□ SOMETHING CAFE □
■ SOMETHING CAFE ■

 
 

 「そりゃあまた穏やかじゃないな、大貫君。そんな悪い男なのかい、そいつは」
 冬馬の司令官、羽和泉 基が緊迫感のない声で言う。大貫はそちらを見もしなかった。
 合法の大量虐殺者、大貫は長沢の事をそう称した。恐らくは日本人にはショッキングな肩書きなのだろうが、冬馬にとってどうと言う事はない。人の生き死にに"自然死"だの"事故死""殺人"だのとジャンル分けをするのは人間の文化だ。文化の低い場所では今も死は死で、ジャンルも無ければ合法も違法もない。
 唯夏がぴくりと反応する。
 冬馬と違い、唯夏には合法の大虐殺は有り得ないか、もしくは許されないものなのだ。
 身体の捌き一つとっても、冬馬と唯夏はまるで違う。目的達成の為の自己流一辺倒のゲリラ方式の冬馬とは違い、唯夏は論理で裏付けられた動きをする。CQB(クロース・クォーター・バトル:近接戦闘)の名手で、アーミーナイフ一本で血の海など容易く作れるであろう彼女は、軍属に違いない。そして恐らくは、彼女も日本の地ではエイリアンだ。
 根本的な所で非常に似通い、かつ決定的に違う自らの仲間に目をやると、彼女も青年を見ていた。
 「戦争を合法とするなら、合法の大虐殺などそこら中にあるでしょう」
 ソファに深々と腰掛けた紳士が、はっ、と鼻で笑う。
 「可笑しな事を仰るなお嬢さん。これは日本の話だ。私の記憶では日本はこの60年以上も、戦争は愚か内乱、闘争、クーデターの一つも起きていない平和極まりない国だ。まぁ、もっとも。60年代には学生闘争等と言う、何の目的も意味も無い団塊世代のオママゴト闘争が有ったようだがね。
 ちなみにこの男は46歳。戦後の生まれであるのは明らかだし、学生闘争の時には10歳足らずなので、貴方の仮定は全く的外れと言う事になる」
 唯夏が黙り込む。大貫はその反応を、一向に気にせずに続けた。
 「加うるに、貴女の仮定についてお答えすると、戦争は合法だ。
 国家間の利害調整が外交、つまり話し合いで成り立たない時に起こる衝突が戦争。国家は国際法上の基本権として、開戦権と交戦権を持つ。故に戦争は合法だ。もっとも。
 国家として基本であるのその権利を、愚かにも放棄した挙句、60年以上も経った今でもまだ敗戦国として大国の属国の地位に甘んじているのがこの日本で有る訳だが…」
 「…これは酷い」
 一言零してしまってから、桐江一等陸佐は口許に手を当てた。絶妙なタイミングで大貫の話の腰を折った事に気づいての反応だが、当の二人以外はむしろそれに感謝していた。メンバーきっての辛辣な批評家は、言っている事は正しくてもすこぶる話が長い。長くてややこしいとなれば、それを断ち切る者の存在は感謝こそされ、疎まれる事はない。
 大貫が桐江の手からクリアケースを奪う。それは別段、苛ついた仕草ではなかった。
 「失礼。少し…愕いたもので」
 「無理も無いね。そう言う訳だ冬馬君。あの男は止めておき給え」
 「……いや、僕にはさっぱり訳が分からないが」
 頓狂な声で口を挟んだのは羽和泉だ。思わず声を追って目を向けると、頓狂な顔が眉根に深い皺を刻んでいて、辺りに疑問符が浮かんでいるのが見えるようだった。唯夏が小さく噴出し、慌てて顔を背ける。冬馬もつい、つられて笑った。
 「そうですねぇ。確かに今のでは全く分からない。その合法の大量虐殺というのはどう言う事を仰るのですか。いわゆるカルトのような、僕たちの専門分野かな。それともまったく別でしょうか。僕にも分かるよう説明して下さい。興味が湧きますね」
 垣水公安第一部長が言う。
 大貫はソファの上で溜息をついた。
 「なぁに、珍しい事では有りませんよ。
 この男は都銀の人間で、多くの死が有ったのはバブルが弾けた時期です。それで大体お分かりの筈だ。」
 「ああ、それでは貸剥がしの……」
 冬馬と唯夏以外の全員が、ああ、と納得したように頷く。冬馬が非難の目を向けているのに気づいた大貫が、小さく首を振った。
 「ペルーには前後して"ツナミ"が有った頃だな。君が日本の状況を知っているとは思わない。ではざっと説明しようか。
 1985年のプラザ合意をきっかけに……ここは省こう。つまり1990年初頭まで、日本は株と地価を中心とする好景気にあった。円が240円台から最終的に120円近辺まで高騰し、土地価格も株価も上がり続けると誰もが信じるようになっていた頃、好景気はぱん、と泡のように弾けたわけだ。これをいわゆる、バブル景気、バブル崩壊という。
 1989年の大納会からこっち、事実上株価は大暴落していたんだが、市場の景気が体感的に下がったのは数年後、大体93年辺りを上げる者が多い。
 さて。バブル期にとかく強かったのは地価と円だった。企業のやる事は決まっている。増資、企業拡大、新事業開拓、欧米に向けてのM&A(企業買収)、リゾート開発。企業努力による増収、インカム・ゲインではなく、土地や金融資産を活用してのキャピタル・ゲインを主眼に収益の目標額を決める企業も増えた。資産はある。この資産をどう活用しよう。増収の宛がある、設備をどうしよう。ここに飛びついたのが他ならぬ。
 銀行だよ」
 冬馬は素直に感心した。
 大貫の言動は一々尊大で押し付けがましい部分があるが、それはあてつけでも嫌がらせでもなく、自身の興味と合理性に基づいて行われる物なのだ。だから、一度必要があると彼自身が判断すれば努力は厭わない。元より、彼にとっては簡単至極な事柄であるから、こうして二十歳をとうに過ぎた「大きな生徒」に、子供にも判るように簡略化し噛み砕いて説明してくれるのだ。
 「なるほど。そこで都銀か」
 その通り。深いバスバリトンが言う。
 「バブル崩壊までの銀行は兎に角融資を薦めた。単純な新設備投資や土地売買、企業開拓に金を出すだけではなく、本来は必要の無い融資も積極的に組んで増収に勤めた。右肩上がりの経済状況にあって、行員のノルマはきつく、そうする必要性が有ったと言う訳だ。彼らの理屈では。
 100%を越す融資を行い、大手企業を巻き込んでリゾート地開発に関わり、地価がどんどん上がるんですから差額でローンなどどうと言う事は有りませんと甘言を労し、バブルが弾けたらどうしたか。今まで自分達が散々薦め倒して出来た負債を、今すぐ耳をそろえて返せ、とやった訳だな。
 まずここで、中小企業の社長や会長の何割かが首を括った。所がこれだけでバブルは終わらなかった。」
 手にしたクリアファイルには、かなり厚いレポートの束が入っている。大貫はそれをさして、あの男の全て、と言った。それは違う。
 確かにそれは銀行員であり、長沢家の家長で有った時代の長沢啓輔の一部であることに間違いは無い。だがそんな文書は、データは、彼のほんの一部でしかない。
 「確かに、銀行に融資を頼んだ中小企業の多くが破綻、倒産したが、それで銀行が助かったかと言えばそうでもない。多くの融資をした銀行も即ち、大量の不良債権を背負ってしまった事になる。
 不良債権に再生の目処が立たぬように、銀行も回収の目処が立たなくなった。回収出来ずに、今度はばたばたと銀行自体が破綻し始めた。初めこそ、大手銀行は潰れさせないと言っていた日本政府も、危ないと見るやさっさと掌を返した。
 消費税が導入された頃で不景気に拍車がかかった所へ、必要以上にマスコミが不景気と騒ぎ立てる。愚かな市民はマスコミの煽りをまともに受け、危機感を感じて"買い控え"を初める。なお景気は下がる。経済の悪循環が始まった。
 だが、この不景気の中で、しぶとく生き残った銀行もある、その中の一つが、この新都銀行だ。」
 凄いじゃないか啓輔。
 思わず、素直に賞賛してしまう。声には出さなかったが、顔に出ていたのか、大貫が怪訝な表情を向けた。
 「やり口に特に変わった所が有った訳じゃない。長銀のような瑕疵担保条項が使えた訳でもない。飛ばし(決算期に不良債権をファミリー企業やペーパーカンパニーに薄価で売ったように書類捜査すること)まがいの事はデフォルトで行っていたし、最終的には不良債権を買収ファンドにバルクで買い叩かれる所まで辿り着いて一件落着する訳だが、新都銀行が生き残ったのはそこじゃない。
 徹底的に貸し剥がしをした人間がいたんだよ。銀行単独ではなく、ファミリー企業と称する他企業と組んでね。
 多少気の利いた企業になれば、万が一の時の為にメインバンクだけでなくサブバンクを持つ。このメインはそれを利用した。有り体に言えば、サブを緊急避難場所として利用した。サブに入る利益を吸い取り、負債を回した。一方で企業がバブル全盛期に手に入れた金融資産、土地、クラブ会員証に到るまで一個一個を調べ上げ、担保としてそれを召し上げて競売、売却、負債の補填に宛てた。その手腕たるや、素晴らしいね。何処から得た情報なのか、一滴残らず吸い上げて全ての金を持って行ったのが新都銀行本店…、いや、長沢啓輔だ。その結果。
 新都銀行は生き残り、その傍には地銀や信用金庫、証券会社の死体の山が築かれたと言う訳だ。
 詳細はこのレポートに全て書いてある。このように……」
 「それ、見せてくれ」
 再び大貫の話の腰を折ったのは、今度は冬馬だった。
 ソファの上で、半ば振り回すようにしていたクリアファイルを、仏頂面の男の手から受け取り、その一枚目をめくる。若き日の長沢の写真がそこに有った。
 年の頃はまだ30代になったかならずか。今と違って髭は無く、眼鏡はかけているがレンズの小さい銀フレームの物で、はるかに都会的だ。短く揃えられた髪と、きちんと揃えられた揉み上げ、その下の頬に残るふくよかさが若さを感じさせた。引き締まった表情はいかにもやり手の銀行マンのようで、現在の長沢からは想像出来ない。
 思わずレポートの上の長沢の頬を指で辿る。覚えず、笑みが零れた。
 「楽しいレポートをお渡ししたつもりは無いが」
 大貫の言葉に、頬を引き締める。何事も無かったようにレポートをめくる。略歴の後に、負債の関連書類が出て来た。
 殆どが数字の羅列で内容はわからないが、合間合間に出てくる、数字とは関係ない書類が気になった。「団体信用保険」だの、「支給停止」「後見人」などの言葉が表すのは同じ言葉だ。債権者の、死。
 死の数だけ、確かに負債は減っていた。競売なども頻繁に行われていたようだが、それよりはるかに"誰かの手による"一軒一軒の債務処理の方がはるかに結果を出していた。
 徹底的な情報捜査と、熱心な行動、応用力。そして恐らくは、回収に必要な「ファミリー企業」とも結託して、それはそれは強引な回収を行ったのだと容易く想像できる数値だった。法すれすれ、立件されれば立派に犯罪の、絞れば血の滴るレポートだ。
 こりゃあ酷い。桐江一等陸佐をして、そう言わせるに十分なデータがそこに有った。
 「判ったかね。長沢 啓輔という男は、自分と自分の勤める銀行、自分の所属する組織を守る為なら、どれ程世の中の規範から外れた非道な事も平然と出来る人間だ。レポートに有る通り、その男が殺したのは"債権者"だけではない。主に殺したのは企業、だ。しかも、プライベートを探り弱みに付け込み、闇金まがいの最も卑劣な方法でそれらを取り上げて自らの利益とし、手足をもがれて瀕死の取引相手を平然と切り捨てた。
 部品製造工場、印刷工場、研究開発、小売店等の中小企業。その中小企業を支える銀行、信用金庫、証券会社。家族単位に始まり数百人単位の企業まで大小さまざま。その男がなぎ払ったのはそれら全ての命だ。違法すれすれ、あるいは人知れずに上手くアウトして、公然と大量に犠牲者を出し、損失を補填した。大量の日本人の血で贖って、彼は成功を掴んだ。
 不景気の時代に、彼が得たのは出世の道だ。この功績で彼は新都銀行本社営業統括部長のポストを得た。君は…」
 レポートから顔をあげる。冬馬の顔に浮かんでいたのは、満面の笑みだった。
 「良い物を見せて貰った。少し驚いたよ、大貫さん。優しい顔をして、啓輔はなかなかに鬼畜だ」
 その言葉に、羽和泉がおお、と声を上げる。それでは新キャストの話は無かった事にするか、と朗らかに言う。楽しげな羽和泉とは対照的に、大貫は憮然と口を閉じた。
 「考えてみれば尤もだ。今のこの日本で、得体の知れない革命に飛び込もうと言う男だ。これくらいで無ければ困る。
 逆に確信した。ふさわしい。啓輔は自分が所属する組織を守る為なら、世の中の規範から外れたどんな汚い事も非道な事も出来る男だ。これは今、貴方が言った言葉だ。それはつまり、周囲全てが敵でも、俺が正義だと言う信念を貫ける男と言う事だろう。思い込みが強くて、徹底的な馬鹿だ。……良いね、惚れ直したよ。
 そんな男こそ"ここ"にはふさわしい。長沢啓輔は、ここに居るべき男だ」
 スイートルームはしんと静まり返った。
 別段、青年の主張に感嘆したのでも、同意したのでもない。元より青年の主張に価値が有ると思っている者はここにはいない。今回の会合の目的の半分は、単に兵士の不満を聞き、ストレスを発散させて説き伏せる事であり、残り半分は納得した兵士に新しい任務を果たさせる事だ。
 いつものパターンだと誰もが思っていた。饒舌で押しの強いスピーカの大貫が青年を煙に巻き、次の指令に移る。そうなる筈だったのに。そうならねばならなかったのに。
 弁舌爽やかには程遠い青年が吐き出した言葉が、饒舌な大貫を黙らせた事実に、全員が少なからず驚いていた。
 青年の言葉は、明らかに何のテクニックも無い、正直な言葉だった。それなのに、大貫の用意したレポートの意味が180度変わった。会にふさわしくない論拠であった筈のレポートが、正当なメンバー足りえる論拠となってしまったのだ。
 青年は愛おしそうにレポートを眺め、クリアケースごと、彼のトレーナについているポケットに入れる。持ち帰りの許可を得る気はないが、返す気もないと、その態度から読み取れる。片や、大貫の方は、全くの反応ゼロだった。相も変わらず深々とソファに沈み、長い腕を背もたれに置いたまま動かない。脇の桐江が気遣わしげに幾度となく視線を運ぶが、それに反応もしなかった。
 「珈琲が飲みたいなぁあ」
 「淹れましょう」
 その場の雰囲気に一番先に音をあげたのは羽和泉で、その言葉に直ぐに畔柳が動いた。唯夏もそれに続く。
 それをきっかけに、空気が解けた。僕にも下さい、サンドイッチ、まだ有りますか。各人が思い思いに動き出し、他愛のない会話、食器の立てる音、足音、衣擦れの音等が部屋を満たしだす。沈黙は穏やかに掻き消えた。
 唯夏が、冬馬の肩をつつく。運んだ視界の中央にアメリカンの入ったカップを差し出され、Muchas graciasと呟いて素直に受け取る。穏やかな笑みが薄化粧の面にそっと宿って消えた。
 受け取ったアメリカンに口をつける。冬馬はほんの一口、飲み込んでカップを置いた。珈琲など単なる飲み物で、喉を潤せれば良いと思っていたのに、今は違っていた。決して不味い訳ではなかったのに、口に含んだ途端、酷い違和感を感じた。頭ではなく舌が、長沢の淹れたカプチーノとの埋め難い違和感についていけなかったのだ。恐らく、もう珈琲は飲まないだろう。長沢の淹れるもの以外は。
 「全て知っている。何もかも。啓輔の全て……と仰ったか、冬馬君。」
 カップに手をつけぬまま、大貫が言う。落ち着きのある低いバリトンが部屋に広がる。冬馬は思考をちぎられて顔を上げた。
 「少し、興味が湧いた。君の言葉には違和感を感じるな。君は何故長沢 啓輔をここに入れたいと思ったのかね。ネゴシエータ兼相棒と聞いたが、単なる実働隊にそれは必要かね?」
 実働隊。面白い言い方だと冬馬は思う。この男にとっては、冬馬は兵士にも足りない、唯の実行者、実働隊なのだと改めて思う。だからと言って何の不満も不平もないが。
 「実働隊、は知らないが、俺には必要だ。円滑に作業を進められるよう、コンディションを整えたい。誰にも迷惑は懸らない」
 わざとらしい程、大きなため息が漏れる。
 「迷惑をかけない。とんでもない。一般市民をここに入れたら、必ずや弱点になる。蟻の一穴は山をも崩す」
 「大丈夫だ、啓輔は」
 「駄目だ、啓輔は」
 ソファに座った二人の男と冬馬以外のキャストは、珈琲を囲んで朗らかな会話をしている。
 丁度、その中間点の壁際に佇んでいた冬馬は、ゆっくりとソファに近づく。ソファの奥に沈みこんだままの男の彫りの深い貌に、微かな笑みが浮かぶ。自信に溢れた表情には威厳すらあった。
 今、この男は長沢を啓輔、と呼んだのか?
 「ネゴシエータで相棒。つまりは君流に言うと、同志。革命兵士はその言葉を好んで使うな。露西亜でもtovarisch(同志(たち)と言いあっていた。そうかね?」
 「そうだ。啓輔は俺の同志だ。だからここに入れる」
 赤い瞳。白い睫毛に縁取られた赤い闇。冷淡で強圧的な二つの光。
 「同志で…俺のものだ。俺の力の源だ。俺を上手く動かす為に入れた方が得策だ。兵士の力は司令の使い方次第だろう」
 形の整った唇が笑いに歪む。面白い理屈だ、と言う呟きに、冬馬の要請を是とする響きは微塵もなかった。
 「入りたいと言ったのは啓輔の方だろう。ややこしい事態に巻き込まれたが最後、終点まで行き着かねば満足しないのは奴の悪い癖だ。振り回されるな、それが君の為で、我々の為だ」
 待て。
 本能が警鐘を鳴らす。大貫の言葉の全てに所有権を感じる。自分の物である筈の宝を、無関係な男が捨てろと言い放つ。理不尽な筈の言葉に宿る、奇妙な説得力はなんだ。正当性を担保されたかのような、絶対的な物言いはなんだ。
 男は財務省の主計官。財務省と言う呼び名は最近出来たもので、少し前は違う名で呼ばれていたと聞いた。確かそれは、銀行と密接な関わりを持つ省庁ではなかったか。
 腹のポケットからクリアケースを引き出す。十数年前の長沢が生きているレポートを見下ろす。
 「あんたは言ったな。何処から得た情報なのか、一滴残らず啓輔が吸い上げたと。おかしいな。その情報、何処から来た?
 啓輔は洞察力のある男だ。少しのデータから驚く程大きな情報を引き出してくる。だがその啓輔も、元の"データ"が無くちゃどうにもならない。そのデータ、誰が与えた?
 大貫さん、あんたはその頃、何処に居た。財務省……にいたんだよな?」
 彫りの深い、整った顔に凄みのある笑みが浮かぶ。寛いだ姿勢のまま、良く分かったね、と言わんばかりに軽く二度、大きな掌が拍手をする。おどけた仕種では、無かった。
 「その頃はまだ大蔵省と言ったがね。
 悪い事は言わない。啓輔は止めて置け。ろくな物じゃない。保障するよ、何しろ。
 ……… 私の使い古しだ」
 

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