全員の携帯に、羽和泉からのコールが入ったのは13時過ぎ。各人の行動は迅速だった。 最も迅速だったのは垣水第一部長で、情報に誤りは無い事と情報漏洩元は自分ではないと言う事を全員に伝えてきた。その情報が届いたのは、羽和泉の発した第一報から僅か1分後。その余りな迄の迅速さが、垣水の動揺を全員に伝え、全員にそれが感染した。 動揺は二段階だった。一段目は情報が漏洩していた、その事自体。二段目は動議主が情報は正しいと請け負った事である。 メンバー七人中、この情報を知っているのは多くとも三人。時と場合によって動議主及び羽和泉か大貫が知っている事が有り得るが、確定事項ではなく、最大限でもそこどまりだ。動議主より先に第三者の手によってターゲットの名がメンバーにもたらされた事は無い。メンバーにとってはすこぶる重大な事件だった。 この三人の誰が情報源だとしても、それは大問題だ。何故なら彼らこそが、メンバーの収集元であり、彼らこそがメンバーの礎だからだ。この一件をただの情報漏洩ミスと片付ける事は出来ない。 弁明に意味は無かった。情報が漏れた時点で、凡ての弁明は言い訳に過ぎない。誰が漏洩元であれ。 一般人に情報を提供すべき利点など何一つ無い。漏洩元に下される裁きは粛清以外にありえないからだ。 全員に芽生えた疑問は唯一つ。何故、一般人にターゲット情報が漏れたのか。結論も唯一つ。可能な限り早急に会議を設け、メンバー中でただ独り真相を知る筈の青年に聞かねばならない。 羽和泉基の第一報を、大貫は自らのオフィスで受け取った。 昼食ミーティングを済ませ、そろそろ提出時期を迎える予算案の最終チェックに懸っていた頃だ。ノンキャリに任せ切りにはせず、細かい数字にも眼を通す大貫にとって、雑事は純粋に雑事でしかない。舌打ちと共に携帯をとり、内容を一読する。思わず笑みが零れた。 情報の漏洩元に、情報漏洩を伝える一報が滑稽だった所為もある。羽和泉を初めとした全メンバーの反応が余りにも予想通りで滑稽だった所為も有る。だが、大貫が笑った理由はそこではない。 記憶力は衰えてはいないのだな。 それが不意に笑いを呼び起こしたのだ。 大貫が羽和泉の妾腹の子に言ったのは、全く関係ない一言だ。それが一般人に伝わって、答となった。言葉自体に意味など無い。そこを責められても、大貫に恥じる所は一点も無い。ただ。その言葉には歴史があった。 あの男と使った符丁は、それこそ数え切れない。会話は多岐に渡ったし、他人に理解されるのを恐れて、つまらぬ物も符丁で呼んだ。一度しか使わなかった物も数え切れない。一度確認した事を忘れる人間は嫌いなので、彼に二度同じ解説をした憶えはないが、あの男が符丁を取り違えた記憶は無い。 "今半屋"は、そんな符丁の中の一つだったのだ。特別多用した覚えもないし、該当人物とあの男に特別記憶に残るような折衝が有ったとも思えない。つまらない言葉遊びの、小さなピースの一つに過ぎなかったのだ。 それを憶えていたのか。今なら少しばかり賞賛の気持ちが持てる。それが奇妙におかしかった。 歳を取ったのかも知れぬ。 大貫にとって、過去は単純に自らの軌跡に過ぎなかった。来し方を懐かしむ事も謂れも無く、わざわざ思い出さなくても忘れていない過去のあれこれを、改めて記憶の前面に持ってくる必要性も感じない。だと言うのに。最近、時々驚くのだ。無意識にかつての記憶を取り出しては、幾度と無く同じシーンを愛でている自分に。 あの男との再会は、大貫が松江の税務署長の任からとかれ、主計局に戻ってそう時を得ない89年の事だった。新都銀行のMOF担として大蔵に入って来た彼に、最初に言った一言も覚えている。 身分不相応だな。 年月を経て、多少は態度に変化がある事を期待しての台詞だったが、男の反応は全く変わっていなかった。一瞬驚いた顔をして、その後にゆっくり困ったように苦笑する。敵わないなぁ、大貫先輩には。そう言って眼鏡の隙間から見上げられて、人間と言うのは一生変わらない物なのだと呆れたのを憶えている。 東大法学部出の人間がキャリアの多くを占める大蔵省(現財務省)では、官僚の相手をする「対大蔵省折衝担当」、通称「MOF担」も釣り合いが取れるように東大法学部か経済学部出身の者が選ばれるのが普通だ。あの男が東大出では無い事を知っていたから出た一言だった。恐らくはコンプレックスを持つ一般人にとっては相当辛辣な。あの男にもその効果を期待したのに。あの男の笑みに、見慣れぬ感情など淀む様子はなかった。あの男。 遠い昔。お互いにまだ少年と言える時代に会った、ちっぽけな存在。 あの男。長沢 啓輔。穏やかで表情豊かで、ポーカーフェイスの―― 弱者。全く変わらない。 折衝があったのは、「大蔵省」の時代だった。 98年に大蔵省から金融庁が切り離され、銀行業務が大蔵管轄下から金融監督庁にスライドした。その時点で大蔵と銀行は遠ざけられ、2001年の省庁再編成でそれは完全となる。大蔵省は完全に解体されて金融庁と財務省になり、金融庁は内閣府の外局となった。MOF担と言うものは事実上消滅した事になる。 勿論、名を変えて現在も折衝担当自体は存在するが、当時とは随分様変わりをしてしまった。かつての濃厚な官僚とMOF担の関わりは今はもう無い。 大貫自身、数多くのMOF担に否応なく触れて来た。満足した覚えは一度もないし、優秀と認めた者も一人としていない。 が、振り返れば最も優れていたのは、東大出でもない、見分不相応と大貫が馬鹿にした長沢と言う男だったと、今更のように思うのだ。 当時は長沢の至らなさに随分と苛つきもし、事務官が退く程の叱責もした。不甲斐なさが腹立たしくて、わざと彼に不利な情報を流した事もある。勿論、大貫は偽りの情報を流した事などは無い。MOF担との付き合いなど、正式業務の内に入らぬのだから、嘘をついても一向構わないのだが、そこは大貫のポリシーに反した。 行き過ぎた接待を嫌い、他省庁との予算折衝の場に引き回し、MOF担を時間外のオフィスに長々と拘留して詫びもしない。夜の街の嬌声や、女の胸や尻に惑わされない。歓楽街での秘め事を共有する事もない。そんな大貫を、殆どのMOF担は敬遠した。 中央省庁の官僚だから、精々持ち上げて付き合うものの、実際はMOF担は官僚を見下している。彼らが敢えて官僚に傅くのは、官僚の何倍ものサラリーと、官僚接待と言う名目で夜の街を闊歩し、女を抱いても必要経費に計上できる特権を享受したいからだ。自らの銀行の未来の為に、大蔵官僚の我侭にじっと堪えている者など、実質そこには誰一人としていなかった。 大概のMOF担がそうして大貫を敬遠し、もっと別の居心地のいい取り付く島を見つける。回りに群がっていたMOF担が一人減り二人減り、ある日すっかり眺めの良くなった大蔵省にぽつんと一人だけ残っていた。 長沢啓輔。初めて出会った頃は五分刈りの少年だった。この男だけは、きっとずっと変わらない。そう思った。 他のMOF担のように情報に踊らされて大失敗をしたという話もついぞ聞かず、どこぞの女に入れあげていると言う噂もなかった。ただ淡々と大蔵に来て、帰って行く。それでいて、彼の属する新都銀行が何らかの割を食ったという話も無い。穏やかで目立たず、大きく取り上げられない替わりに無視もされない。自然に他の派閥とも繋ぎを取りながら、気付くと大貫の脇に居る。物好きだなと言うと、いつもただ笑う長沢が、一度だけ言った事がある。 ハナには自信があります。何かが起きる、ぞくぞく出来る、その匂いには敏感だ。今の大蔵で、その匂いがするのは貴方だけですよ。 抽象的極まりない表現で、その時も大貫は下らない戯言だと一蹴した。その実深い所で納得していた癖に。
桐江一等陸佐から連絡が入ったのは業務終了の時刻だった。
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