□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 火曜日、早朝5時。キッチンから聞こえる物音で、唯夏は目を醒ました。
 跳ね起きてキッチンへ向かう。扉を開けると、今正にロモ・サルタトを口一杯に頬張った弟と目が合った。
 大きな口がばくんと閉まって、じっと目線を合わせたまま咀嚼にかかる。すっかりいつも通りの青年がそこに居た。
 昨夜の暗い表情とのギャップに呆れて、暫し眺めていると、冬馬が片手を上げる。今は、口の中が一杯でしゃべれないと言うジェスチャーらしいが、そんなものなど無くても充分だ。
 Tシャツとトレーニングパンツの出で立ちのまま洗面台に向かい、顔を洗って歯ブラシを口に突っ込む。そのまま戻ってくると、食卓で冬馬がおう、と声をかけた。
 〔Este plato est? delicioso.(コレ、美味いぞ)〕
 〔?Es para que? Era bueno.(そうか。良かったな)〕
 ロモ・サルタトは、つまりはヒレ牛肉と野菜の炒め物だ。ソースたっぷりの肉野菜炒めを、フレンチフライと和えたペルー料理で、ペルーの米の飯に掛けて食べる。パンでも合うが、冬馬が現在口に詰め込んでいるものは日本のササニシキである。
 唯夏が口をすすいでリビングのソファに座ると、青年がガス台を指差した。まだ、と呟いてから口ごもる。
 「まだ、少し有るぞ」
 「全部食って構わない。私は昨日、自分の分は食った」
 青年は頷いて食事を続ける。許可を得たからokとばかり、残りも凡て器によそって噛みしめる。旺盛な食欲に、見ているだけで少々疲れが来た。
 「夕麻」
 スプーンでスープをかき寄せながら、ハスキーな声が言う。目だけで追うと、灰色の瞳が吸い付いた。
 「榊は次、お前に声をかけてくるぞ」
 は、と唯夏が鼻で笑う。
 「私はお前とは違って簡単に股を開いたりはしないぞ」
 相当な皮肉のつもりで言ったのだが、青年は気にせず食事を続けている。軽く頷いて、おかげで昨日は飯が全く食えなかったなどと答えている。唯夏は呆れながらも、それでその食欲かと納得する。
 「お前がどう対応するかはお前次第だが、幾つか頼みがある。観察をして来てくれ」
 観察?その言葉に引っかかる。
 「一。指の長さ。中指が付け根から10cm以上あるかどうか。
 二。右の首の付け根。三つ並んだ黒子があるかどうか。
 三。アヤクチョと言うのがどう言う意味か聞いてくれ」
 指をゆっくりと突き出しながら、噛みしめるように言われる言葉に、唯夏は居住まいを正す。言葉をゆっくり反芻してから、ソファの上に身を乗り出した。
 「朝人。もう少し詳しく説明しろ。それはどう言う意図で言ってる?」
 凡て平らげた冬馬は、スプーンを置いた皿を流しに運び、周囲を軽くナプキンで拭う。一呼吸置いて向けられる眼は、いつもの暗い灰色だ。妙に納得した。
 「長沢啓輔の言葉……か?」
 コーヒーミルとドリッパーを引き寄せる。冷蔵庫から豆を出してミルの中に豆を落す。すっかり手馴れた一連の動作だった。視線でお前も飲むだろうと問われて、唯夏はソファを立った。テーブル席に座ってから頷く。
 「そうだ。あの言葉は俺達が聞いた物だが、伝わっていない限り、榊から出た言葉じゃない。俺達からでも無いとなれば、長沢啓輔の中から出た言葉なんだ。"良く知っている"。
 俺達は、殉徒総会に入るまで、全くあの男を知らなかったんだぞ? なのに何故部外者が知っている?」
 驚いた。
 唯夏は少なからず感心する。昨日は男とのSEXに明け暮れ、昨夜はあれ程不貞腐れていた癖に、なかなかどうして聞く物は聞き、見る物は見、しかもしっかり筋道を立てて考えている。
 こちらからの情報が漏れたのでなければ、確かにあの言葉は長沢独自の言葉なのだ。となれば、長沢が榊を知っていると言う事になり、それは不自然だ。
 「そうだな。喫茶店は総会と深い接触が有ったのか」
 「酒井 美也が以前ちらりと言っていた。"総会とモメて追い出しちゃった人がいます""SOMETHING CAFEと言う喫茶店のマスターです"……。
 接触は有っただろう。だが、それがいつの事なのか、俺は全く知らない。直には何も聞いていない。
 それに、榊は潜入して早くも十年が過ぎたと言っていた。これはつまり、例えば深い接触が有ったにしても、それがこの十年以内で無い限り、全くの無意味だと言う事だ。そこらのタイムスケジュールは、夕麻が上に調査を頼んでくれ。
 で、接触が無かったとなれば、最初に戻る。何故部外者が榊を知っているか。」
 その通りだ。夕麻が頷く。長沢啓輔が榊を知っているというのなら、彼と殉徒総会の接点は当然リサーチすべきだろう。それで接点があるならば不思議ではないが、無ければ。無ければ?
 「何故だ? お前はそれが分かるのか?」
 首を振る。分かりはしない。だが。灰色の目が真っ直ぐに見つめてくる。
 「もし、長沢啓輔が知っているのなら、それは本当に、あの榊 継久か?」
 唯夏が目を丸くする。暫し俯いて考え込み、ゆっくりとなるほどと呟いた。
 冬馬の考えは、すぐに唯夏にも伝わった。冬馬はこう言っているのだ。
 長沢啓輔が言う「良く知っている」は、本当に「あの榊 継久」の事なのか。「他の榊 継久」ではないのか。その「他の」と言うのが誰を指すのかは皆目見当がつかないが、同じ人間を「良く知っている」のが不自然なのであれば、他の可能性を当たる他手が無い。
 「…それで三つの条件か。指の長さと黒子と、アヤクチョ……。朝人、アヤクチョの意味を何と教えた」
 「死の山」
 アヤクチョとは、冬馬が初めにペルーで人間らしい生活を出来た土地、教会の有った土地の名で、意味は"死の谷"である。
 「……榊がスペイン語を知っていたら?」
 「少なくとも俺が接した榊は知らなかった。英語も怪しい。もっと他の言語だ。勉強熱心で辞書を引けば一発だが、そこは気にしても仕方が無い。
 夕麻、俺が知りたいのは二つだ。一、指の長さ、二、黒子。これは個体確認だ。三、アヤクチョ。これは連携の確認だ。もし個体が違って尚且つアヤクチョの意味が伝わっていたら、複数の榊は絶賛連係プレー中と言う事だ。
 上はお前に、榊 継久は仲間だが、余計な情報を漏らすなと言った。用心しろと言う事だ。しかも、榊に関して細かい事を俺達に伝えていない。俺達は用心すべきだ。榊 継久に。そして上が隠す榊 継久の何かに」
 じっと聞いて、その言葉に頷く。青年が言う事は正論だ。実働隊は上層部の意向に逆らわないし疑問も持たない。指令を着実に実行する。そうだ。指令は最大限活かすべきだ。用心しろと言われたなら、最大限用心すべきなのだ。
 しかし。
 言われてみれば尤もなのだが、冬馬の発想はユニークだ。唯夏は思う。
 知っていると言う言葉一つから、全く別の人間を指しているのでは無いかと推測するには発想の転換がいる。目の前の人間に貴方を知っていると言えば自ずと、目の前の人間を指すと理解する。それが極々普通の答えだ。言葉の意味を疑う事が有っても、その根本を疑う人間なぞ、まずいない。だが冬馬は、その根本に着眼したのだ。
 そして着眼点を変えてみると、確かに思い当たる部分は多い。余りの多さに驚く程だ。
 冬馬と唯夏の榊の印象は一様に「薄気味悪い」であったから、違和感を感じなかった。だが思い出せば、強い印象を受けたのは互いに別の日であった。ステラミラー・ビルに行った初日の榊は冬馬に興味をもち、別の日の榊は唯夏に興味を持った。普通に、榊イコール同一人物と考えていたが、あれが別人と考える方がむしろ自然だ。
 両者、サングラスをしていた。グレイのスーツであった。場の支配者であった。男で、30代。思い起こせば起す程に、抽象的になって行く。
 「SEXの時はサングラスは外したな…?」
 ミルで砕いた珈琲をドリッパーに落とし込み、湯を注ぎながら微かに顔を上げる。灰色の瞳でちらりとこちらを確認してから、ドリッパーへ目を戻す。にやりと笑った口許が、頬のシャープな輪郭を際立たせる。ああ、なるほど、と妙な理解をする。
 若い女とある種の男性には、青年の纏うこの雰囲気は確かにセクシーと映るだろう。知的で動物的だ。シャープでスリリング。しかも恐らくは、唯夏の目にはつまらぬ彫像としか見えぬこの姿は、美しい。
 青年自身が性に奔放である限り、相手は幾らでも現れるだろうし、青年に求められれば、相手は中々拒みにくかろう。
 「外していた。俺はもう奴の顔は分る。だがお前に伝える事が難しい。モンタージュも作れんしな」
 「………素顔を見るのは手っ取り早いな」
 「ではお前も股を開くか?」
 言いながら、芳醇な香りの琥珀の液体が供される。絶妙なタイミングで唯夏がGraciasと呟いたので、冬馬は苦笑した。
 「馬鹿を抜かせ。素顔を見る方法はSEX以外に幾らも有る。…何とかそっちを模索してみよう」
 唯夏は、ミルクと砂糖を入れたカップに口をつける。冬馬はストレートだ。一口味わって互いに深呼吸をする。
 直情的な獣の回復力は驚く程だ。本当に立ち直ったのか、表向きだけなのか、或いは開き直ったのか。その実唯夏には分からない。
 ただ、表面上見て分らず、成果もきちんと上げるなら、それ以上の詮索は必要ではない。唯夏にとっては充分、良い相棒なのだ。目の前の灰色の頭を、軽く小突く。何をする、と言わんばかりの抗議の瞳が見上げた。
 「これでまともな報告が上げられる。……いいだろう。朝人、良くやった」
 「Gracias ……姉貴」
 

 
 週末の金曜ともなれば、確かに居酒屋は混むのが常識だ。それは長沢とて良く分かっている。
 だが、顔の効く深海亭で、予約もきちんとして置いたのに「あ、御免ちょっと待って」は幾ら何でもないと思うのだ。
 小一時間もせずに座敷が空くからちょっとだけ待ってと言い訳され、それまでカウンタ席の片隅でつまむ事になった。サービスするから許してよ、と言われて、逆にラッキーと笑うような人がゲストだから良かったようなものの、やはり不満が残るのだ。
 「公正党の歴史と言っても、それ程びっくりする物は無いと思うがなぁ。極普通にカルトが政治に乗り込んで来ただけだ。じゃあ普通に一舐め」
 まずはビールと言う事で乾杯して、浅井は講義を始める教師の顔になる。この瞬間が長沢は好きだ。浅井の講義は平易な言葉遣いでざっくばらん。聞き易くて退屈しない講義と言うのは、これでなかなか無い物だ。
 「殉徒総会としての政治参加は1950年代末。初めは地方選挙に殉徒総会員を立候補させた事に始まる。総会自体は戦前から有ったもので、何しろ元々は日蓮正宗の在家信者集団だった訳だから、歴史は有っても驚かないだろ。
 政治参加も、最初はいたって仏教的思想で、世直しの一環だった。つまりは大乗仏教。苦の中にある生物凡て、つまり一切衆生を救う精神だな、その菩提心を持ってして取り組んだのが政治だった訳だ。まぁここで、失敗していれば問題は無かった。これも思し召しと、もしかしたらこの道から引いたかも知れなかったんだが。これがそうはならなかった。
 最初から、東京都の区議に24名、兵庫、大阪、奈良、山口、静岡、山梨、千葉他各県議を合わせると48名もの政治家が、殉徒総会員から誕生してしまった。つまりこれは、彼らにとっては正しい行いだと、現証が証明したと言う事になる。そこから、殉徒総会は意気揚々と政界進出を初め、ひいては日本侵略の野望に目覚めて行く訳だ。
 翌年の参議院選挙に続いて出馬し、これも当選者が大勢出る。それで、当時の会長が公正党の元となる政治連盟を立ち上げる。ただこの時はまだ本当に連盟であって、ひとつの政党に拘っていた訳ではない。無所属や他党での立候補も有った。
 当時の殉徒総会の公称会員は600万世帯。当選者を出すには充分有効な数で、当時の殉徒総会は政治参加に対しては、公に声が届けば良い程度にしか考えて居なかったようだ。
 だが、時をほぼ同じくして、ここに例のお方が現れて事情はがらりと変っていく。三代目会長、現名誉会長、殉徒総会の唯物神。生き仏。里中 汰作、である。
 どうしてそんなカルト絡みの政党の支持者がこんなに増えたかって、長沢君はそこに拘るけどね。実は存外単純だ。例の55年体制だよ」
 すきっ腹で呑むと、潰れる自信がある長沢は、先に頼んだつまみをかじりながら首を傾げる。早くも空になる浅井のカップにビールを注ぐ。
 「55年体制……ですか。公正党と関係ないですよね…?」
 ストップをかけてカップを引き、浅井は頷いた。
 「そうそう。関係ない。そこがポイントなんだ。
 1955年に左派と右派に分かれていた当時の社会党が再統一したろ。で、それに危機感を感じた保守勢力、日本民主党と自由党が合同した。そして今の自称保守の源流となる訳だけど、その二大政党のいわゆる隙間産業が公正党だった。
 右でも左でもない。保守でも革新でもない。中道派って売りが図に当たったと考えると分り易い。当時、左の社会党、共産党、右の自由民主党。そのどちらでもない公正党。隙間は広く、詰め込める人数は多かった。日本はとかく、宗教に関する警戒心が薄い。宗教の云々の前にそっちがアピールになったんだろうね」
 隙間産業とは良く言ったものだ。だが、非常に的を射ているのだとは感覚で分る。
 日本人はとかく、極端を嫌う。中庸を好むと言うか、中道を王道と勘違いしていると言うか、極端はいずれも間違いで、真ん中が正しいと思い込んでいる節がある。
 これは平穏時には人間関係を穏やかにするが、生きるか死ぬか、乗るか反るかの有事には最も選んではいけない道だ。右か左かどちらか選べば助かると言われて、真ん中を歩くと言う選択をするのは、余程危機感を忘れた生物だけだ。
 真ん中だから正しいのではない。バランスが取れている物が一番正しいのだ。左は極左、右は中道となってしまった現代日本に、バランスなどと言う物を語るだけ馬鹿らしい。
 また、宗教に対する警戒心が薄いというのも感覚的に理解する。八百万の神の国の人々は、教祖と言う存在の恐ろしさを知らない。その存在が純粋であれよこしまであれ、極端なカリスマを持つ教祖の多くが、人民を破滅へ導くと言う事実に無頓着だ。
 「そして、60年代に入ると、会長が変る。ここからが今の総会と公正党の本当の意味での始まりだ。
 三代目会長里中 汰作は思想が違った。仏法によって衆生を救うと言う宗教的観念から成り立つ出馬ではなく、三代目の思想はもっとセンセーショナルだった。彼の考える"救い"とは即ち"支配"だった訳だ。公正党が単独与党となり、政治の場から日本を救う。つまりは教祖による支配こそが世直しであり、救済だという考え方だ。
 まだ公正党が出来る前、殉徒総会の信者獲得の方法は折伏会だった。いや、今も勿論、折伏会はやってるんだろううが、今の主流の会員獲得法はそれじゃない。さてでは何でしょうか、長沢君、どうぞ」
 水を手向けられてやや慌てるが、文脈から考えると答えは一つしかない。思わず居住まいを正して手を上げる。
 「はい。え〜〜政治……選挙ですか?」
 ぴんぽーん。浅井が言う。カップが空になった。
 「正解。現在一番信者を獲得できるのは選挙です。全国規模で一挙に大漁の信者が得られます。
 選挙期間の殉徒総会員のハードスケジュールを知っているかな。それこそ凄い。あれだけ出来れば、そりゃ信者も拡大すると僕が傍から見ていて感心するくらいだ。
 故郷、親類、縁故関係、ご近所周り、仕事先に地元集会と、挨拶回りにポスティング、電話にFAX、凡ての手を使って拡散し説得する。老人層にも、殉徒総会が福祉施設に強いので強い。その点、三代目の先見の明が有ったのは確かだ。殉徒総会員の動きは、着実に効果を見せている。社会の下部に特に。
 その結果、公称会員数を一千万の大台まで持ち上げた。政治連盟は公正党となり、その所属議員も数十人となった。同じ頃、殉徒総会は学校経営にも乗り出している。膨らんだ信者世帯を逃さぬ為の教育の受け皿であり、また殉徒総会による一貫教育の始まりでも有った。
 つまり、60年代以降に生まれた殉徒総会員によってなる現代の公正党は、完全な里中教育の元で生まれ育った、純正の里中親衛隊だ。勿論それは公正党だけではなく、同時期に公正一貫校から巣立った者達が、各省庁に食い込んでいる。ここでざっと名を上げられるものは100名を軽く越すが、そこはやめて置く。これは、どう言う事か、説明せずとも脅威である事は間違いない。
 55年体制の隙を突いて食い込み、その後は里中体制になって公正党が出来、その後の50年で、政治のズブの素人だった公正党員は政権与党の一角に座を構え、今や自明党を翻弄する厄介な存在になっている。彼らが見ている物は世界でも日本でも無く、国益でもない。彼らにとって大事なのは、常に多数党に居続け、如何に教祖を守り、教祖の願いを実現するかと言う事だけだ。
 しかも、だ。楽と言えば楽だろう。彼らが守るべき法は、"仏法、国法、世法"の中で、仏法だけで良い。国の法律を守らず、殺人にまで手を染め、世法を守らず、およそ道徳を持ち合わせぬ罵詈雑言や暴力を働いて恥じない。警察組織や法曹界に入り込み、仏法を基準に動いて間違っているとは思わない。
 凡てがその原理で動くのが殉徒総会。そしてそれが支持し、動かしている政治部門が公正党。勘違いしてはいけないのは、この二つは全く対等ではないと言う事だ。
 公正党は、つまりは殉徒総会の奴隷だ。決して逆らえず、常にその視線に脅え、いつ捨てられるか、殺されるかとおどおどびくびく殉徒総会の顔色を伺ってる。機嫌を損ねたら、先にあるのはいびり出されての追放か、有り金を凡て巻き上げられての破滅しかない。彼らを今や動かしてるのは名誉会長に対する心酔半分、恐怖政治半分だ。立派にセクトだ。立派な政教一致だ」
 最悪である。正真正銘、堂々たるカルトによる政治、政教一致の見本である。
 じゃあ先生。尋ねる声が、思わず咽喉に絡まる。自分のカップのビールで咽喉を湿らせて改めて口を開ける。
 「では先生。先生はその公正党を、どうしたら消せるとお思いですか?先生の現在の活動の最終目的って、やはり公正党消滅でしょう?」
 浅井はきょとんと長沢を見る。
 「反公正としては、確かに公正党にはご退場願いたい。ただまあ、極論を言えば、実は公正党は明日消えても不思議じゃない程度には不安定な党だ」
 即座に長沢が異議を唱える。それは幾らなんでも有り得ないと。浅井は頭を振った。
 「今の殉徒総会に有っては、里中先生が"やめた"と言えば、本当に公正は翌日に消える。
 以前の日蓮正宗の門徒だった時代を過ごして来た総会員や、前会長時代の総会員だったら反応は違うだろうが、先ほど言った通り、今の総会員は里中信者なんだ。独裁者に仕えるものは考えてはいけない。疑問を持ってはいけない。その人の凡ては善で、その人の凡てを守る為に自らは存在すると思うものだけが重宝され、持ち上げられる。今の公正党員は全部そうだ。逆らう者はいない。
 公正党を消すのに一番有効な方法は、教祖様を動かす方法だよ」
 「逆に言えば、それ以外無いと言う事ですか?」
 うん、と軽く准教授が頷く。
 「厳密には無いでしょうね。いや勿論、有効だと思う手は幾つか有ると思う。まずは小選挙区比例代表並立制の廃止。
 少なくとも中選挙区制に戻す。選挙制度改革ですね。それで公正党員を減らせると言うのではなく、他の党を増やすという方法ね。
 或いは連立崩し。今のように自明党と連立している間に自明の力を削ぐやり方。自明党自体の票が減れば、その分を総会票で補填しても落選する。そうすれば両者が政権与党の座から落ちて自滅する。野党連合などと言う事を公正党がする訳は無いので、分裂して消滅の路を辿るだろう、と言うやり方。
 この二つは有効でしょう。ただ、両者とも決定的ではない。それにこれらが、真の意味で僕らの目的にかなう結果を生むかと言うと、非常に疑問ですね」
 浅井の言う方法は、確かにリアルで有効に思える。地味だが既に実証された事柄であるし、現実を変えて行くにはそうした地道な方法以外には、テロしかないと思えるからだ。
 「疑問、と言うと?」
 「うん、さっき長沢君は、僕ら"反公正"活動の最終目的は公正党消滅と言っていたでしょ?」
 「え、そりゃあ。はい」
 「ブー。違います」
 え、と言いかけた口のまま長沢が固まる。それだけは確実だと思っていた箇所を否定されて、それ以外の反応が出来よう筈もない。
 さぞや間抜けな面を晒していたのだろう。浅井がくしゃりと笑った。
 「うん、よく言われますがね。でも違いますね。それは余りに素直過ぎる考え方です。
 僕らの目的は殉徒総会による政治支配を可能な限り少なくする事です。政教分離の大原則を無視して日本の政界を動かすカルトは一掃すべき。その思いで動いている。
 莫大な金を集め、国法、世法を無視し、教義を絶対とし、偏った思想で持って公権力に潜り込み、それを歪める。そんな腐敗した権力は消すべきと信じて動いている。しかし。
 それは"公正党"を無くす事ではない。
 先ほど言った通り、彼らの一貫教育は既に警察、法曹界、マスコミ、大企業の一角で実を結んでいる。ここで分り易い"公正党"と言うシンボルを無くして何が安心出来ると?それは暗がりの森で葉を探している最中に、唯一の燈りを手放すと同じ所業だ。それがあるからこそ、見える物を、自ら捨てようなど。愚か者の選択だ。
 僕らが一番目指すのは、公正党を活かさず殺さず残したまま限・」
 「すんません、お待たせしました〜〜〜〜。マスター! 奥に座敷用意したから、移って移って。あ、すみませんねお客さん、どうぞ、奥です」
 深海亭の親父の、タイミング無視の通達に、二人は暫し口を開けたまま凍りつく。その後に吹き出して親父の困惑顔を見る。深海亭は料理の美味さと安さと、親父の何も気にしない気性で保っているのだと、長沢は再確認した。
 客商売に正道はない。このアバウトさが楽で、次もまた来たくなるのだからそれで良いのだ。
 「先生、続きの講義は密室でお願いします。是非。二人きりで」
 准教授が悪戯っ子のような笑い方をする。言い方がいやらしいよ長沢君、と言う。
 「なぁんか君見てると、先生を垂らしこむ生徒っぽくて危険な匂いがするんだよねぇ。絶対、大学時代の教授ウケや講師ウケ良かっただろ長沢君」
 思い出してみればそうかもしれない。研究室には良く入り浸っていて、教授から「誤差だからオマケだぞ!」と貰った単位が複数有ったと言うのは、記憶違いでは無い。
 「続きが聞けるなら、幾らでも垂らしこみますよ。出来るなら。活かさず殺さず、密室でお願いします」
 自らのカップだけ持って席を移動する。准教授が苦笑しながら移動するのに、長沢はただ黙って後についた。
 

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