□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

*** 父と息子 4 ***


 「公邸事件後、俺達はウアラル地区にアジトを移した。農場の多い場所で、元はセンデロ・ルミノソが占拠していた地区だ。例のJICA事件の一環で掃討されて、その後にMRTAがこっそりと入り込んでいた。俺たちもそこに潜り込んだ。
 俺の仕事は狙撃手。相棒は4度ずれるM16とピスコ県から来た男だった。Gabino(ガビノ)と呼ばれる陽気な男は、口が上手くて交渉が得意だった。同志の中でも好かれていたと思う」
 生きているゲリラの話になって、少なからずほっとする。
 青年の世界はいつも直ぐ隣に死神がいる。長沢の年でもまだ死神との距離はもう少しある。そこは平和の惰眠を貪る日本と異国の差なのだろう。
 「お前も好きだった?冬馬」
 「相棒だったと言うだけだ。能力は評価している。話していると面白かった。人が好くて気が多いのが少々厄介で、女に振られると良く俺に擦り寄ってきた」
 開き掛けていた口を閉じる。青年は軽く頷いた。同志と寝ておくのは役に立つ、呼吸が良く分かるからな、と言うのは青年の持論だ。
 「ある大物の人質ビジネスの時だった。前日が大雨で、俺のポイント(狙撃場所)に大枝が落ちて壊れていた。その場所を直すのもケチがつくから、俺はポイントを移した。元のポイントは廃ビルの屋上だった。そこより20m程離れた場所に貯水タンクがあって、俺はその上に移動した。辺りは平地で建物もまばらだ。いつも第三候補までは見つけて、それを同志には伝えてある。つまり、その日の俺のポイントは第二に移ったって事だ。問題は無かった。その時までは。
 タンクがカン…と鳴った。タンクの横腹の足場に乗った音だと気づいて、俺は飛び降りた。タンクは台の上に載っていたから、下の台まではほんの3mだ。男が慌てて梯子を駆け上り、タンクの上に立った所を台から撃ち殺した。同時に、俺の最初のポイントをスコープで覗くと、二人の男が、崩れた枝を俺のカモフラージュだと思って撃っていた。
 ビジネスは決裂だ。俺は第一ポイントの二人が自分達の失敗に気づく前に撃ち殺した。第三ポイントを覗くと全く同じで、俺はそいつらも撃ち殺した。こちらの情報が先方に漏れていた。
 一緒に動いていた同志は4人。俺と交渉係のガビノと人質の見張りに二人。見張りと連絡をとったが、狙撃手の位置が漏れているくらいだ、返事は返って来なかった。案の定、人質は逃げて、後には同志の死体が転がっていた。ではガビノは?
 ――そう。啓輔はカンがいいな。俺達を売ったのはガビノだった。女に子供が出来て、抜けたかった。そこに大物が来たから頂いて逃げたんだ。俺たち三人を売ってな。
 まぁ、そうだな。仲間が売ったのでもなければ、俺のポイントが三つ一揃いで漏れる訳も無い。
 俺は直ぐにガビノのいる場所に出かけた。俺が死んだと思い込んでいたガビノは、いつもの通りの酒場にいた。縮み上がってたよ。殺した筈の相棒が、目の前にいるんだから。
 それで慌てて俺に銃を向けた。そんな事をしなければ、生き延びられたのに。俺はただ、撃った相手が誰なのか、それを突き止めなきゃならなかっただけだ。そいつらを殺って置かないと、安心して眠れないからだ。ガビノはただ、大人しく取引相手の名を言えばよかったんだ。でも俺を売っただけでなく、始末しようとしたから、俺はやる事をやった。取引相手の名を聞きだして始末をつけた。
 ガビノは金を自分の女に渡していた。女と子供には良い稼ぎが出来た。今頃は別の男と上手くやっているだろう。俺は興味が無い」
 長沢は深呼吸をした。
 いつもそうだ。淡々とした青年の語り口には面食らう。普通ならこれは武勇伝だ。英雄譚だ。自分の手柄を誇るか、相手の悪辣非道さを相手に訴えようとする筈なのだ。本能的に自らを正当化し、守るために。だが、冬馬の話にはそれが無い。淡々と、いつも訥々と、乾いた事実だけが綴られる。
 長沢は面を伏せた。
 なるほど言う通り。彼は自らの人生を自らの手で切り拓いて来たのだ。良くも悪くも、彼の過去に「彼を導いた存在」を見つけるのは至難の業のようだ。
 「ゲリラは食い詰めた人間がなる。そこに選民などいない。裏切りは珍しくない。みな浮き上がりたいからゲリラで食いつなぐ。裏切りは無くならない。仕方の無い事だからだ。
 当然、政治思想で動くものも極一部にはいる。理想を持つ者もいる。でも、そういう手合いが実は一番裏切る。上昇思考があるからな。
 そして2000年。DINDOTEにアジトを捕まれて、俺達はちりぢりになった。それで終わりだ。ヴィト、チカ、アルセニオ、ピオ、ニコ、アニタ、ギード、ルシオ、ネヴァ。セベリノ、イサク、ローサ。生き延びたか殺されたか俺は知らない。どちらにせよ、もう会う事も無い。」
 深呼吸と共に冬馬が口を閉じる。はい終わり。動作がそう言っていた。
 長沢は溜息をつく。青年の表情からは何も読み取れなかった。
 生きる為の盗みと、その為の仲間。同志、掃討、逃亡、裏切り、死。淡々とした青年の語り口からは、殆ど感情の揺らぎは感じられない。
 唯一、大使公邸事件後の軍による粛清には憤りを感じたが、それは余りにも当然で、むしろ十分に冷静すぎる反応だ。自らの同士が四肢を切られて死んだ姿を見せられるなど、普通なら耐えられぬ衝撃の筈だ。
 目の前の青年を見つめる。思わずその頭に手を載せる。
 きょとん、とした目が見下ろした。
 「お疲れ様。確かに俺の期待した人物は出てこなかったけど、聞けてよかった。有難う」
 なでる。パサパサした感のあるホワイトグレイの髪の毛を掌でなどる。
 「お前はつくづく強いなぁ、冬馬」
 「鈍いと、言いたいんじゃないのか」
 鈍いとは思えない。情が欠如しているのは事実だろうがそれにしても。
 情に溺れていては生き残れない環境が、彼を育んだのだ。事有る毎に、自分の力のみ信じろと天に言われ続けた時間が彼を作ったのだ。ドライなのは仕方ない。彼の生き残る術だったのだ。必要な素養だったのだ。であるなら。
 冬馬の言うように、これはどうでもいい事なのだろう。――彼にとっては。
 「いや。お前は感受性豊かだと思う。僅かの間に俺の感情を的確に読むようになったし、昔はこんな風に自分の事を説明できなかったろ」
 なでる掌に合わせて、青年は俯く。もっと撫でてくれと言わんばかりに頭を下げる。
 「……そうだな」
 長沢の掌は温かくて柔らかい。
 以前の自分なら。冬馬は思う。こうして人に触れられるのは不快だった。睦事と割り切って探りあうなら理解も出来たし楽しめた。それは肉欲で本能だからだ。だが恐らくは慈しみの心で、他人に与えられる温もりは、冬馬の日常には無かったのだ。長沢に会うまでは。
 「……啓輔のおかげだ」
 頭を撫でられた覚えなど、ベッドの中の女以外にはない。――いや。そうか?
 思い出を辿る。遠い昔の感触を呼び起こす。
 もう一人。そうだ。遠い昔の母の手が、こうして頭を撫でてくれた。歌を歌いながら、話をしながら、良くこうして撫でてくれた。もしかしたら、もう一人。父の手もあったかもしれぬ。
 正直なぁ、長沢が呟いた。
 「俺は凡人だから。お前の親父さんへの気持ちは分からない。司令官と呼んで敬意を払える冷静さが、俺には全然しっくり来ないんだ。お前の言う通りだ。お前にとっては下らない事に、俺は突っかかってるんだ。
 それとな。多分、俺が本当に納得できないのは、お前じゃなくて親父さんの方だ。
 いや、確かに親父さんは能力的には充分に尊敬に値する人間だよ、でもな。
 異国から命からがら帰って来た実の息子に、暗殺者の命を授ける気が知れない。もう良いじゃないか。十分じゃないのかな。生きて帰って来てくれた息子をただ抱いて、家族として守るだけで」
 頭に乗る手に力がこもる。また長沢は怒っている。冬馬のために。心が温かくなった。
 「守られるだけなんぞ、俺は御免だ」
 「そうだが……」
 それに。
 「守ってくれているぞ。住処も仕事も貰った。
 俺はペルーに家族はいなかった。誰の家族でもなかった。だから誰にも守られなかった。人は他人を守ったり助けたりしない。得もないのに守る道理がない。儲けが有ったり、労働力や、体や、何かの見返りが無ければ、他人など守らない。それが普通だ。俺は今、父親の元で何も不自由を感じていない」
 長沢の手が髪を梳く、頭の丸みをたどる。どんな顔をしているか、見ずとも予想がついた。悲しげな、やりきれない表情をしているのだろう。先ほど、娘の事を話していた時のような、苦い表情をしているのだろう。娘でもない俺のために。
 「同志は? 家族的な部分もあったろう」
 「家族と言うより、一人で生きるより生きやすいから集まった集合体みたいなものだ。互いの得になるから助け合う。だから、もっと得になる事があれば容易く裏切る。
 DINOESは軍だから、DINCOTEは警察だから、仕事だから俺達を追い回す。時には不満や欲望のはけ口代わりに、俺達を殺す。俺達も同じだ。それが普通だ。
 ……お前だけが、変なんだ。俺に言わせれば。―――お前だけだ、無償で俺を助けてくれたのは」
 頭を撫でる手が一瞬止まる。苦笑を一つ。改めて手が頭の丸みをなぞる。
 「お前は俺の同志じゃないか。同じ目的の為に協力し合う仲だろ。無償じゃないだろ」
 頷く。だが違うのだ。MRTAの同志と、日本での同志は確実に違う。
 食い詰めて、生きる為に吹き溜まった同志とは違う。日本では何をしても食っていける。命の危険もない。ここで集う同志は次元が違う。それぞれが高い理想と政治的意思を持った、恐らくは選民なのだ。まるで、根本から違う。
 長沢はかつて言った。
 他の誰が何と言おうと、俺はお前達を誇りに思う。 闘うお前達を――、お前を。心の底から尊敬する。感謝している。人間として。情け無いほどに無力で弱い日本人の一人として。
 長沢には明確な政治的意思がある。知性も行動力も、人を説得し、惹きつける話術も交渉術もある。その長沢は、冬馬と同等かそれ以下の同志と言う立場にいて、何も要求しない。守れとは言われたが、それは最低限の事だ。
 「お前はこの国の為に命を賭けてくれる。これ以上の物が有るか。そう言う意味では、俺は計算高い男だな。お前の命の代価として俺も命を差し出したに過ぎない。安いもんだ」
 それでも。
 「俺はお前に会って初めて、見返りがなくても手を差し伸べる人間がいると分かった。お前の言う"俺を導いてくれた人物"がもし俺にいるとしたら、それはお前だ啓輔」
 手が止まる。見上げる冬馬の視線の前で、長沢が目を丸くして息を止める。俺が?その瞳がそう聞いていた。冬馬が深く頷くと、長沢は吹き出した。
 「お前の人生、ろくなモンじゃないな、冬馬」
 腕をつかんで抱き寄せる。畳の上に転がる。決して豪華とは言えない、古びた日本家屋は、冬馬の知る凡てのアジトの中で最高の場所だ。
 俺の人生は最高だ。そう言う代わりに薄い胸を抱きしめる。安いものだと言う、その命を抱きしめる。
 冬馬に比べれば小さくて薄くて、頼りない存在なのに。何故これほどに温かい。心も体も全部が包まれているようで、温かくなるのは何故なのだろう。
 「なぁ、啓輔。俺はお前ほど、高級な人間じゃない。だから代価が欲しいんだ。――いいか?」
 熱い掌で頬をなぞる。首筋に口付ける。一瞬硬くなった体が、ゆっくりと腕を伸ばす。そうだな、と呟く。
 同志と寝ておくのは役に立つ、呼吸が良く分かるからな、と言うのは青年の持論だ。今夜は長沢もそれに同意しよう。
 
 ―4― 

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- THE END -

 
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補足
リハビリと言う名の駄作。しかも間に他の創作が入ってめっちゃ空きました。
これで本編、進められるんだろうか。激不安。 あ、いや進めますスミマセン…。