□ SOMETHING CAFE □
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*** とある准教授の日々 3 ***


 「慎先生、ご本、有り難う御座いました。非常に為になりました。生の言葉と言うのは、説得力がありますねぇ」
 オープンカレッジのクラスが終わると、長沢君が私の机までやって来た。
 貸した本を半透明の小綺麗な袋に入れ、人懐こい笑顔と共に、うやうやしく差し出してくる。正視が出来なかった。
 
 高樹君は一通りの状況説明を終えると、黙り込んだ。
 乱暴、しました。
 その言葉と、垣間見た映像が重なる。乱暴、と言うのはああ言う事か。
 普通、男に対する乱暴と言えば、殴る蹴るの暴行を指す。乱暴と言う言葉で性的な虐待を思い浮かべるのは、若い女性に対してだけだ。だがそれには、どうやら例外が有ったらしい。
 勿論、いわゆる暴力も有ったのだろう。血に塗れた顔はそれを証明していた。だが。
 それだけではなかったのだ。何とか言う喫茶店の店主を殴り、傷つけ、金品を奪い、そして。性的に陵辱した。その総てが"乱暴"なのか。その総てが傷害事件だったのか。
 「君が殴って……拉致した?のか…?」
 俯いていた青年が顔を上げる。呼吸には微かに鼻をすすり上げる音が混じっていた。
 「いえ。僕は運転手でした。何が何やら分からない内に、あいつらがマスターを運び入れて。凄く手馴れてました。呼吸を塞いで、落ちた所を眠らせたて連れて来たみたいです。無傷でした。凡ての事は車で…」
 車で。
 「手馴れてるって……」
 「後から知ったんですけど。彼らは三隅一家と言うヤクザの構成員だったそうです」
 ああ。曖昧に頷いて口を閉じる。混乱は少しも整理されない。必死に、起きた事柄に自前のラベルを貼って行く。
 長沢君は"襲われた"。高樹君は"関与していた"。主犯は"清水"と言うヤクザで、傷害事件として処理され、高樹君は逮捕された。
 「じゃ、当然主犯も逮捕されたんだよな。刑期なんかは…」
 「いえ。逮捕される前に死にました。仲間割れをしたらしくて、三人組の根城になってたマンションで、死体で見つかったと聞きました」
 混乱する。平和な日本の日常に、刑事事件などそうは起きない。だと言うのに。高樹君の話は刑事事件のオンパレードだ。拉致監禁、暴行、レイプ、そして殺し合い。オチはつまり殺人だ。
 高樹君が関与したのは暴行までのようだが、それにしても驚きだ。いや、待て。
 「聞くからには、全部聞くよ。君が関与したのは、拉致監禁、暴行、そこまでだよな。その後の殺人には関与してないよな」
 「してません。寝耳に水でした」
 少しばかり安心して頷く。だがこれで凡てではなかった。言葉が口の中で突っかかる。
 「……レイプは?」
 一瞬、驚いた顔をした青年が、何か言いかけて口をつぐむ。唇を真一文字に引き絞って俯く。うるさいほどの静寂が、研究室を満たしていた。
 
 「慎先生?」
 はっ、として目を上げると、そこに長沢君の顔が有った。
 思考に沈んでいたのはどれくらいの時間だったのか、気付けば何度も名を呼ばれていたようだ。考え事をしていた、と在り来たりな言い訳をすると、髭面がにっこりと笑みを浮かべた。
 良い笑顔だと思ったのに。
 好きだと思ったその笑顔が、今は直視出来なかった。同情したからでも、秘密を垣間見た罪悪感からでもない。勝手な理屈だと我ながら思うが、汚らわしい、と感じたからだ。
 善人のような顔をして、いい年をしてヤクザの下っ端と乱交する男。しかもそれを、他人の目に晒して恥じない、破廉恥な男。淫乱で、露悪的で、恥知らずで最低最悪の男だ。被害者面をしているが、実はそうした性癖の持ち主で、望んでいたから事件を引き寄せたに違いない。乱暴されて喜んでいたのだ。そうに決まっている。
 汚らわしい。
 「それで、お礼がしたいんです。前回は俺が良い店を教えて頂きました。今回は俺のお勧めの店に是非ご招待したいんですが、お時間有りますか?」
 「いや。結構だ」
 即答すると、黒眼鏡の奥の目が大きくなった。
 「お気になさらず。参考になってよかった。今日は急ぐので、失礼」
 何故、そう感じたのか、今となっては分からない。だがその時私は、彼に酷く裏切られたような、騙されたような気がして、腹が立って仕方がなかったのだ。
 
* * * * * *

 クラス終了後に十数人で連れ立って呑みに行った。
 このクラスは仲間内のサークルのような物だから、誰か一人が呑みに行きましょうよと言い出せば、そうするかと言う事になる。
 毎回必ずと言う訳では無いが、少なくとも月に一回はこうなるので珍しくは無い。極自然な流れで決まった事柄に、私は何の感慨も持たなかった。気の合う仲間と下らぬ事を話しながら教室を出る。
 視界の片隅に、一人ぽつんと佇んでこちらを見ている姿が入り込んだ。
 違和感が有った。ああ、と思う。彼が足早に近付く気配に顔を背ける。微かに脈動を強める心臓を笑い飛ばして、私は教室を出た。その人影が追い縋ってきたのか、それとも立ち止まったのか、私は見ていない。足音も聞いていない。
 
 よく利用する居酒屋に落ち着き、まずはビールで乾杯した。枝豆、から揚げ、揚げ出し豆腐に漬物の盛り合わせ。食べ慣れたつまみと酒。仲間の何人かは、未だに煙草が手放せない。見慣れた顔と会話と、煙草の煙。何度も聞いたBGM、壁のシミ、いつもの不平。
 心地良い酔いに包まれる。空腹感が酒でボケる。その癖、つまみの味も上るのだから、油断すれば太るのが道理だ。
 穏やかな気分になる。と、急に。
 罪悪感が沸き出て来るのだから性質が悪い。
 ―― 困ったような表情でこちらを見ていた。
 今日は急ぐと言った舌の根も乾かぬ内に、私は生徒達と連れ立ってクラスを出た。これ程あからさまな嘘は無い。
 私は彼に"裏切られたようだ"と憤慨したが、裏切ったのは私の方だ。友達になる寸前で、その人に嘘をつき、たった一人、彼を教室に置き去りにしたのだ。
 ほんの一瞬、私に向けられた瞳に気付かなかった訳ではない。はっきり分っていて、私はそれを無視したのだ。
 彼は怒ってはいなかった。むしろ。仲間に入れて貰えませんかと、こちらを伺う表情だった。私はそれに背を向けて教室を出たのだ。
 「先生、今日酒少ないっすよ!何すか。次の作戦考えてるんですか」
 ビール瓶を持って生徒が私の隣に座る。私は彼に向けて、空のコップを突き出した。
 「まだまだ。もう少し入らないと作戦は浮かばないな」
 
* * * * * *

 
 いつもより、やや量を超した気がしたが、意識ははっきりしていた。
 仲間と別れ、電車に乗る。自宅最寄の駅に着いたら、携帯で家に一報を入れるのが習慣だ。妻が出て、あら、お早い事でと皮肉を言う。酔ってまーす、と答えると、転んだりしないで帰って来てよ、と電話が切れた。
 悪い事をしたな、とぼんやり思う。
 ちらりと見た画像で、彼は怪我をしていた。高樹君の証言では、彼は被害者だ。責められるべき対象は、彼では無い筈だ。
 だと言うのに、私は彼に腹を立てた。汚らわしいと。恥を知らぬと。自ら望んで被害者になったのだと彼を非難した。その怒りは理不尽だ。
 私は、同性愛に理解が有る方では無い。男同志のSEXは見た目も綺麗とは言えぬし、生理的に納得出来ない。勿論、前立腺の快感は理解するし、肛門性交でそれが味わえる理由も分っている。だが、いわゆる学術的理解と共感による理解は違うのだ。"ケツを貸す"のはお断りだ。気持ちが悪い。拒否感が強い。死守したい。
 だから、正しくその行為をしていた彼に嫌悪感を覚えたのは正直な感覚なのだ。ここまでは、幾ら責められても仕方が無い。私個人の感覚で、そう容易く変えられる物でもない。問題は。
 彼は被害者だと言う事なのだ。
 私は間違っている。被害者を責めるのは、文化的ではない。それではまるで、"姦淫の罪は必ず女に有る"と言いきる未開の宗教裁判では無いか。被害に遭い、意に沿わぬ行為を強いられた相手に、汚らわしいなどと言う罵倒は言うべきではない。理不尽だ。どうにも、理不尽だ。
 「あれ?呑んで来たのにご機嫌じゃないの?」
 玄関口で迎えてくれた妻を抱きしめる。滅茶苦茶にキスをすると、酒臭い、酔っ払いと軽く叱られる。肩を借りて書斎に着くと、彼女が封書を私の頭にぽんと置いた。
 「生徒さんから"重要"書類だそうよ」
 悪戯っぽく笑って、踵を返す。じゃあ、私は先に寝るから、貴方も遅くなる前に寝てねぇ。軽やかに笑顔が去って行く。私はその後ろ姿に、行儀の良い返事を返しながら頭の上の封書を取った。
 思えば、彼女を妻に選んだ理由は、あの笑顔だったかも知れぬ。
 目立つタイプでは決して無かったが、一人こつこつと努力するタイプだった。目立たないから大人しいかと言うと、とんでもない。
 静かだが、決して自分の主張は譲らない女性で、大声のデカブツ男が諭されて彼女に道を譲る光景も幾度も見た。そんな時に彼女が見せる、ちょっと得意気な笑顔に惚れて凡てが始まった気がする。あれからもう四半世紀近く経ってしまうのだから恐ろしい。
 思い出し笑いをしながら封書を開ける。何も書かれていないDVDが出て来て、理解しかねて封筒を見る。差出人は高樹君だった。
 慌てて封筒を探る。四つ折にされたレポート用紙が一枚だけ出てきた。
 心臓がハイテンポで動き出すのを自覚しながら、酔っ払った指で不揃いに折られたレポート用紙を開く。真ん中に素っ気無い文章が踊っていた。
 
 お話は凡てしました。これで全部です。処理をお願いします。
 
 どきん、心臓がこめかみで鳴る。
 凡て。凡てか。最後に残ったものがこのDVDで、その処理を私に任せると言うのか。
 DVDを握り締める。内容の予想は……あまりに容易かった。
 
* * * * * *

 一番良い処理法は分かっている。
 このまま、薄い円盤を片手で捻り潰してしまえば良い。プラスチックとメタクリル樹脂とアルミで出来たこの円盤など、割ってしまえば良いのだ。
 割る事など容易い。握り潰すか踏み潰すか。放り投げたって良い。そうして壊してしまえば、恐らく一人の男が打ちのめされたであろう事件を、永遠に闇に葬る事が出来るのだ。そうしてやれば良い。それが一番良い。
 薄いケースに入れられたそれを、暫し掴んだまま躊躇う。見るべきではないのだ。良く分かっている。他人の恥を見ないのは情けだ。慈悲だ。
 少なくとも。友情を感じた相手の恥なら、見ずに捨ててやるのが情と言う物だ。
 少なくとも。
 ディスクを持つ手に力を込め……そして立ち上がる。
 昨夜この画像を垣間見てから、自分はおかしいのだ。意味不明の苛立ちに苦しみ、生徒に対して教師として有るまじき態度を取った。訴えを無視して冷たくあしらい、あからさまに孤立させた。そうして。
 いまだにずっと腹を立て続けている。
 理不尽だ。理不尽極まりない。自分はおかしい。どうかしているのだ。理屈では重々理解しているのに、理不尽な怒りが去らない。原因はたった一つだった。
 手の中のディスクを見つめる。原因はこれだ。
 そうだ。原因はこの手の中のディスクに納まっている。
 この画像だ。昨夜ちらりとだけ垣間見たこの画像なのだ。こんな理不尽な怒りと感情を持ち続ける理由は、今、私の手の中の薄っぺらなディスクに鎮座し、私を手招きしているのだ。お前に見せてやる。見たいのだろう?ここにはお前が気になって仕方ない真実が、事件の総ての顛末が入っているのだ。どうだ、見たいだろう?
 ディスクを掴む。
 そうとも。
 見たいのだ。知りたいのだ。見ずに済ませる手など有るものか。
 意を決して、椅子からほんの数歩のTVデッキに歩み寄る。先程までふらついていた足下は、今は不思議なくらいしっかりしていた。DVDデッキのスイッチをいれ、トレイを落とし込む。切り替えボタンをHDDからDVDにして椅子に身を放り投げる。シートに包まれてリモコンを操ると、黒かった画面にDVDの画面が写った。
 雑音が零れ出て慌てて音声を絞る。TVモニタが扉の方を向いてない事に、この時ほど感謝した事は無い。
 画面ががくんと揺れて雑音が入り、画面の揺れが収まると同時に音声がクリアになった。
 助けて。たす……けて。
 かすれた彼の声が、私の部屋に充満した。
 
* * * * * *

 見覚えの有る画面から、動画は始まっていた。携帯の小さな画面で見るのとは違い、多少画面が荒れているが、それでも細部まできちんと判別の付くレベルだ。
 明らかに、手持ちの携帯のムービー機能で撮られた動画は、最初はノイズと共に始まった。恐らくはこの動画を撮っている携帯が、持ち主の服に触れた為のがさがさと言うノイズは、画面が対象に近づくとクリアになった。
 ごくり。自分の咽喉が立てた奇妙な音が聞こえなかった訳ではない。
 〔た、すけて…〕
 長沢君。心の中で再確認する。掠れているが、これは確かに長沢君の声だ。長沢君が目の前に居る。首の下に続くのは、見た事の無い彼の素肌だ。
 画面の中から、長沢君の掠れた声と共に、手が追い縋る。袖口辺りに掛かった手の向うに、涙を貯めた瞳が見上げる。恐らくは、ほんの一瞬なのだ。その目がカメラを見つめたのは。心臓が一瞬、奇妙な高揚感と罪悪感にわななく。涙を溜めた瞳がぎゅっと閉じられた。
 がくがくと、後ろからの振動が画面の中の体を揺する。若い腕が彼の頭を掴んでシートに押さえつける。その後に零れた声は別の男のものだった。
 〔媚びてんじゃねェよっ…! ん、うんっ…!〕
 携帯画面が、男の声に反応してかしぐ。男の腕からそれて、押さえつけられた滑らかな背中を映し出す。男がその背中に続く場所に身体を叩きつけていた。胴の辺りをきつく掴み、細い身体を引き寄せては、自身の体を叩き付ける。低い悲鳴が零れた。
 荒い息。シートと肌がこすれあう音。肌と肌がぶつかる音。そして。粘液質の、ぐちゃくちゃと言う音。きつく掴まれた腹の中に捻り込まれる物が立てる音。長沢君の中が立てている音だ。
 やめて。いやだ。そんな言葉は男も女も変らないのだと初めて知る。
 酷い、と頭の片隅が思う。シートに押さえつけられ、無理矢理に受け入れさせられている身体は、間断なく悲鳴を上げている。後ろの男に突き上げられる振動と、自身の震えと呼吸に、止めてと懇願する声さえ震える。深々と欲望を捻り込んで、背後の人物が胴震いし、組み敷かれた身体がきつくシートを握り締めた。漏れる声が示すのは明らかに嫌悪だ。
 それでも、心の片隅は、まだ信じない。喜んでいるんだろ?こうされて嬉しいんだろ?画面の中にぐったりと横たわる人物の姿に、そんな悪態をついているのだ。
 〔駄目な大人だなあ。抱いてる奴無視して、他に助け求めちゃう?後ろだと見えないから、忘れちゃうのかなぁ?〕
 マスカレード。そんな名の付く場所で良く見る仮面だ。タキシードでも着て、シルクハットをかぶっていれば違和感も無い物を。画面の中の男は仮面と、白いシャツ以外には何も身に纏っていなかった。痩せてはいるが、若い筋肉で覆われた体躯は強靭で、男一人を片腕で持ち上げるのも容易いようだ。くずおれた男の頭を掴んで、軽々と引き起こす。
 長沢君は痩せ過ぎだ。だからそんな風に軽々と扱われてしまうのだ。
 後ろから頭を掴まれ、画面の真ん中に朦朧とした顔が持ち上がり、そのまま後ろに引き摺られる。一瞬だけ大写しになった顔は、自らの涙と血と唾液と、誰かの精液で汚れていた。眼鏡を外した目許が予想外に大きくて可愛らしいのが哀れだ。恐らく殴られたのだろう、鼻から咽喉元にかけて、幾筋もの赤い軌跡が滴り落ちていた。
 車が路面を叩く音が大きくなったと思うのは、長沢君が画面の奥に引き摺られて行ったからだ。恐らくは運転手が持っているのだろう携帯は、微かに方向の調整はしているもののシートに視界が阻まれる。ひきづられる長沢君の身体が行く先は、シートに隠された死角だった。
 〔じゃー、それが出来ないように前からやって貰いましょーねェ〕
 ずるずると言う重い音の後、幾つかの雑音が続く。画面の中には、仮面の男が後ろから長沢君の身体を抱き、運んでいる姿が映し出されていた。微かに抱き上げて、ゆっくりと身体を下ろす。着地させる。その途端に細い身体がびくんと引きつった。
 〔うあ"……あ、ぁ"あああ!〕
 死角に両手をつっぱる。今迄ぐったりとしていた身体が、おこりにでも掛かったかのように震え、腕を突いて身を剥がそうとする。後ろから抑えていた男はその身体を離し、死角からカメラを受け取る。それでやっと分かった。死角には人間が居るのだ。
 長沢君は、目の前の身体に腕を突き、そこから逃れようとしているのだ。それより早く、太い腕が画面に現れた。
 〔おっとっと。逃がさねェよ〕
 〔ぁ"あ"……!〕
 細い胴を、大きな掌が包み込んで引き寄せる。必死で避けようとする背中が反り返るのも許さない。叫びかけた呼吸が、ぐちゅりと言う音と共に引きつるように止まった。
 
* * * * * *

 引きつった身体を、そのまま逞しい腕がやんわりと固定する。ゆっくりと沈む体がどこに何を収めたのかは映らずとも分かった。
 ひっ。
 悲鳴とも呼吸ともつかぬ声の後、男の腕に固定された身体が呼吸とは違う物に震える。零れるのは悲鳴ではなく嗚咽だった。両腕を死角に叩きつけ、突っぱねたまま嗚咽に震える。
 もう。
 涙声が言う。
 〔もう…っ、許し、て。も"ぅ…や、だっ…! や……〕
 ずきん、と胸の奥が痛んだ。
 死角から腕が伸びる。腰を支えて抱えなおす。突っ張っていた長沢君の腕が逆に死角の体を掴んだ。
 〔ぅあ、あ"。ああ"ぁ…!〕
 〔オサン、可愛いな。でも、許してやんないよ。もっと楽しも。…な〕
 がくん、と身体が揺すり上げられる。その振動を少しでも緩和しようと、長沢君が相手の身体に捕まった事は直ぐ知れた。
 死角に居る人間の手が、長沢君のむき出しになった背を這う。支える。支えて、一度強く突き上げた。
 あ。
 叫びとも泣き声とも付かぬ声が漏れ、そのまま呑み込まれる。一瞬、それを圧して上った低い声は、死角に居る男の物だ。画面の奥で太い腕が長沢君の腰を掴んで引き付け、その身体の奥の何か毎揺り動かす。細い身体が跳ね上がる。男の腕に支えられ、男の動きと共に動く。その度に男の低い声が漏れ、長沢君のか細い悲鳴と呼応した。
 ぐちゅぐちゅと、粘つく音が零れ出す。生々しい動きで腰が動く。身体の中をかき回している男の快感は画像には映っていない。だが匂うようだ。徐々に性急になる震動の中で、長沢君が一度大きく息を呑んだ。
 んっ。
 男の手が長沢君の頭を取る。下と違うリズムで動く頭から、ああ、と思う。
 下も上も、死角の男に犯されているのだ。
 んん、声が上がる。
 〔んん"、ん"っ、ん――!!、――!〕
 男の手が細い腰をきつくきつく、自らの身体に引き付ける。震えるような震動が、男が長沢君の中で弾けた事を知らせていた。
 引きつる太い腕が、背を掴む。良いとは言えない画面の奥で、はっきり確認出来る程、その肉に指を食い込ませる。痩せた体を掴んで震え、駄目押しをするように震えの途中で引き付ける。最後の一滴まで流し込もうとするかのようににじり入れる。自分の咽喉が呑む生唾が、何度目か、もう分からない。
 あの中で。
 達するのはどんな感覚なのだろう。
 人体の中で一番温度の高い場所は、快感を高めるのに向くのだろうか。ただの排泄口だと言う思いは湧き上がっては来なかった。想像するのはただ、快感のみだった。
 人懐こい微笑が蘇る。
 久々に、友達になりたいと感じた存在だった筈なのに。
 泣き声と嗚咽と、本来なら痛々しいと感じるべき陵辱の場面を見て。
 下半身がどうしようもなく疼くのはどうしてなのだ。
 椅子の背に身を放り投げる。画面の奥で床に放り出される人影を見ながら、先程からきつく感じるズボンの前に指を這わせる。自責の念は僅かだった。今はただ、楽になりたかった。
 三人の若者が次々に押し入ったその場所の感触を想像しながら自らに手を這わせる。仕方ない。これは。これはただの本能だ。男の本能はそう出来ている。入れて突き上げ、かき回して、放つのが本能なのだ。
 低い話し声が画面から漏れてくる。嘲って笑う声。低い咳払いと掠れた声をBGMに自らの物に指を絡める。たった今見た状況を反芻する。行為の理由には充分だった。
 ほぼ同時に鈍い、肉のぶつかる音がして驚いて目を上げた。
 カメラフレームが切り替わり、足下から、馬乗りになって居る背中が左右に大きく動いていた。鈍い音は、フレームアウトして映らない床から、動きと同時に響いてくる。床に寝転がった人物を、馬乗りになった人間が殴っているのだ。画面を大きな拳が横切り、それに心臓がどきりと喚いた。
 傷だらけの拳に見覚えがあった。
 いや、拳そのもの、ではない。だがその状態が、拳の持ち主の身分を知らせたのだ。
 実験でガラス細工を使う為、細かい切り傷や火傷が絶えない。猿楽町界隈でそんな手の持ち主と言えば相場が決まっている。理学、薬学、科学部の人間の物だ。そうだ、理学部の。
 高樹君の。
 思わず身を乗り出す。馬乗りになった背中が二三回、鈍い音を響かせた後に丸くなる。カチャカチャと聞きなれた音を響かせる。ベルトの金具と、ジッパーの開閉音。衣擦れと。そして。
 「…は」
 〔!はぁあっ、やめ…って…!お願っ…〕
 画面の中に身体が沈みこむ。指を絡めた場所を握り締める。擦る。呼応する。長沢君の掠れた悲鳴を聞きながら行為を始める。
 長い時間ではなかった。数回の注挿で、直ぐに画面を大きな身体が占領した。
 〔青年。手伝ってやんぜ〕
 画面がブレる。人影、掌、回る視界。ガン、と言う衝撃と雑音。ブレた画面が残像を振り切る。息を呑んだ。
 映ったのは背後から腕と腰を掴まれた長沢君の裸身だった。胸まで捲り上げられたシャツは、肉の付かない腹から腰の細さを強調していた。中央が黒くボケているのは、ここに人がいるからだ。つまり。人の腹の上に押し付けられた長沢君を、床に落ちたカメラが映し出しているのだ。
 ひっ。
 食いしばった口許から、半透明の雫が糸を引く。首周りから肩しか隠していないシャツに、鼻血が滴ってしみを作る。閉じられていた瞼が、衝撃に持ち上がる。ほんの瞬間、長沢君と目が合った気が……した。
 「はあっ」
 〔ほーれほれ。いいだろここらがv〕
 逞しい腕が、軽々と男の身体を弄ぶ。腕には見覚えがあった。画面の奥で細い背中を握り締めた同じ腕が、今は長沢君の背後に回ってその身体を動かしている。先程までは自身を埋めていた場所を、今は他人に犯させている。ここら、と言う言葉がリアルに感じた。
 長沢君の背中に腕を一まとめにし、その腕を引き上げて身体を持ち上げる。次には肩を掴んで深い部分までその身体を落とし込む。落として深々と押し入れる。その繰り返しだ。
 〔あっ、ぁ"、やめ……もぅ。やめっ……〕
 息も絶え絶えな懇願が、掠れて呻き声になる。歯を食いしばって俯く。男は直ぐにその頭を掴んで上向かせる。ぎゅっと閉じた瞼から、涙がぽろぽろと零れた。
 男が楽しんでいると想像するのは容易かった。明らかに…楽しんでいるのだ。苦悶の表情が胸に刺さる。だが今は、凡ての情景が刺激になった。
 幾度か同じ動作を繰り返し、下の人間が慣れて来たのを見計らって、次には逞しい腕は長沢君の腰を大きくひねって見せた。
 〔…っひ…!〕
 片手で腰をグラインドさせる。生々しく、こすり付けるように、腰を捻らせる。
 「は…ぁっ…」
 手応えを想像する。熱くなる。動く腰が生々しい。呻き声を押し殺していた長沢君の短い叫びも、凡て官能的だ。
 ぬちゃぬちゃといやらしい音が零れる。男が腹の上で長沢君を持ち上げては落す。絡みつく。呑み込まれる。その衝撃と重さ。それに。
 抜いて、また咥え込む。熱い場所に狭い場所に、吸い込まれる。
 「はっ、あ。あ」
 〔あ"、あっ。……ひ。うぅ…っ!〕
 腹の上で熱い身体がうねる。腹の上で。画面の中の。――私の。
 〔そんなに…俺が。………憎かっ・た……?〕
 不覚にも、そんな言葉と、それを吐き出す長沢君の表情に包まれて、私もともに果てていた。        
 
* * * * * *

 
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