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夢を見た。
店長がいなくなる夢。
考えられないほどの喪失感。
店の名前の彼が居ないのは、夜の来ない新宿のようなものだ。
もう居ないはずの後輩ホストが夢に現れて俺を慰める。
「心配すんなって光先輩!俺が必ず…!」
必ず?無理だ。
だって店長は夜の闇に呑まれてしまった。
俺達と違い、体ごと。
新宿の片隅にあるホストクラブ兼バー『キッド』。1週間前にその店の店長がいなくなった。その2日前にはNo1ホストがクビになった。
全てが急に起こった事だった。
10日ぶりに店を開けるからと出勤したら、新しい店の主の蔵馬さんは隠してはいたが明らかに怪我をしていた。
全てがきな臭かった。
「皆も気付いているとおり、店長は居ない。だが、必ず戻ってくると言っていた。
だから店は閉めない。今までどおりに働いてほしい。お客さんにも色々聞かれて困るだろうが、俺にも本当のことなどわからない。皆にうまく説明できなくてすまないと思ってる。」
本当のこと。
「さ、開店だ。」
本当のことって何だ?
俺は、夜の闇が姿を現したとき、何をしていた?
「光。今日から君がまたNo1だ。」
あの夜。店が始まる前に店長は俺一人にこう言った。
「亮にはやめてもらったんだ。」
俺はかなり驚いたが、ある程度予想していたことだった。
「店長、一応言わせてもらいますけど、亮は店長を庇って…。」
「わかってるよ。昨日は僕のせいで皆に迷惑をかけて悪いと思ってる。何とか切り抜けられたけどね…。」
昨日は夜の新宿が牙を剥いた一夜だった。営業時間中に、店長の、いやこの店の元パトロンであるやくざの手下達3人が乗り込んできたのだ。奴等の目的は、光の目の前に居るこの牙の一つも無さそうな青年だった。
この青年が真正面から戦うのを初めて見て、光は正直感嘆した。
緊迫した事態の下で光はのんきにそんな事を考え、客と他の同僚と共に見ているだけだったが、亮は違った。亮もまた真正面から戦った。それも、馬鹿正直に、余計に煽るやり方で。亮らしかった。
そして案の定亮は怪我を負ったが、店長の啖呵でやくざは去っていき、怯えていたギャラリーは一気に盛り上がった。見世物としては結果的に最高の締めくくりだっただろう。
だと言うのに。見世物の主役をはった、店長に加担した彼がクビになる理由は一つしかない。
「これからあんな事が起こって、また怪我人なんか出してちゃお客さんが逃げちゃうだろ?ここは危険な店だってね…。」
店の控え室は暗くもないのに、この角度からは店長の顔がよく見えない。
「光、これからあんな事が起こっても、余計な口出しはしちゃ駄目だよ。怪我だけじゃ、済まないかもしれないよ。」
亮を解雇したのは亮のため。
ここ何ヶ月かの間に亮と彼との間の信頼度と新密度が日毎に増していったのは、光も知っていることだった。
そう。ある程度予想していたことだ。亮の解雇も。その理由も。
だが、言葉にならない胸の痛みが光を襲う。
光先輩はもう抜かしたからな!次は店長に追いついてやるぜ!
そう言った生意気な後輩はもういない。
だが光は胸に生じたその痛みを、目の前に居る青年に気を取られ、気付かないふりをした。言葉にも態度にも出さないようにしているが、光にはわかってしまった。
彼がとても悲しんでいることが。
これ以上俺が何を言う必要がある?
言葉をいくら重ねても相手に届かなければ意味が無い。光はその事を知っていた。
「店長、亮の件了解しました。…残念ですけどね。
そうそう、あんたが結構強いって事もよっくわかりましたからね。口出しなんて、しませんよ。」
そう言うと、キッドはふっと笑った気がした。相変わらず表情はよく見えなかったが。
「うん。…そうか、光も亮に随分目をかけていたんだよね。…ごめんね。」
なぜ謝るんですか。そう訊きたかったが、言い出せなかった。店長もそれ以上何も言わなかった。
「さ、開店だ。」
「はい。」
店長と共に控え室を出た。
大丈夫。あいつだって、亮だってキッドの気持ちを汲んでいることだろう。店の名前の彼のために、自分が亮の分まで埋めてみせよう。
光はそう思った。
その夜は、亮が居ないという点を除いて、いつも通りの夜だった。
次の日もいつも通りに出勤すると、定休日でもないのに店が閉まっていた。
嫌な予感が俺を襲う。
1週間後に蔵馬さんから店長がいなくなったと知らされた。
詳しくは言わなかったが、俺達はわかっていた。店長はやくざにさらわれ、本当に帰ってくるのかさえ怪しいと。
それ以来、夢を見る。
店長がいなくなる夢。
考えられない程の喪失感。
その度に、亮が出てきて俺を励ました。
「心配すんなって、光先輩!俺が必ず連れ戻してくっから!!」
無理だ。無理だよ、亮。
夢の中だというのに、俺は亮の言葉を否定していた。