。 なんとなく尖にその気があることを穂邑は感づいていたので丁重にはぐらかしていたのだが、尖の熱心さに負け何度か閉店後に食事に付き合ったこともあった。ところが、つい先日無理やり体を開かれそうになり、間一髪のところで尖を突き飛ばし事なきことを得た。 その時、尖はまさか穂邑が拒否するとは思ってもみなかったらしく、可愛さ余って憎さ百倍のごとく穂邑に対して冷たく睨みつけ、ボクを怒らせると後で後悔するよ? と、ゾッとする笑みを浮かべて脅し文句を吐いたのだった。もし、亮がさらわれたことが尖の恨み言の実行だとすると自分が行かない訳にはいかなかった。
「大丈夫、亮を放っておく訳にはいかないよ。それにちょっと心当たりもあるしね」
 穂邑は地図の書かれた紙切れをポケットに突っ込むと、まだ言い渋る蔵馬に後を頼み店を後にした。



 高級マンションの一室。ドア枠の上に通された鎖が亮をぶら下げ、己の重みで手首を締め付けていた。殴打の余波で鎖に圧迫された手首が赤く滲んでみみず腫れを作り、じわじわと弄ばれ無残に破けた衣服の隙間から、無数の小さな切り傷が顔を覗かせていた。殴られた顔は赤黒く腫れ唇の端から血が滴っている。
 尖は薄く笑うと亮の顎を力いっぱい握った。閃光が走るような痛みに亮が小さく唸った。
「商売道具なんでしょ? 君の顔。これじゃあしばらく使い物にならないよね。あぁ、ここから生きて帰れればの話か」
 尖の手に握られた折りたたみナイフが亮の頬をぺたぺたと叩く。その様子は、猫が食べる気の無い獲物を捕らえ気まぐれに玩具にして楽しんでいるかのようだった。
「けっ、代償は高くつくぜ」
 亮は口の周りの腫れが酷くて喋るたびに引き攣れる皮膚に顔をしかめた。2人連れの男に殴りかかったとこまでは記憶がはっきりしていたが、その後、突然視界が真っ暗になり気づくと見知らぬ場所でぶら下げられていたのだった。
 いきがってみても、ここが何処かも分からない場所に監禁され、少しづついたぶられるのは精神的にきついものがあった。唯一、亮が分かる事と言えば、目の前に居る男が見知った男という事だけだった。
 最近ちょくちょく店に顔を出し始めた客で、店長に対する接し方が妙に馴々しく、亮はひと目みるなり胡散臭いやつだと思っていた。その男が自分を拉致したのかと思うと腸が煮えくりかえる思いだった。
「やだなぁ、そんな情熱的な目で睨まれたらボクちゃん興奮しちゃうじゃないか」
 電気の冷たい光がナイフに反射する。尖は亮に良く見えるように刃先を舌でなぞりにやにやと笑った。
 イカれてやがる…。亮は冷や汗が背中を伝うのを感じた。そんな亮の心を読んだのか、徐々に近づいてきた尖は亮の頬にねっとりと舌を這わせた。血の味が尖の口の中に広がる。
「て、てめぇ! 気色悪ぃんだよっ、この変態野郎!!」
「くくっ、元気、元気。餌はこれくらい生きが良くなくっちゃね。釣りが楽しめない」
 餌? 俺が? 釣りってなんだよっ。顎に指を構え満足顔で頷く尖を、亮は朦朧と霞む目で見ながら次の男の出方を伺っていた。
「そろそろ…かな?」
 尖はわざとらしく腕時計に目をやり呟いた。亮が何事かを聞こうとしたときドアフォンがタイミングよく響いた。
 尖は意味ありげに微笑むと、亮に向かってウインクを投げかけた。なんだ!?
 亮は、何か、何かとても嫌な予感がした。ドアフォンの応対で部屋から出て行った尖の背中を見送った亮は、痛む体を叱咤して何とか鎖から逃れようとめちゃくちゃに暴れた。 がちゃがちゃと鎖がお互いを鳴らしあう音がするだけで一向に自由にしてくれそうも無い。少しもしないうちに尖が消えて行った廊下の方から、尖の声と切迫した確かに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「亮は? 亮は無事なんでしょうね、彼に何かあったら僕はあなたを許さない!」
「ちゃあんと生きてるよ? 可愛いね、彼。まっボクの好みじゃないけどさ」
 やっぱり…。尖の後ろから現れたのは、亮が聞き覚えのある声の主、穂邑本人だった。
 部屋に入るなり亮の姿を見とめた穂邑の瞳が驚愕に見開かれる。
「亮……!? 尖さん、これは一体なんのマネですか、こんな…酷い」
 穂邑は傷だらけの亮の姿に痛ましそうに目をやった後、毅然と尖に向き直り怒りの目を向けた。
「だあってさあ、ちゃんと言ったでしょ? ボクを怒らせるなって。それにちゃんと生かしてあげてるんだから感謝して欲しいなあ」
 拳を顎にあてて、くくっと尖は笑った。よくもぬけぬけと。亮は無性に腹が立った。目の前でにやついてる男と、のこのこと罠に嵌りにきた穂邑の間抜けさに。
「おい、店長。俺は助けてくれなんて言った覚えはねぇぞ、なんで来やがった!」
 これだけ痛めつけられてもまだ、虚勢を張っている青年を、極上に微笑んだ尖は鳩尾に膝をめり込ませた。
「ぐっぅぅ…」
 亮の胃は途端にのたうち嘔吐感に変わる。耐え切れずにせり上がる胃液を嘔吐した。
「餌の出番はもう終わり。勝手に喋っちゃダメだよ?」
「尖さん、僕はちゃんと来たんだ。亮に手荒な真似をするな!」
 恐ろしい事を茶目っ気たっぷりにしでかす尖。穂邑は尖の闇を垣間見て背筋が凍るのを感じた。このままだと利かん気の亮のことだ、いつ尖の逆鱗に触れてもおかしくない。穂邑はなんとか亮の解放を促そうと必死になった。
「亮にはもう用はないんでしょ? だったら直ぐにここから解放して下さい」
 穂邑は亮の痛めつけられる姿をこれ以上見たくは無かった。自分が原因で亮を酷い目に合わせている。 そう考えるとどんな謝罪の言葉も見つからなかった。だが、穂邑の必死の願いも空しく尖はやれやれと言った感じで両手を肩の近くで広げた。
「まだ、分かってくれてないみたいね。僕に命令なんて出来ないんだよ」
 尖の手が穂邑の腕を取り強く引いた。
「ぁっ…!」
 突然の行動にろくに反応も出来なかった穂邑は、尖の胸の中へ転がるように抱き寄せられ、驚きの呟きが短く口から洩れた。 動転した穂邑は抵抗する欠片を見せることなく、なすがままに胸の中へすっぽりと抱きすくめられてしまった。
 すかさず尖は穂邑の腰と顎を固定し身動きを封じると、喋りかけに唇を中開きした穂邑へ、吸い付くように己の唇を重ねた。
「ん…うぅ…っ」
 穂邑は強く舌を吸われて呻いた。絡まる尖の舌は熱く火照り執拗に穂邑の口腔を貪る。愛しさと激しさをぶつけるような攻撃的なキス。尖を突き放そうにもがっちりと押さえ込まれた腕は動かす事も叶わなかった。
 呼吸が苦しくなって新たな酸素を肺が要求しだした頃、ようやっと尖の唇が離れた。その口から信じられない言葉が飛び出した。
「今すぐここでキミを抱いてあげよう」
 穂邑の白いシャツの合わせに尖の指が掛けられ、一気にボタンが千切れ飛んだ。
「やっ…嫌です! 止めてください!!」
 人前で犯される嫌悪に穂邑は叫んだ。ここに来る以上は否めないと思っていた行為も、亮の目の前でなど羞恥の他の何者でもない。
「や…めろっ、この…クソ野郎っ…」
 意識を朦朧とさせながら亮が途切れ途切れに叫んだ。先ほど尖の言った『釣り』の意味をなんとなく把握し始めていた。自分は穂邑をおびき出すエサにされたのだ。自分の目の前で繰り広げられるであろう饗宴に虫唾が走る。 己が店長と呼ぶその人が犯される所など。いくら目を背けようと意味が無いにも等しいこの距離で。
「これから先、僕に逆らったらどうなるかキミにも、あっちの青年にも教えておかないとね」
 口元だけを吊り上げ笑った尖は瞳の奥に蒼白い炎を燃やしていた。単なる脅しでは無い事が容易に知れた。
 穂邑が大人しくなったのを見とめた尖は再び口付けてじっくりと味わった後、甘い匂いで昆虫を誘う彩花のような穂邑の喉元に幾つもの印を降らせていった。耳の中で舌が蠢く音が穂邑の体を震わせる。
「お、お願いだ、尖さん。何処か他の場所へ…あっ…」
 穂邑の言葉などまるで無視するように、尖は口の中へ胸の突起を含ませた。ドロップを転がし舐めるように責めいく。尖は愛しさのあまりその突起を噛み千切ってしまいたい欲求に駆られ衝動的に強く噛んだ。
「ッ…うぁ…ふぅ…ぅ」
 痛いはずの神経が快楽となって穂邑の脊髄を駆け昇る。その反応を助長するように、尖は穂邑の身に付けているものをするりと下着ごと引き下し、穂邑のものに指を絡めた。
「痛いのはお互い嫌でしょ?」
 勝ち誇った尖の声が、穂邑の嬌声と重なる。亮はその濡れ場を直視出来ずにぎゅうっと目を瞑った。目の前の2人が出す声と擦れるような音が、かえって耳に突き刺さる。それでも目を開ける事は出来なかった。
 望んで抱かれてるわけではないのに、よがる声をあげてしまう自分に嫌気がさす。穂邑は薄くなりかけた理性の狭間で己の痴態を見下ろした。次々に襲ってくる快楽の波がそれを飲み込んでいく。
「…ぁっ…もぅ…んん…やっ…ああぁ…」
 粘着性のある液体が迸る。尖はそれを指ですくうと己を埋め込む場所へ、わざと卑猥な音を立てながら丹念に塗りつけていく。冷めやらぬ名残に重ねられた刺激が、ぼうっとした穂邑の体の芯に痺れるような快感を送り込んでくる。 浅い息継ぎを繰り返し、ぴくぴくと反応する穂邑に尖は愉快そうにくくっと笑った。
「降参だなんていわせないよ、これから、これから」
 スラックスと下着を手早く引き下ろした尖は、着ていたシャツはそのままで、穂邑の腿を大胆に持ち上げた。
「あっやっ、ここじゃ嫌だ! お願…んぁああ」
 穂邑の悲痛な叫びが亮の耳に突き刺さる。これでもかと言うくらいきつく瞼を閉じた亮は、何も出来ないあまりの悔しさに、眼球の奥が熱く濡れるのを感じ、ぎりっと奥歯を鳴らした。
 尖は自分のものを穂邑の窪みに近づけると一気に刺し貫いた。いくら受け入れる事に馴れている体でも、早急な挿入の痛みに穂邑は頭の中が一瞬にして真っ白になる。
「痛っ…ぐ…ぅ」
 痛みに呻く穂邑を抱き起こした尖は、その腕の中にしっかりと抱きしめると、絡み付くように穂邑の口の中を弄び、挿入した部分の感触を動くことなく味わっていた。
穂邑の吐息が再び熱を持ち始めたのを見計らった尖は、穂邑を下からずんずんと突き上げた。
「んぁ、あっ…あぁぅ…ふっ…ぅん」
 嫌な…はずなのに…もぅ何も考えられない…。穂邑の瞳は濡れそぼり、穂邑そのものが艶を増す。
 そんな穂邑を見た尖は堪らない甘い毒の欲望に支配された。そうやって魅惑的に誘う、だから掻き乱される。心の中で自分に苦笑しながら、尖は穂邑を一層激しく揺り動かして自分の欲望を満たす為だけの抽送を繰り返した。
「そろそろ…イクぞ」
 尖は今まで以上に激しく穂邑を揺さぶると、溜め込んでいた熱を一気に放出するように穂邑の中へ叩き込んだ。熱い迸りが穂邑の中で奔流する。余韻を楽しむように2度、3度抽送をした尖のものがずるりと引き出された。堰き止めていたものと一緒に尖の欲望が外に流れ出す。
 ぐったりと横たわったままの穂邑に、尖の冷ややかな声が降りかかる。
「今日はこの辺で許してあげるよ。明日もここで待ってるから、来てちょーだい。もし、来なかったら…。分かってるよね?」
 穂邑はゆっくりと体を起すと力なく頷いた。逃れられない。
「はい、分かってます。亮を連れ帰ってもいいですね?」
 尖はとぼけた顔をしてどうぞ、と手振りした。穂邑の服従さえ得られればこの青年に用はない。
 穂邑はまだ痛む節々を何とか動かし衣服を身に着けると、まだ瞼をきつく閉じたままわなわなと体を震えさせる亮に近寄った。
「亮、僕のせいで御免よ。もうちょっと辛抱してね。この鎖外して帰ろう」
 満足そうに微笑む尖から鍵を受け取り、亮の戒めを外した穂邑は、自力で歩き出せない亮の腕を肩に担ぎ尖のいるマンションを後にした。



 大気の闇色が明かりを含んだ濃紺に変わりかけていた。もう1,2時間もすれば、出勤途中のサラリーマンなどでごった返すであろう公道も、この時間では生き物の息吹はさほど感じられない。
 穂邑と亮は歩く事もやっとで引き摺るように歩を進めていた。
「なんで…。来やがった…」
 傷が痛むのであろう、顔を顰めた亮が憎らしげに吐き捨てた。自分よりひ弱そうな穂邑の肩を借りているのも気に食わない。
「彼は、僕を手に入れたかったんだ。だから亮を使った。助けられたと亮が思うんだったらお門違いだよ。僕の方が謝らないといけないんだ」
「そんなこと言ってんじゃねぇよっ、俺様が枷になってるって事が許せねぇ!」
 亮は担がれた腕を振り解き穂邑を突き飛ばした。よろよろと2,3歩後ろによろけた穂邑はわざと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「キミが枷?自意識過剰だよ、彼は結構お金持ちだよ?今更パトロンが1人増えたくらいどうってことないし、何かの役に立ってくれるかも知れないだろ?」
 あながち全てが嘘でもないが、こうでも言わないと亮はいつまでも根に持つだろう。穂邑の胸にほんの少し棘が刺さる。
「はっ、くっだらねえ、アンタがそう言うんならそういう事にしておくぜ。こっから1人で帰れる。じゃあな」
 危なげに歩き出す、というより立っているのもやっとのような亮がのろのろとした動作で一歩一歩確認するように歩き出したが、直ぐにぐらりと傾ぐ。穂邑は慌てて駆け寄り、亮が倒れるのを腕で抱きとめた。
「やっぱり僕送っていくよ、一人じゃ無理だ」
 亮の腕を取り、倒れるのを防ぎながら穂邑は亮の顔を覗き込んだ。乾いて固まった血と青黒く腫れた顔が痛々しい。亮が意地っ張りなのは知っているが時と場合による。支えようと力を入れた穂邑の腕がにべも無く振りほどかれた。
「分かってねぇな、アンタの理屈なんてどうだっていいし、しばらくそのツラ見たかねぇんだよ。さっさとテメェも帰れバカ」
 穂邑は心の中で苦笑した。恐らく自分を気遣っての言葉なのだろう。亮は穂邑を一瞥すると踵を返した。
「亮! しばらく店には出れないだろう? 傷が治ってからでいいからね、連絡まってるよ」
 亮は後ろ向きに片手を上げるとおぼつかない足取りで遠ざかっていった。
 長々と重たい溜息をついた穂邑は熱いシャワーに打たれるべく帰路についた。


THE END

…………。(むっつり黙りこくっている)
あ、あの……。
るせぇ、今話しかけんな。マジで切れる。
(そんな事言われてもなぁ。一応進行役としちゃ、黙ってる訳にも行かないんだって。)
これ、フィクションですから。本当に有った事じゃない訳だしさ。ね、亮。そんなマジに取らないでさ。軽く…そのぉ。何だ。
もーいーって。俺帰るから。つーかてめーと話したくねー。人の事何だと思ってやがんだ。こんな物見せられて良い気分な訳ゃねぇだろう。これ持っててめぇもさっさと帰れ。
俺ぁ、テメーの目の前でダチ、ヤられるくれーなら、テメーがヤられた方がマシだっての。滅茶苦茶気分悪! じゃな。
………すんません。
謝って貰ってもしょーがねぇよ。帰れ。
………良い奴だよねぇ。お前って……。
  評価点(10点満点) A/T酷点:9亮怒点:10